207. 新たな運命
――どこか遠くで、誰かの声がする。
滲むように光が広がり、暗闇を溶かしていく。
エマは、重たいまぶたをゆっくりと持ち上げた。
ぼやけた視界の向こうで、天井の木目が揺れる。鼻をくすぐるのは、どこか懐かしい草木の香り。微かな風が頬を撫でた。
そのとき――。
「……クロ?」
かすれた声で呼びかけると、すぐそばから小さな鳴き声が返ってきた。ふわりと温かな毛並みが頬に触れ、ぺろりと舐める感触。
それと同時に、もっと強い声が耳を打つ。
「――エマ!」
驚きと、切実な響きを帯びた声。
ゆっくりと顔を横に向けると、そこにいたのはルイだった。
彼は、まるで奇跡を目の当たりにしたかのように目を見開き、そして次の瞬間、張り詰めていた空気がほどけるように、安堵の色が浮かぶ。
「……ルイ……?」
掠れた声で名前を呼ぶと、ルイは何も言わずにそっと手を握った。その手は、驚くほど温かかった。
「よかった……本当に……」
その声は、微かに震えていた。
エマは、力の入らない指を動かし、ルイの手をぎゅっと握り返した。
「……私、ずっと眠ってた?」
「――半年だ」
その言葉に、エマは息を呑んだ。
「半年も……?」
思わず身体を起こそうとして、めまいが襲う。
「無理するな」
ルイがすぐに支えてくれた。
「ここは……」
「アルカナ魔法学校の医務室だ。まだ安静にしておいた方がいい」
エマは混乱しながらも、記憶を必死に手繰り寄せる。
「あれから……どうなったの?」
ルイは一瞬、言葉を選ぶように沈黙し、それから静かに語り始めた。
「ニヴェラはオルケードに戻った。国民も皆、無事だったらしい」
その言葉に、エマの瞳がぱっと輝く。
「本当に……よかった……」
ルイは、小さく微笑んだ。
「魔法連盟は実質解散し、今、新しい組織を作っているところだ」
「新しい組織……?」
「今度の組織は、人間界との調和も視野に入れている」
「人間界と……?」
エマが驚くと、ルイは少しだけ笑って言った。
「古代魔法具の力を使ってな」
「……上手くいくといいね」
「だから――」
ルイはエマの手を強く握る。
「体調が良くなったら、エマにも手伝ってほしい」
「……私?」
「魔法界と人間界の架け橋になってほしいんだ」
エマは目を見開いた。
「私に……?」
「エマならできる」
ルイの真剣な瞳が、まっすぐにエマを捉える。
――その瞳を、信じたかった。
「……うん。ルイと一緒なら……できる気がする」
エマはゆっくりと頷いた。
ルイの唇が、微かにほころぶ。
「しばらくは、ここでゆっくり休もう」
「うん。ありがとう、ルイ」
エマは静かに瞳を閉じ、安心したように、再び眠りについた。
翌朝――。
ルイは、再びアルカナ魔法学校の医務室を訪れた。
「おはよう、エマ。もう起きてたんだな」
「おはよう。うん、それより、ちょっと外の空気を吸いたいな」
エマは、ベッドの上でゆっくりと身を起こす。
「大丈夫なのか?」
ルイが心配そうに尋ねると、エマは小さく微笑んだ。
「うん、大丈夫。むしろ、なんだか生まれ変わった気分」
「半年も眠ってたからな」
「……そうだね」
その言葉に、ふたりの間に静かな空気が流れる。
「……少し歩くか?」
「うん!」
こうして、ルイとエマはアルカナ魔法学校の敷地内をゆっくりと歩くことにした。
広大な公園に出ると、木々の葉が朝日に輝き、心地よい風が吹いていた。花々が鮮やかに咲き誇り、鳥たちが楽しげにさえずっている。
「ここに来るのも、すごく久しぶりだね」
「ああ」
「みんな、元気かなぁ……」
「あとで会いに行ってみるといい。エマのこと、みんな心配してたぞ」
「……ルイは、私のこと毎日看病してくれてたの?」
「まあな」
「……ありがとう」
エマは、真っ直ぐにルイの顔を見つめた。
「いや……俺のせいでエマが倒れてしまったんだ。目が覚めて、本当に良かった」
「そんなことないよ。魂の古代魔法具を破壊してって、私がお願いしたんだもん」
エマが優しく微笑んだ、その瞬間だった。
突如――轟音とともに、炎をまとった魔法生物が空から猛スピードで突進してきた。
ルイが即座に手を掲げる――だが、その瞬間。
エマの中に、熱い何かが流れ込む。
次の瞬間、エマの身体から放たれた魔力が魔法生物を包み込み――炎を鎮めた。
まるで、大地が雨を吸収するように。
魔法生物は静かにエマの足元に降り立ち、穏やかに身を丸める。
ルイは、息を呑んだ。
「エマ……?」
エマは、呆然と自分の手を見つめる。
「あれ……魔法が……使える?」
ルイの表情が一変する。
鋭く、真剣な声で言った。
「エマ、本当にすまない」
「どうして謝るの?」
戸惑うエマに、ルイは静かに告げる。
「その魔力……どうやら魂の古代魔法具の力が、お前の身体に逃げ込んだようだ」
「え……?」
エマの心臓が、大きく跳ねる。
「それって……」
「エマ自身が、魂の古代魔法具になったということだ」
――世界が、静止する。
言葉の意味を理解した瞬間、エマの背筋が凍りついた。
「……そんな……」
「ついさっきまで、お前から魔力は全く感じなかった。でも、今は――魂の古代魔法具そのものの力を感じる」
エマの指先が、わずかに震える。
「私が……古代魔法具……?」
「魂の古代魔法具の力は、死者を蘇らせ、永遠の命を与えることもできると言われている」
エマは、息を詰まらせた。
その力を狙う者が、どれほどいるか――想像に難くない。
「エマ、魔力を制御するんだ。このことが魔法界に知られれば、お前は必ず狙われる」
「……」
恐怖が胸を締めつける。
だが――
ルイは、真剣な瞳でエマを見つめた。
「でも、大丈夫だ」
「……?」
「俺がお前を、一生守る」
――その言葉が、静かに胸に落ちる。
どんな運命が待ち受けていようとも、この人はきっと隣にいてくれる。
「……ありがとう、ルイ」
エマが囁くと、ルイはそっとエマの頬に手を添えた。
そして――
迷うことなく、唇を重ねた。
エマの心臓が跳ねる。
けれど、それはどこか、不思議なほどに温かくて。
唇が離れると、ルイは優しく微笑んで言った。
「これからも、ずっと一緒だ」
エマは、そっとルイの手を握る。
「うん!」
――どんな未来が待っていようとも、二人は共に歩んでいく。
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