124. アクア・ソルヴィール
橋の入り口に立つ、水から形作られた魔法精霊が二人の行く手を遮った。しなやかな体つきは水平のように優雅で、全身を水の膜が包んでいる。精霊の瞳が青白い光を放ち、ルイとエマをじっと見据えた。
「リヴァースという人物に用がある。ここを通らせてほしい」
ルイは冷静に言葉を放つ。
しかし、精霊は応えず、その手に槍のような水の武器を形作り、明らかに警戒の色を見せた。槍の穂先が水滴をまとい、鋭利に光っている。
ルイは微動だにせず、右手を静かに掲げた。指先から淡い青白い光がほとばしり、彼の周囲に微かな波紋のような魔力の気配が漂う。エマは息を飲み、その様子を見守った。
「目的は問うな。ただ、通せばそれでいい」
ルイの声は低く、しかし力強かった。
光の波動が精霊に触れると、その表情が次第に和らぎ、目の奥に宿っていた敵意が霧のように消えていく。精霊は静かに身を翻し、槍を消すと、橋の奥へと向かって歩き始めた。道を示すように、静かに、しかし確実な動きで。
「……今の、何?」
エマは小声で問いかけた。
「心を静めただけだ」
ルイは言葉少なに答え、彼女と共にリヴァース邸へと続く橋を渡り始めた。
橋を渡り切り、しばらく進むと、目の前にはガラスと水晶で造られた壮麗な邸宅が姿を現した。青い光を反射する壁面が陽光を受け、周囲には水の流れる庭園が広がっている。
中央の扉に近づくと、突然音もなく開き、中から背の高い男が現れた。銀灰の髪が肩に流れ、瞳には冷静な光が宿っている。
「私の魔法精霊の心をいじったのは君たちか?」
穏やかな口調だが、その声には探るような響きがある。
「すみません、直接お話ししたくて。俺はルイ、こっちは妹のエマです」
ルイが応じると、男の口元にかすかな笑みが浮かんだ。
「私はルディアン・リヴァースだ。立ち話もなんだ、中へどうぞ」
ルディアンは扉の奥へと案内するように身を引き、二人を迎え入れた。
客室へと案内され、二人はソファに腰を下ろした。程なくして家のお手伝いさんが、湯気の立つ紅茶を静かにテーブルに置いた。甘い香りが部屋に広がり、エマはその香りに一瞬だけ安堵した。
「それで、早速だけど――」
ルディアンが言葉を切り出そうとしたその瞬間、彼とルイの視線が同時に窓の外へと向けられた。
「どうしたの?」
エマは驚いて尋ねるが、ルイの顔には緊張と焦りの色が浮かんでいた。
「私の魔法精霊が殺られたみたいだね」
「えっ!?」
エマが息をのむ間もなく、ルディアンは杖を一振りした。空間が揺らぎ、ソファの横に突如として姿を現したのは、串刺しの魚を片手に持ち、満足げな笑みを浮かべているニヴェラだった。
「さすが水上都市……これは絶品だ」
ニヴェラが口元を拭いながら言うと、エマはその様子に心の中でつぶやいた。
(か、かわいい……)
しかしすぐに、彼女の名前を呼ぶ。
「……ニヴェラ?」
エマとルイの視線に気づいたニヴェラは、一瞬で真顔に戻り、軽く咳払いをした。
「やれやれ、君だね。私の魔法精霊に攻撃を仕掛けたのは?」
「……用件を言えと言われて面倒だったからな」
ニヴェラはルディアンの質問に淡々と答え、魚をもう一口かじった。
「すみません、そいつは俺たちの仲間です」
ルイは眉間にしわを寄せながら申し訳なさそうに言った。
ルディアンはため息をつき、杖を傍らに置くと、興味深げな視線をルイに向けた。
「それで? 君たちの用件は何かな?」
ルイの瞳が鋭く光る。
「……アクア・ソルヴィールについてです」
「ほう……それはまた興味深い話だ。しかし、どうして?」
「ご存じの通り、闇の魔法使いたちが動き始めています。あなたも必ず狙われる」
ルディアンは薄く笑った。
「心配してくれるのはありがたいが、この家にはそんな貴重なものなど――」
「いいえ」
ルイは言葉を遮り、冷静な声で続けた。
「あなたが巧妙に隠しているつもりでも、そこにある。あなたの首にかかるそれが、間違いない。水の古代魔法具――アクア・ソルヴィールです」