114. テンペスト・ソルヴィール
エマが夢中で本を漁っていると、後ろから柔らかな声が聞こえた。
「お嬢ちゃん、まだ小さいのに図書館でお勉強かい? 偉いねえ」
振り返ると、優しげな表情をした初老の男性が立っていた。灰色のローブに身を包み、肩には小さな魔法の羽根ペンが浮かんでいる。彼はニコニコと笑いながらエマを見つめていた。
「あ、はい」
エマは少し照れくさそうに笑った。
「見ない顔だけど、訪問者かい? この国に訪問者が来るなんて滅多にないから嬉しいよ。楽しんでいってね」
「ありがとうございます! とっても素敵な図書館ですね!」
エマは目を輝かせて言う。
「そう言ってもらえると嬉しいねえ。ここは知識と魔法の宝庫だから、きっと楽しめるさ」
管理人は微笑みながらエマの目線を追う。
「あの……あそこの扉の部屋って、私は入れないんですか?」
エマは少し離れた特別保管室の扉を指差した。
「ああ、特別保管室かい? あそこは特定の魔法使いしか入れないんだよ。おじさんでも入ったことがないくらいさ」
「そ、そうなんですか……」
「ごめんねえ。でもね、あそこには危険な知識もたくさん眠っているらしいから、お嬢ちゃんみたいな子は入らないほうが安心だよ」
管理人は優しく言葉を添えた。
「わかりました。気をつけます!」
エマは素直に頷き、再び本棚を見つめた。
「賢いお嬢ちゃんだ。楽しんでいってね」
管理人は羽根ペンを指で弾くと、それが軽やかに宙を舞い、エマの頭上をひと巡りしてから彼の肩へと戻った。彼は軽く手を振りながら奥の方へと歩き去っていった。
エマはその後ろ姿を見送りながら、興味深そうに再び本を手に取った。
「やっぱりここ、すごい場所だな……」
呟いた時、外はすっかり暗くなりかけていた。
その時、静かな足音が背後から近づき、いつもの声が響いた。
「遅くなったな」
振り返ると、特別保管室から戻ってきたルイが立っていた。
「どうだった?」
エマは顔を上げて尋ねた。
「宿に戻ってから話そう」
エマはその言葉に従い、二人は図書館を後にした。扉が静かに閉まり、光の精霊たちが再び宙を舞い始める。その中で、管理人だけが二人の背中を見送り、何かを呟いていた。
宿の部屋は古びた木の香りが漂い、外から冷たい風が窓を叩く音がわずかに聞こえていた。
エマはじっとルイを見つめながら、堪えきれずに口を開いた。
「それで、古代魔法具の場所はわかったの?」
「風の古代魔法具『テンペスト・ソルヴィール』がオルケードにあることは確かだ」
「テンペスト・ソルヴィール……」
エマはその名前をゆっくりと反芻した。異国の風のように響く言葉に、得体の知れない力を感じ取る。
「だが、やはり正確な場所まではわからなかった」
「そっか……」
ルイは少し間を置いてから、決意を込めた声で言った。
「明日は人に会いに行ってみよう」
「人?」
「俺たちがこの国に入国できたのは、招待状があったからだろう?」
「うん、そうだけど……」
「その招待状を書いてくれた人物だ。おそらく、何か知っている」
エマは目を見開いた。
「その人って、一体どんな人なの?」
「それは会ってみなければわからない。ただし……どんなに親切に見えても、油断はするな」
エマは息をのみ、真剣なまなざしでルイを見つめた。
「うん、わかってる」
ルイは微かに笑みを浮かべ、灯りの揺れる部屋に再び静けさが戻った。