108. 逃走
ルナ(ルイ)は洞窟の入り口でドラゴンとクローキャットを一瞥し、小さくうなずいた。
「ついてこい。静かにな」
そう囁き、慎重な足取りで奥へと進み始めた。
暗闇の中、空気は冷たく湿っていた。何かが遠くで水滴のように響く音がする。
数歩進んだところで、ルナは突然立ち止まり、眉をひそめた。
見えない壁のような魔法障壁が彼女の前で揺らめいている。ほんの一瞬、光が波紋のように広がった。
「……ノスヴァルドの魔法か」
ルナが手を伸ばすと、障壁は彼女の魔力に触れて静かに溶け崩れ始めた。しかし、その感触に微かな寒気を感じ取る。
「強力だ……だが破れる」
そのとき、遠くから足音が響いた。ルナが顔を上げると、黒いローブに身を包んだ敵が洞窟の奥から姿を現す。
その瞬間、ドラゴンが前に出て口を開いた。灼熱の炎が洞窟内を赤く染め、轟音とともに敵をのみ込む。
クロも牙をむき、姿を数十倍に膨らませて威嚇の咆哮をあげた。
敵はその場に崩れ落ちた。しかし、響いた音が反響し、さらなる足音が複数、奥から迫ってくる。
「面倒だな……」
ルナは低くつぶやき、杖を手に取った。青白い光が杖先に集まり、ルイが静かに呪文を唱える。
「インフレクタス・オルビス!」
放たれた球状の魔法が螺旋を描きながら進むと、迫り来る敵を次々に吹き飛ばし、地面にたたきつけた。
「時間がない。行くぞ」
ルナは短く命じ、ドラゴンとクロとともにさらに洞窟の奥へと進んでいった。
ルナはエマの魔力をたどり、闇と湿気に包まれた地下の空間を進んでいった。
その視界の先に広がった光景に、彼女は息をのむ。
黒いローブをまとった男が檻の中で杖を振り下ろし、冷酷な魔力を放っている。その先には、頭から血を流して倒れ込むエマの姿があった。
怒りの波が胸を満たす。ルナの瞳が鋭い光を宿し、冷ややかに男を見据える。
「……許さない」
無言の力が空間を裂き、男の体を壁へと叩きつけた。石壁に響く衝撃音が冷たい洞窟に響きわたる。
檻の前に立ち、魔法の鍵に手を伸ばした瞬間――
横から轟音とともに、灼熱の魔法が炸裂した。
「……!」
瞬時に防御魔法を展開し、ドラゴンとクロをかばいながら魔力の奔流を受け止める。魔法の衝突が洞窟の闇を光と影の奔流に変え、火花が霧状に散った。
「やあ、また会えたねぇ。嬉しいよ、ルナ」
声の主が闇の中から姿を現す。不気味な笑みを浮かべた男――ノスヴァルド。
「もう貴様の言葉を聞く耳はない……」
ルナは静かに杖を掲げ、低い声で呪文を紡ぐ。
「テラ・インフレクタス・オルビス!」
巨大な球状の魔法が生まれ、洞窟を包み込むように飲み込んだ。石と土が砕け散り、地下の暗闇は一瞬にして露わになった空に貫かれる。
檻の残骸を前に、ルナはエマの足枷を砕き、血のついた髪を優しくかき上げた。
「すまない、エマ。もう安全だ」
「……ルナ……」
かすれた声に応え、ルナは彼女を抱きしめたまま立ち上がる。
だが、静寂の中に再び忍び寄る影。
「すごいねぇ。古代魔法具を使わずにこれとは……さすがだ」
宙に浮かび、余裕の笑みを浮かべるノスヴァルド。その背後に冷たい瞳を持つ少女が立っていた。
「ルナ……あいつが……ノスヴァルド……」
エマの声にルナは顔をしかめ、静かに囁く。
「無理するな」
その瞬間、ノスヴァルドの杖が閃き、圧倒的な魔力が解き放たれた。島の全てを吹き飛ばすかのような衝撃がルナとエマに迫る。
ルナは光を弾けさせるように魔法を繰り出し、二つの魔法が激突する。爆発が空間を引き裂き、地平が光と影の波にのまれた。
「君……」
ノスヴァルドはニヤリと笑う。
「君、まさかフェルマール家の人間じゃないよねえ?」
ノスヴァルドは振り返り、少女に命じた。
「兄弟たちを全員呼べ! 今すぐにだ!」
少女が答えようと口を開いた瞬間――
「ソルヴィス・オービタル!」
ルナが呪文を唱えると、眩い光の槍が天を貫き、ノスヴァルドと少女の間に降り注いだ。彼らは即座に身を翻してその魔法をかわすが、その一瞬の隙を逃さない。
ルナはエマをしっかりと抱え、ドラゴンの背に飛び乗った。光の残響が洞窟を埋め尽くす間に、ドラゴンはその翼を広げ、風のごとく宙へと舞い上がる。
空に向かう彼らの背後には、なおも狂気の笑みを浮かべるノスヴァルドの姿があった――。