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 桜が舞い散る大通りを抜けて、アオイは病院に向かっていた。

 春の日差しに目を細める。舞い落ちる花びらが運転している軽自動車のフロントガラスの上にふわりと乗った。

 花粉対策のために閉め切った車内だが、この狭い車の中でも充分に日差しの暖かさや若葉の色合いは楽しむことが出来る。カーステレオからは流行りの男性アイドルの歌声が流れていた。

 目的地の病院は、この辺りでは数少ない大きな総合病院だ。救急外来も備わっており、車を運転している時には正直あまり考えたくはないのだが、事故の受け入れも行っている。噂では救急の評判はあまり良くないらしいが。

 今日は大学が休みだと通話アプリで告げたのが原因か、碧はその病院で待つ先輩……いや、友人? だろうか。関係性の呼び名をこれまであまり考えたこともなかったが、とりあえず周囲に“彼女”のことを説明する時は、『趣味の集まりで知り合った友人』と説明しているし、現にそれで合っている。

 唯一の間違いを指摘するなら、その『趣味』が私にはない。その『趣味』を持っていた大学の友人に連れていかれた集まりにて、彼女と仲良く……いや、少し話すようになっただけだ。個人的な話題はあまりまだ、していない。やり取りを通話も出来るアプリによって始めたのも、ごく最近だ。

 その“友人”――智夏チナツから『今病院にいるんやけど、暇なら迎えに来てくれへん?』と連絡が来たのは、今から二時間前のことだった。

 気軽にやり取りをするために利用される通話アプリのメッセージ機能に、そのメッセージはなんとも気軽な調子で届いた。

 軽い、いつもの挨拶のような調子で、その『非日常的な言葉<病院>』が踊っていた。

『いいけど……どこか悪いん?』

 実際に対面していたとしたら、きっと声は震えていただろう。いや、そもそもこうも上手く『聞き返す』という行為自体が出来なかったかもしれない。私は本当に、引っ込み思案で、臆病だから。

 智夏はいつも明るい笑顔でいるのが印象的な、活発そうな年上の女性だ。しかし小柄な体格のためか一言で『年上のお姉さん』と言うよりは、『親しみやすい悪友』と言う方が正しいような気がする。

 現に彼女が大切にしている『趣味』は、『真面目な学生』代表みたいな生活をしていた碧からすれば、まさしく『悪友』と呼べるものだったからだ。

 彼女の趣味は――智夏の趣味は『車』だった。

 智夏も碧と同じく女ではあるが、彼女は『ドライブは助手席担当』と言うような同性を毛嫌いするぐらいの根っからの車好きだ。

 見た目は女の碧から見ても可愛いタイプのはずなのに、少し下品でやや短気。荒い気性を初対面にて目撃し、そんな彼女から「あんたは車乗るん? まさかこいつ(集まりに誘ってくれた友人だ)と一緒で免許すらもないとか言うん?」と聞かれ、その眼光のプレッシャーから逃げたい一心で「軽ですが、自分で乗ってます」と口走ってしまったのだ。

 実際には去年免許を取ったままほとんど乗ってすらいなかったのだが、この日を境に少しずつ近所への買い物から始めて、半年もすれば運転に対する恐怖心も少しはマシになっていた。

 誘ってくれた友人はどうやらその集まりの常連の男性がお目当てだったらしく、結局お近づきにすらなれずにそのうち来なくなった。趣味の集まりなんだから当たり前と言えば当たり前なのだが、やはり男性が多いこういった車の集まりは、そういう女も紛れ込んでくるらしい。好きな人の趣味ならば、せめて一緒に楽しもう、理解しよう、自分もやってみようと思って欲しいと、智夏が零していたのを思い出す。

 反対に碧は何事にも真面目に取り組むという努力家の姿勢が運転技術向上のための質問を産み、それを智夏が答えるうちに集まりの輪にも入れて貰えるようになっていった。気持ちはまだまだ初心者マークな碧だったが、素直で真面目な性格は皆からの印象も良かったらしい。そもそも車や運転が好きならウェルカムな集まりなので、友人のようにあからさまな態度でも取らなければ嫌われるようなこともない。

 質問に答える智夏の声は、どことなく嬉しそうだった。臆病な碧が最初怖がっていることを敏感に感じとったのか、彼女は努めて優しく話すようにしてくれている。それは言葉の柔らかさであったり、気性の荒さであったりという『表面的』なものだけの変化だった。

 彼女は最初から――優しかった。表面的な言動ではなく、心の奥に抱えるものが。優しかったのだ。誰よりも。

『悪いことは悪いけど、ま……検査だけやったし“足”頼んでええ? 今日だけやし。昼には終わるから、それからメシ奢るし』

 質問に答えた彼女の声なき返事は、やはり優しさに満ちていた。文字だけでもわかる。それくらいには彼女のことを、碧は知っているつもりだった。

『その病院、遠いやろ? 行きはどないしたん?』

 目的地の総合病院は、一人暮らしをしている智夏の家からは離れている。彼女の家の近くにも、確かこことは系列の違う総合病院があったはずだが、どうしてそこには行かなかったのだろう。あちらなら徒歩でも行ける距離だ。多分彼女はそんな距離でも愛車で行くだろうが。

 彼女イコール愛車と連想出来る程、彼女は車を愛していた。そんな彼女がまさか、家から遠い病院に車で行かないとは思えない。

『行きは車で行ったんやけどさ、検査で軽い麻酔使うらしくて。説明ちゃんと聞いてなかった私が悪いんやけど、帰りは車乗れんくなってもた』

 麻酔を使う程の検査とはいったい何なのだろう。集まりで少し話すようにはなった程度の仲だが、智夏のことは慕っているつもりだ。何でも機嫌良く教えてくれるし、とにかく一緒にいて飽きない。

 碧より四歳年上の智夏は、大学を卒業した社会人である。女性ながらに男性に交じって営業職をしているだけあり、彼女の言動は男勝りで、そして碧の経験していない事柄を面白おかしく教えてくれる。

 仲間内では馬鹿馬鹿しいやり取りを好むが、それなりに頭も良いのだろう。市内の居酒屋で偶然見かけたことがあるが、スーツ姿の彼女はハキハキと自社の製品のことを取引先らしい相手に語っており、声を掛けるのを躊躇ったくらいだ。

 結局あの時は物陰に隠れるようにして退散したのだが、彼女の前にはお酒もあったし、とても病魔に侵されているようには見えなかった。

「……身支度してたらこんな時間になってもた……もう智夏待ってるやろか……」

 カーナビに浮かぶ時刻は、彼女からの最後のメッセージを受信した時刻より二時間は経っている。

 短気な彼女の不機嫌な顔を想像したが、よくよく考えたら自分で呼びつけておいて機嫌が悪くなる人間ではなかったと思い直して、速度には気を付けながら碧はアクセルを踏み込んだ。





 検査はもう済んでいたらしく、待合室のソファに見慣れた赤茶の髪が見えた。

 総合病院だけあってかなりの広さのある待合室は、高級そうな皮の一人がけソファがずらりと並んでいる。平日の午前中が終わろうという時刻の待合室は、それでも多くの人が順番待ちや会計、はたまた智夏のように検査の予約等を行っていた。

 一人がけのソファには豪華にもそれぞれ肘掛けがついており、それにだらりともたれ掛かるようにして智夏は座っていた。会計ももう済んでいるのだろう。入り口に一番近い端っこを陣取っているのが、せっかちな彼女らしくてついつい笑ってしまった。

「ごめん、お待たせ」

 病院内なので小走りで、声も控えめに。碧の声に赤茶の頭が反応する。

 周りに遠慮しながら近寄る碧に対して、赤茶の――智夏の反応は正反対だった。

「おー、悪いなぁ。ありがとう。助かったわ」

 そう陽気な声を上げて、智夏はすっとソファから立ち上がった。

 肩まである赤みがかった茶髪が動きに合わせて揺れる。ふわふわとウェーブを描くその髪は、今日は少し元気がないように見える。

 想像していた検査着みたいなものからはもう着替えていて、服装はいつもの動きやすそうな恰好――肩の開いた春らしい薄い黄色のニットに、黒のミニスカートを合わせている。見た目が寒々しく見えないのは足を包むタイツのおかげだろうか――だ。

 しっかりといつものように化粧もしているので、顔色の違いはわからない。検査が終わったという連絡がなければ疑いもしない程、いつもと同じような顔をしている。

「ううん、急だったからびっくりしたけど、元気そうで良かった」

 そんな彼女の顔に安心したせいか、ついつい目に涙が滲んでしまう。碧の安心を敏感に感じ取った智夏は、ふっと優しく笑って涙を拭おうと腕を伸ばして――足元がふらついて屈みこんだ。

「智夏っ!?」

 思わず出てしまった大声に、周囲の人達が驚いてこちらを見てくる。そんな視線に当の智夏は「あー、大丈夫大丈夫。まだ麻酔が残ってるみたいで、いきなり立ち上がるとふらつくだけやから」と、宥めるように手を前に出して揺らした。

 歩くだけでこんなにふらつくのだ。確かに帰り道の運転は無理だろう。

「来てもらっていきなりやけど、メシでも行かん? 碧の運転スキルも見てみたいし」

 そう言ってにやりと笑う彼女の表情は、本当にいつもと変わらなくて。その笑顔に惑わされて、ついつい自分の心に蓋をしてしまう。

 智夏の少しふらつく足元を見やって、碧は心の中の不安をどこか結びつけることが出来ずにいた。




 まだ少しふらついている智夏を助手席に乗せて、碧の運転で病院近くにあるパスタ屋に向かう。

 どうやら昨日の夜から何も食べていないらしい智夏が、「とにかく腹が減った。碧が食べたいもんでエエから、どこかで昼飯食べよ」と言うので、碧は特に何も考えずに好きなパスタと答えてしまった。

 そして答えてから、この決定は問題があったと悟る。この近くにはパスタ屋やカレー屋、喫茶店等があるが、食べ物の好き嫌いがない智夏はどこでも美味しく食べることが出来、碧もそこまで好き嫌いがあるわけではないので、今の気分的にパスタを選んだ。

 しかし、智夏は昨日の夜から何も食べていない。その理由は検査のために他ならない。それはつまり、胃に何か入れていては結果が出ない病気。胃腸関係の病気の検査ではなかったのだろうかと推測出来る。

 そんな検査の後に重たいパスタ料理等、本来なら選んではいけないはずだ。しかし彼女は何の躊躇もなくその提案に乗っかっている。それが碧を更に困惑させた。

「碧、運転上手なったなぁ。初めて集まりにこの車で来た時は、マジで人撥ね飛ばすんちゃうか思ったけど」

 当時のことを思い出したのか、智夏が隣で笑いながらそう言う。智夏に車のことを聞くうちに運転にも興味を持った碧は、努力の成果を試しに見せてみようと、集まりにこの軽自動車で行ったことがある。

 その時は初心者らしい急停止と急発進を披露してしまい、周りから大笑いされてしまった。それでも恥ずかしがる碧の隣で、智夏は満足そうに笑ってくれていた。

「もう……そのことは、言わんといて……」

 恥ずかしさで前を向いていられなくなりそうになる碧に、智夏はあの時と同じように笑った。満足そうに、包まれるような優しい声で笑った。

「碧ってマジで可愛いよなー。大学でもいじられキャラちゃう?」

 にやっと笑う口元の上で、悪戯気に細められる瞳。集まりの時に見る興奮した鋭い眼光でもなく、普段よく見る気だるげな様子でもない、強さを宿した瞳だった。

――その瞳、かっこいい。

「そ……そんなん、ちゃうし」

 心に浮かんだ言葉に戸惑い、返答におかしな間が出来てしまった。

 普段から男勝りな言動の多い智夏のことは、確かに同性ではあるが『こんな人が男の人だったら良いのに』と思うくらいにはかっこいいと思っていた。見た目は完全に女性だが、中身が男前過ぎるのだから仕方ない。

 だからなんだか、まるで『異性』に見せるようなその瞳の輝きを見てしまい、どうにも気恥ずかしい気持ちになってしまったのだ。

「ほんまかー? 真面目ちゃんな碧は好きやけど、あんまいじられ過ぎんなよー」

 不自然な間には気付かなかったのか、智夏は変わらず笑いながらそう言い、碧の頭を撫でてきた。

 子ども扱いされたような気がして、碧はその手を無視して運転に集中することにする。智夏はまだ笑ったままだ。やはり病気という感じは、しない。

 そうこうしているうちに目の前に目的地のパスタ屋の看板が見えてきた。右折で駐車場に入ることになったが、智夏がさりげなく左右と後方の確認もしていることに気付いて、いつもより安心して右折することが出来た。

 駐車スペースにもしっかり駐車を決めると、智夏が「おー上手いやん。いっぱい練習して偉いな」と目を細めて褒めてくれた。駐車の時にも周囲の確認をちゃんとしてくれていたのに、そんなことはおくびにも出さない。

 運転席から出た碧は、智夏がちゃんと降りられるか心配で助手席の方へと回ったが、どうやらもう麻酔の影響は抜けたようで、しっかりとした足取りの彼女が降りてきた。

 静かにドアを閉める彼女を見て、本当に車が好きなんやなぁと感心する。普段の扉の開け閉めの様子を見る限り、彼女はがさつな人間だ。

「あー、碧はそんな姫さん扱うみたいに動かんでエエんやで」

 碧の行動に気付いた智夏がそうバツが悪そうに言った。気遣いをしたつもりだったが裏目に出てしまったみたいで申し訳ない。自信家な面もある智夏だ。プライドだってあるだろう。

 そう考えたら今回の迎えだって、本当はかなり心境的に辛いのかもしれない。年下の、ましてやまだ初心者マークをしていても心理的には問題ないような運転をかます女に迎えを頼む等、本来ならばしたくなかったはずだ。

 平日の午前中ということもあり、他の人間の都合がつかなかったのだろう。

――そういえば……彼氏だって、いる……よな?

 ずきんと、心が痛んだ。それが何故かはわからない。表情に出てしまっていたのか、智夏がすっと碧に近寄ってくる。小さなバッグを肩に掛けたその身体が、ぶつかる寸前まで近づいて――

「――姫さん扱いしたいんは、碧の方やねんから」

 耳元で、囁かれた。

 碧よりも小柄な智夏だが、正面から腰に手を回し、肩にこてんと頭を添えるようにして耳元で、ダイレクトにそう囁かれた。

 道端、というか駐車場の真ん中だ。昼前なのでそれなりに人通りもある。首から下が固まってしまって、唯一自由に動いた瞳だけで、その赤茶を見る。

 軽い軽い、遊び人のような言葉の上で、その瞳だけは熱心に碧を見ていた。

 まるでじゃれ合う女子高生のような感覚で、しかしその瞳には、本気の熱量が渦巻いている。

――本気、だ……

 嘘を言うような人ではなかった。特に、人に対する感情を伝えることに関しては、絶対に嘘をつかない人だった。

 仕事柄口が上手いことは、碧だけでなく周知の事実ではある。趣味が派手なために遊び歩いているのも事実だ。嘘はつかないだけで上手くはぐらかすために、身体の関係の人間がちらほらいるという噂も聞いている。

 碧だって交際経験こそないものの、頭も身体も大人の女のつもりだ。そういう関係があるということも理解しているし、正直、本人同士がそれで良いのなら周りが口を出す問題でもないと思っている。そもそも、噂は噂だ。同性に嫌われる要素抜群の彼女だから、本当に噂だけかもしれない。確かに口は上手いが。

 それでも、嘘はつかない人だった。少なくとも碧の前では。

「なーに?」

 ただ言葉を零しただけの口元が、卑猥にすら感じる。腰に回された腕に力が入る。上目遣いの瞳が、まるで何かをねだるように揺れている。こんな顔を男性にもしているのだとしたら、確かに男の方から群がってきそうだ。

 ほとんど抱き合うような体勢で、かっこいい――『理想の“男性”像』である彼女の顔が目の前にある。

――かっこよくって、気が遣えて、稼いでいて、自慢出来る車持ってて、私に優しい……女の、人……

「えっと……よ、く……わかんない……」

 この状況がよくわからない。多分、自分は口説かれてる。でも、彼女は女で、自分も女だ。嘘はつかない人だけど、悪ふざけはする人だから、きっと今のこれも悪ふざけで……?

 小さな笑い声が響いて、それに合わせて赤茶の髪が揺れる。そして優しい笑顔のまま、彼女はしっかりと碧を瞳に映して言った。

「このままここで口説かれるか、店の中でメシ食いながら口説かれるか、どっちが良い? あ、このままやと勢いでキスしてまうかもしれんけど、それやとあかん?」


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