第19話 商人vsお嬢様
深緑の林に囲まれた湖畔に佇む学園聖堂。
創世の女神を祀っているその宗教施設は、下手な小国のそれにも匹敵する荘厳なものだ。
だがその横には、神聖な雰囲気に似つかわしくない石造りのあばら屋があった。
元々誰かが住んでいたのだろうか、竈門や寝室、書斎らしき部屋も備えたその小屋は、四人程度が暮らすには十分な広さを有している。
学園聖堂が建立される以前よりそこにあったその小屋は、長年の埃にまみれて今や完全に住居としての役割を放棄し、掃除道具や壊れた家具の物置となっていた。
そう、つい昨日までは。
連合歴二〇八年六月十三日放課後。
その場にそぐわぬ五人の乙女が、廃屋の中で雁首を揃える。
「えー……」
軋むテーブルの端には肩身の狭そうなエルフの少女が一人。
大きな三つ編みと鋭い犬歯が特徴のエルフは唸りながら左を向く。
その視線の先には蒼い服に身を包んだ半魔族の少女。
どこか申し訳なさそうに苦笑いを浮かべている。
「あー……」
ハンチング帽と分厚い丸眼鏡が特徴のエルフは呻きながら右を向く。
その視線の先にはぶかぶかのベレー帽を被った空飛ぶ幼女。
どこか諦めたように苦笑いを浮かべている。
「えーと……、コ、コレどういう状況ッスか?」
そしてエルフはビクビクと疑問を口にしながら正面を向く。
その視線の先にはオンボロな木の椅子にふんぞり返るこのワタクシ。
「どういうことも何もありませんわ」
ワタクシが指をパチンと弾くと、背後のジゼルが天井から垂れ下がった紐を引いた。
その先に結びつけられたくす玉──概念を教えたらジゼルが一晩で作ってくれた──がパカッと割れ、色とりどりの紙吹雪が舞い散る。
メイドは相変わらずいつもの鉄面皮だが、ワタクシにはわかる。
アレは楽しんでる時の顔だ。
そして、くす玉の中から一枚の紙が勢いよく垂れ下がった。
その紙にはこう書かれている。
『祝! フリーデンハイム学園新聞部結成!』
「今から新聞部の結成式を行いますわよ!」
「はえ?」
思った通りエルフが理解不能な状況を前に素っ頓狂な声を上げる。
エルフの緊張が上手く解けたと見るや、ワタクシはすかさずエルフに謝罪する。
「そしてごめんなさい、フラウ・エルネスト。まずは昨日の非礼をお詫びしますわ」
「え? えーッ!? いやいやいやいや、気にしてないッスよ! 頭を上げてください!」
「ありがとう、寛大な御心に百万の感謝を」
「いやこちらこそ恐縮ッス。そ、それより新聞部って……?」
「ええ、学園で新聞を発行するという名案に感銘を受けてね。貴女の一助に成りたいと思ったの」
「そ、それは光栄ッス……」
ワタクシの本心からの言葉にもエルフは半信半疑、いや八割は疑といった印象だ。
まあ当たり前だろう。
彼女からすれば、食堂で嫌がらせをして来た張本人が、昨日の今日でいきなり新聞部を創設して目の前にいるのだから。
ワタクシはパメラにそっと目配せして、事前に頼んでいた助け舟をお願いする。
パメラは『任せて!』と言わんばかりに頷いて、自信満々に口を開いた。
「大丈夫だよ、リオ。ツェツィは頭を打って変わったんだ!」
「はい?」
フォロー下手くそですの!?
もう少し、こう、あるでしょう、言い方が!
何も伝わってないからもっと喋りなさい!
だがワタクシの無言の思いは伝わらない。
パメラは『ふふん』とした顔で澄ました態度のままだ。
マズい。エルフの顔がますます険しくなっていく。
ここはもうこの泥船に乗るしかありませんわね……。
「そう、ワタクシ、パメラにぶっ飛ばされて今までの自分の愚かさに気づいてね、これからは生産的な活動をすることにしたのですわ。そして、信じてもらえないかもしれないけれど、貴女への仕打ちは本当に後悔しているわ、フラウ・エルネスト。本当にごめんなさい」
「ノイエンドルフ様……」
ワタクシの悔恨を受け入れながらも、エルフの眼には鋭い光が宿っている。
まだ信じていない、というよりワタクシの言葉から腹を探っているようだ。
まあ我ながら疑われて当然の豹変っぷりなのだから仕方ない。
しかし、新聞作りが成功して欲しいと思っているのは本当だ。
探られて困る黒い腹など無い。
ここは正直に話すしかないだろう。
「だから今度は貴女の新聞作りを応援したいと思ったの。言い出しっぺの貴女に断りも無く新聞部を創設してすまなかったわね」
「い、いや、ウチも記事の信憑性の担保に部活にはしたいと思ってたんスよ。むしろ部員の人数制限と顧問に困ってたくらいだったんで助かったッス」
エルフからも本音が少し零れ、その表情が和らぐ。
「そう言って貰えて嬉しいわ。もう貴女の新聞は邪魔しない。部の活動も出しゃばらない、貴女の好きにしていいわ。だから出資という形でいいから支援させてくれないかしら?」
「…………………………」
何かマズいことを言っただろうか?
エルフが沈黙し、そよ風で納屋が軋む音だけが響く。
「ダメ……かしら?」
ワタクシは不安になって思わず聞き返してしまう。
「…………………………」
だが、エルフはなおも思案を続ける。
そしてエルフが少し不安そうにチラっとパメラを見た。
何かを察したパメラが口を開く。
「大丈夫。ツェツィは本気だよ」
ワタクシとの付き合いの長いパメラが、ワタクシの言葉に太鼓判を押した。
「それとツェツィは悪巧みも大好きだけど、だからこそ自分に率直に話してくれる人を信頼する。とっつきにくそうに見えるけど根は素直なんだ。言いたいことがあったら言っていいと思うよ」
「ちょ、ちょっと、パメラ」
自分の口からは決して出ない小っ恥ずかしい人物評がパメラから飛び出し思わず赤面してしまう。
「そうッスか……」
そのパメラの一言でエルフは決心したように長い沈黙を破った。
「ではノイエンドルフ様──」