第14話 素晴らしき日々
「頂いた言葉への歓喜よりも心配の方が勝ります」
「……それはワタクシが変わってしまったと?」
「はい、お目覚めになられてからのジゼルにかけるお言葉は、まるで別人のようです」
やはりジゼルはワタクシの変化に感づいている。
流石に誰よりも長い時間を一緒に過ごしてきただけのことはある。
例えどんなに辛く当たられようとも、奉仕に感謝を述べられずとも。
まだジゼルにとっては目覚める前のワタクシがツェツィ―リエなのだ。
でも、例えジゼルがそう思うとしても。
他の誰がなんと言おうとも。
今ここにいるワタクシこそがツェツィ―リエだ!
前世を思い出し、人間一人、三十年分の経験を得て、協調を覚え、常識を悟り、人の痛みと傍に居てくれる者の尊さを知ったこのワタクシこそが!
だから示さねばならない、ワタクシがワタクシになった理由を。
ジゼルの信頼は何としてでも取り戻す、今までの彼女の奉公に報いるためにも。
だが前世のオッサンの記憶を取り戻したなどと話すのは混乱させるだけだろう。
……というか、ワタクシがオッサンだったなんて絶対に知られたくない!
「夢をみたのよ。とても長い夢。そう、今のワタクシの人生よりもずっと」
ワタクシは甘苦いココアを一口飲んだ後、ポツリポツリと話し出す。
「夢の中のワタクシは、まさに負け組でしたわ。そして今のワタクシの倍ほども生きておきながら、力もなく、才もなく、金もなく、友もなく、子もなく、立場もなく、実績もなく、結局何も成せぬまま失意のうちに死んだの。全く無様ったらないわ」
「それはお可哀そうに……」
「でも、夢はあった」
「え?」
「そう、夢。自分の理想。生きる原動力。今のワタクシに無いものですわ。臣民の期待通りの、お父様の望み通りの道を、ただただ言われるがままに歩んでいるこの勇者の娘には」
「そんな……」
「夢の中のワタクシは何も手に入れられなかったけれど、何も持たないままに自分の理想を精一杯追い求めて生き抜いた。その一点に於いては見上げるべき存在でしたわ」
黒く濁ったココアを見つめながら話し続ける。
「でも目覚めてみれば、ワタクシには力も、才も、金も、貴女も、若さも、立場も、実績もある。夢の中のワタクシが欲し、終ぞ手に入れることの無かった全てが。なのにワタクシがしていることは何? その恵みを当然と享受し、敷かれた道を歩むだけ。他者を見下し、自らを示威し、あなたやパメラを傷つけてばかりいる。全く恥ずかしいったらないわ」
ワタクシは半分以上残ったココアを一気にグイッと飲み干す。
灼熱が喉を通り過ぎていくのをグッと我慢する。
黒い沈殿の間からマグカップの真っ白な底がほんの少しだけ覗く。
「だからワタクシやり直すことにしましたの。せっかく自分の恵まれた環境に気づけたんだもの。これからこの力を正しく使って、皆を幸せにする生産的なコトをしてみせますわ」
空になったマグカップをテーブルに置き、ワタクシは前を向く。
気づくと向かいのソファでじっと話を聴いてくれていたジゼルは、その大きな瞳から滝のように涙を流していた。
「ジ、ジゼル?」
「申し訳ありません、まさか頭を打っただけでこんなに立派になられるなんて……」
我に返ったジゼルは慌ててハンカチを取り出して目尻を拭う。
「こんなことならもっと早く頭を打たせておけば──」
「ちょっと」
「──まあそれは冗談ですが、ジゼルが感動しているのは本当にございます」
ジゼルは涙を拭い終えるとハンカチをしまいワタクシを見て微笑んだ。
「ツェツィ様の望むようになさってください。例えそれがどんなことであろうともジゼルは御供いたします」
ひとまず説得成功か。
ジゼルはワタクシの変化を受け入れてくれたようだ。
なんだか途中にだいぶ不穏なニュアンスがあった気がするが気にしないでおこう。
「ありがとう、ジゼル。それでここからが本題なのだけれど、皆を幸せにする生産的なコトとは言ってはみたものの、何をすればいいのかわからなくてね、ジゼルに相談したいの」
「ツェツィ様のしたいことは無いのですか?」
「そう思って考えてみても、お父様の望み以外でワタクシがしたいことなんて、服を買うこと、試合に勝つこと、魔物を倒すこと、相手を論破すること、格下を支配すること……。そう、どれも他人を蹴落とす非生産的なことばかりなのですわ。だから他人の意見を聴こうと思うの。ジゼルはワタクシにどうして欲しいかしら」
ジゼルは軽く握った右手を口元にあて少し考え込んでから口を開く。
「やはりツェツィ様にして頂きたいことはツェツィ様がしたいこと以外ありません」
「相変わらずの忠臣っぷりは嬉しいけれど、それじゃ相談の意味がないじゃない」
「でしたら、例えば──夢の中のツェツィ様は何をしたかったのですか?」
「夢の中のワタクシ……?」
「はい、夢を持っていらっしゃったのでしょう? 何も持たないままにそれを追い求め続け、終には野垂れ死ぬことも辞さなかった理想を」
そうだ、何でそんな簡単なことに気づけなかったんだろう。
勇者の娘というこの世界の役割に囚われすぎていたせいだ。
現代日本とこの世界の文明レベルがあまりにかけ離れすぎていたせいだ。
実現できるわけがないと考える前に諦めてしまっていた。
「ありがとうジゼル。貴女のお陰でやりたいことが今ハッキリと見えましたわ」
やりたいことなんてずっとあるじゃないか。
まさに皆を幸せにする生産的なコトが!
「ワタクシ、エロゲを作りますわ!」