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セレネ・ヴァレット。
原作では、平民として暮らす中で突然、聖女の力が目覚めた主人公兼ヒロイン。
そして一度目の人生では、婚約者を奪い取った憎き相手。
近々、様子を探る必要があるとは思っていたけれど……。
エルミアーナは、物陰から彼女の様子を窺い見る。
原作の情報を照らし合わせて考えると、今の彼女は幼少期を過ごした孤児院で子供たちの世話をして過ごしているはずだ。
今は買い物中のようで、穀物を売っている露店の前にいる。孤児院で使うもののようで、かなりの量になりそうだった。
あれを一人で抱えていくのはなかなか骨が折れそうだ、と思っていると、おもむろに店主の息子らしき青年がセレネに近寄り、穀物の袋を担ぎ上げた。
「…………なんか、いやね」
会話が聞こえない程の距離にいるエルミアーナから見てさえ、青年の鼻の下が伸びているのが分かる。
それだけなら別にどうということはない。
ヒロインは愛されるものだし、「平凡な少女」という記述があろうとも、基本的に物語の登場人物は美形だ。彼女もその例に漏れず、見目が良いのは事実だ。
しかし、なんというか。
エルミアーナは首を捻る。
原作の聖女は、明るく純朴、慈悲深く、そして一途な少女だった。
一度目に出会った時の印象も――あの処刑の時に見せた笑みを除けば――概ね原作と一致している。
だが、声が聞こえないため定かではないものの、あの女は青年の淡い憧れ理解しながら、気付かぬふりをして利用しているような、そんな表情に見えたのだ。
あの処刑の場で見せた表情に気付いた時から、嫌な予感はしていたが、やはり彼女は――
「――ミア、追わなくていいの? 行ってしまうよ」
「あ…、行きます」
エイドリアンの声で我に返る。
差し出された手を、ほんの少し躊躇した後握り返して、セレネたちを追う。
この人は、どうして一緒に来てくれるのかしら。
エルミアーナは少し後ろからエイドリアンの表情を盗み見る。
今のところ、聖女であるセレネを見て、何か変わった様子は見せていない。
彼がエルミアーナに接触した理由として、一番考えやすいのが、やはり聖女の存在な以上、何かあるかもしれない、と思っていたのだが――。
聖女が誰か知らないのかしら……。それとも、別の目的が――?
「ミア?」
エルミアーナの視線に気が付いたのか、不意に彼が振り返った。
「あ、いえ……、なんでも。……それより、あのこむ――少女が、止まりましたわ」
孤児院らしき建物に到着したセレネの周りに、子供たちがわらわらと寄ってきていた。その子供たちは、青年から袋を渡されると、各々二、三人で組になって袋を運んでいった。
あの女、結局一度も運ばなかった。
孤児院に入られてしまっては、探るのも難しいだろう。
今日はここまでか、と思っていると、セレネが青年に近付いて、軽く背伸びをした。
「っ!?」
どうやらお礼にほっぺへのキスを贈られたらしい青年が、ぽーっとして孤児院を去っていく。
エルミアーナは口元を抑え、身体がわなわなと震えるのを感じていた。
「……ミア?」
「なっ、あの……、っ――!!」
あのっ、小娘――っ!!!
人の婚約者に手を出すだけに飽き足らず、そこらのぺんぺん草にまで手を出してたのか、と怒りに震えていると、背中をぽんぽんと宥めるように撫でられる。
「落ち着いて、ミア。貞淑な僕の女神には、刺激が強かったかもしれないけれど……」
「…………」
そこではない、というのと、聞き間違いだと思っていた「女神」という言葉を再び出された衝撃とで、エルミアーナは呆れと共に、すっかり毒気が抜かれてしまった。
「そういう…あれ、ではないのですけど。……まあ、お兄様のおかげで落ち着きました」
「そう? それなら良かったよ」
エルミアーナは一度深呼吸をして気持ちを切り替えると、孤児院の出入り口を見る。
とはいえ、もうそこには誰もおらず、セレネも中に入ってしまったようだ。
「どうするの、ミア」
「……どう、しましょうか」
少し中の様子を見れないかと、少し近寄ってみる。
「――何かご用ですか?」
突然声をかけられて、エルミアーナは跳び上がりそうになった。
「あ、えっと……」
声のした方へ顔を向ける。
そこには、洗濯籠を抱えた見知らぬ少女が、こちらを見て首を傾げていた。