6
『若様の仰る通り、息抜きは必要ですよ』
そんなことを言いうラナにめかしこまれたエルミアーナは、町娘風の薄手のワンピースに、髪は二本のおさげにされて背中に流した格好で、街の喫茶店にいた。
目の前には同じように平民の青年風の服を着たエイドリアンが、上機嫌で座っている。
「はい、あーん」
にこにこしながら、フォークに刺したケーキを差し出すエイドリアンに、エルミアーナは溜息を押し殺す。
エイドリアンとエルミアーナは、お世辞にも顔が似ているとは言えない。まあ、父も母も違う「兄」なので、当然と言えば当然なのだが。
そんなわけで、傍から見ればエルミアーナたちは完全に「デート中」だ。
店員の微笑ましい視線が忘れられない。
どことなく頭痛を覚えながら、エルミアーナはジト目で差し出されたフォークに刺さったチョコレートケーキを見る。
「……いつもとやっていることが、変わらないのでは……?」
「全然違うよ! 作り手が違うんだから!」
「それはそうですが……」
一応首を振って、「あーん」に抵抗してみるものの、やはりエイドリアンも引かない。
「個室なんだから、照れなくても大丈夫だよ」
そういうことではない。
たしかに彼の言う通り、周囲は壁で区切られていて、他には誰もいない。来るとすれば店の者だろうが、商品を運び終えた今はしばらくは誰も来ないはず。
それは分かっているが、見られている見られていないの問題ではない。
と言いたいのだが、この兄が折れないことも、もう既に知っている。そのため、仕方なくエルミアーナは口を開けた。
「……おいしいですね」
口に入れたチョコレートケーキは、ほんのり苦めのチョコクリームとラズベリーソースの甘酸っぱさが程よく美味しい。
もくもくと口を動かせば、エイドリアンは満足そうな表情でにこにこと笑う。
「よかった。もう一口いる?」
「いいえ。わたくしの分が入らなくなります」
一方エルミアーナが頼んだのはメロンのタルトだ。
こういう生の新鮮な果物が簡単に手に入るあたりが、さすが物語世界だなどと、少しメタなことを考えつつも、美味しいものに罪はない。
瑞々しい緑の果肉にうっとりとしながら、フォークを刺そうとして、エルミアーナはふと手を止めた。
「……お兄様も食べますか?」
「え?」
エイドリアンはぱちりと目を瞬かせて固まっている。
エルミアーナの発言が予想外だったとでも言うような――。それに気付いて、エルミアーナは頬がぼぼぼっと赤くなるのを感じた。
「わ、わたくしも貰ったので! いるかな、って……。い、いらないなら別に――」
「いる」
「お兄様……」
「いる。食べさせて」
いつものおちゃらけた雰囲気が鳴りを潜め、どことなく真剣な眼差しに見える。
「わ、わかりました」
これはきっと、「妹を溺愛する兄」の演技! その延長!
エルミアーナは彼の眼差しに座りの悪さを覚えながらも、己にそう言い聞かせる。そして、気を抜けばうっかり震えそうになる手で、ケーキを一口分切り分けた。
それをフォークに刺して差し出す。
「どうぞ……」
「ん」
彼は自身の髪を耳にかけながら口を開けた。
伏せられた目、ケーキを口に含んでから、こちらを窺い見るように上目遣いになって――
「お、おにいさ……」
妙に色気のある視線に、エルミアーナの心臓が跳ねる。
普段は雰囲気のせいで気にならない彼の美貌によって、得も言われぬ凄みさえ感じた。
こんなにも美しい人を、わたくしは知らない――
だが、それは時間にすればほんの一瞬のことだったのだろう。
エイドリアンがにっこりと笑うと、その雰囲気は霧散する。
「ん~、おいしいね。ありがとう、ミア」
「いえ……」
エルミアーナは胸をきゅっと押さえる。
チョコケーキを食べはじめたエイドリアンを倣って、タルトを口に運ぶ。
だが甘く美味しいはずのそれを食べているにもかかわらず、口に広がるのは苦味のような何かばかり。
何故、わたくしがこんな気持ちにならねばならないの……。
そう思って切り替えようとするが上手くいかない。
まるで、彼に差し出された、あのチョコレートケーキのような味がする。
そんなことを思った。