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「よろしかったのですか、エルミアーナ嬢?」
追ってくるエイドリアンを振り切った頃にかけられたフェリクスの問いに、エルミアーナは足を止めた。
「いいのです。放っておくと四六時中くっついてまわるのですから」
「相変わらず仲がよろしいのですね」
くすくすと笑う彼に、エルミアーナはほんの少し眉を下げる。
「『相変わらず』、か……」
「どうされました?」
この家に常から住んでいるわけではない相手でさえも、あの「兄」の術中にいるのだと理解する。
だが、エルミアーナはそのことは口に出さず、首を横に振った。
「いいえ。……それより、今日はどうしてこちらに?」
「侯爵閣下にお話を伺いたく参りました」
「そう、父に……」
エルミアーナは人差し指を顎に当てて、首を捻った。
彼がこういう理由でこの屋敷を訪れるのは珍しいことではない。
本来ならエルミアーナという一人娘しかいないリーゼンベルク家は、後継ぎとして親戚から養子をもらう必要があったからだ。
その白羽の矢が立ったのが、エルミアーナから見て父の弟の子――つまりは従兄にあたるフェリクスだった。
何年か前までは今よりも頻繁に屋敷に出入りをし、エルミアーナの父から後継者教育を受けていた。しかしそれが一段落した後、彼は突然学園の教員となり、皆を驚かせたものだった。
とはいえ、後継者から外れたというわけではなく、今は教員をしつつ、リーゼンベルクの跡取りとしての仕事もこなしている。実は中々に多忙な人物だった。
そういうわけで、彼が父を訪ねてきたのは不思議でもなんともないのだが――、エルミアーナは困り顔をする。
「困ったわ……。お父様は今朝方、領地で魔物の被害が出たとかで発ってしまわれましたの」
「魔物が……」
このところ、国内では魔物被害が増えつつある。
魔物とは、魔力の影響を受け変質してしまった動物たちのことだ。
その魔力というのは、前世の世界で例えるなら、見えない火山のようなものと思えばイメージしやすいだろうか。
地面の下ではその魔力が流れる地脈があり、それが何百年かおきに活性化する。その活性化がおきると、地面から突如として高濃度の魔力が吹き出すのだ。
実際のマグマとは違い、見えない上に触れないもののため、魔力そのものによっての被害はないが、その力にあてられ凶暴化した魔物が人里を襲う。
この魔力が吹き出した場所は「魔力溜まり」と呼ばれ、それを沈静化させる――浄化することができるのが聖女という存在だ。
つまり、現在起こっているこの状況は、新たな聖女の誕生が近いことを知らせるようなものなのだが――、それを知っているのは今のところエルミアーナだけだ。
フェリクスが難しい顔で考え込む。
「少し前、国の東側でも魔物被害があったそうです。最近、嫌に多いですね……」
「……そうですね。新たな聖女が生まれるまではまだ間があるのですよね?」
「ええ。早くともあと百年以上は向こうのはずです」
エルミアーナは不安そうに見える表情を浮かべ、フェリクスを見上げた。
「例外的に――新たな聖女が生まれる可能性はないのでしょうか」
フェリクスが瞠目する。
「……不安なのです。もしこれが、新たな聖女の誕生を促すものなのだとしたら、わたくしはどうなってしまうのか……。これは、わたくしだけの問題ではありませんもの」
「そう、ですね。私も無関係ではいられない…でしょう」
過去の慣例を無視して聖女が生まれる――。
一見すると良いことのようにも思えるが、実際のところ国は混乱した。
聖女は救いの象徴ではあるが……。
それと同時に、聖女が現れるということは、国の危機が訪れるというのとも同義だからだ。
また一度目のときには、エルミアーナの立場も微妙なものとなった。
前例に従うのなら、勇者と縁付くのは聖女だ。
だが、長らく勇者の婚約者の立場にあった者が高位貴族の娘である以上、そう簡単に「無かったこと」にはできなかったからだ。
そして、エルミアーナの立場がぐらつけば、フェリクスにも影響が出る。
彼がリーゼンベルクの後継者となっているのは、エルミアーナが他家へ輿入れすることにより家を継ぐ直系の子がいなくなること――、それが前提だったからだ。
「……もし、『聖女様』が現れたら。わたくしの旦那様はフェリクス様になるのかしら?」
「エルミアーナ嬢!? おかしなことを仰らないでください。もし兄君の耳に入れ、ば――……」
フェリクスは眉根を寄せて言葉を切る。
エルミアーナはそれに気付かないフリをして、ふふっと笑った。
「そうですわね。お兄様は血を分けた妹を、それは大切にしてますものね」
エルミアーナは目を細める。
「どうしてなのかしら。不思議だとは思われませんこと?」
「……エルミアーナ嬢、それは」
フェリクスはもの言いたげな顔をしながらも、それ以上は明言を避けた。
だが、エルミアーナにはそれで十分だった。
フェリクス様は気付いた。
エルミアーナはそれを確信して微笑む。
彼はちゃんと気付いてくれたのだ。
何故、エイドリアンという嫡子がいるにもかかわらず、自分が後継者教育を受けているのか、という謎に。
あとは自分でどうにかしてくれるだろう。
彼が教員を務める学園は、前世の世界で言うならば「大学」に近い制度で成り立っている。教員たちそれぞれには各々専門分野があり、それをベースに教鞭を取っている。
彼が指導を担当しているのは、魔法や魔力についてだが、そんな彼の専門は、魔族。
つまり、精神操作の魔法についても、魔族自体についても、エルミアーナよりよほど見識が深い。
そして原作においても、聖女を助け導く知者という立場だった。
きっと、記憶が一部おかしいということにも、遠からず気付くだろう。
その点について話を詳細を聞くのは、もっと後。時期を見極めてから。しかし、種は早めに蒔いておかなくては。
「それでは、わたくしはそろそろ――」
「お待ちを」
要件は済んだ、と踵を返そうしたエルミアーナを、フェリクスが呼び止める。
「聖女、と言えばなのですが。以前街でおかしな噂を聞きまして」
「……おかしな噂?」
エルミアーナが問い返すと、フェリクスは胸に手を当てて頷いた。
「ええ。『自分は聖女だ』と、公言している少女がいるそうです」
エルミアーナは眉根を寄せる。そんなことを言いそうな――言うことが出来そうな人物は一人しか浮かばない。
「何故、その話をわたくしに?」
「必要なのではないか、と思いまして」
微笑むフェリクスからは、何の感情も読み取れない。
一体、どこまで分かっていて言っているのだろうか。
「お役に立ちますでしょうか?」
「……えぇ、とても」
それでは、と礼をしてエルミアーナは彼に背を向ける。
そして、彼の姿が完全に見えなくなってから、やれやれと肩を竦めた。
今後、聖女と対峙する上で、フェリクスを味方に引き入れる必要性を感じていた。
一度目の人生では、歳が離れていることもあり、殆ど交流らしい交流がなかった。そのため、エイドリアンへの違和感を糸口にして親交を持とうと思ったのだ。
一度目の人生で行われたあの処刑は、明らかにおかしい。
ああも簡単に貴族子女の処刑が決まるはずがないのだ。
それはつまり、外部要因――精神操作の魔法も含めた何かがあったのではないか。
エルミアーナはそう考えている。
魔法への対処、という点で、フェリクスほどの適任はいない。
また、エイドリアンという一番の不確定要素も、処刑が魔法絡みの可能性を考えれば、あの明らかに原作とは性格の異なる聖女と関係がある可能性が高い。
「……しかも、自分は聖女だと公言しているですって?」
フェリクスから与えられた新たな情報に、エルミアーナは口を引き結ぶ。
フェリクスとの接触は、ひとまず思った以上の成果が出た、と見て良さそうだ。
だが、それとは別の問題が出てきてしまった。
「ただの虚言か……、それとも――」
「ミア」
「!?」
考え事をしながら歩いていたエルミアーナは、突然後ろから抱きしめられて、心臓が止まるかと思った。
「お、お兄様!! 急に何なのですか!?」
「いやぁ……。僕の女神が浮かない顔をしてたから……」
エルミアーナを抱きしめていたエイドリアンは、悪びれる様子もなく、パッとその手を放した。
「『女神』……? いえ、そんなことより……。わたくし、浮かない顔なんてしてませんわ」
「いーや、してたよ。何か悩みがあるんでしょう?」
「そんなことは……」
否定するも、彼は一向に信じた様子はない。
だからといって、どうとも言えずに困っていると、エイドリアンがぽんと手を叩いた。
「そうだよね、言いたくないことの一つや二つあるか……。よし、それならミア」
「?」
「お出かけしようか!」
「……はい?」
エイドリアンはうきうきした笑顔で、唐突にそう言った。
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