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飲んでいた紅茶を吹き出しそうになったのは許してほしい。
「今、なんと……?」
おそるおそるエルミアーナが訊ね返すと、フレドリックは神妙な顔でもう一度同じことを言った。
「三日前、男と外出していたと聞いた。一緒にいのは誰だ」
「…………えぇと」
エルミアーナは額を押さえる。
その様子にフレドリックは眉をひそめた。
「俺に聞かれてはまずい相手みたいだな」
「違います。そういうわけではなくて――」
あらぬ誤解を受けているらしいというのは察せられたが、はたしてどう答えたものだろう。
フレドリックの言う三日前――、当然相手はエルミアーナにもわかっている。
あの日を境に姿を消したエイドリアンのことだ。
エルミアーナは「兄」と出かけていた。
本来ならそう答えれば何の問題もない。
だが、「今」もはたしてそうなのだろうか。
彼は姿を消した。
何より、エイドリアンがエルミアーナの兄だと「知っている」者は、おそらくそう多くはない。
魔法で操作された屋敷内の者たち以外に、どこまでその影響があるのかも疑問だ。
何より――
エルミアーナは己の身体をぎゅっと抱きしめた。
彼がもし、二度とここへ戻るつもりがないのなら、その魔法自体もう――
「兄です」
「なんだって?」
「兄と出かけていました。非難されるいわれは、無いはずです」
エルミアーナはフレドリックを睨むような勢いで、毅然と見つめ返した。
だが彼は、ますます眉間の皺を深め、首を横に振る。
「何を馬鹿な……。ついに頭がおかしくなったのか?」
「フレドリック様」
本当に、彼の言う通りおかしくなったのかもしれない。
「君には兄なんて――」
「やめ……」
彼の存在を疑う言葉を、言わないでほしいと思っている。
「――『兄』は、私のことです。フレドリック」
突如割って入った声に、エルミアーナは一瞬だけ期待した。
だがすぐに、聞きたかった声ではないと胸の中に抑えきれない落胆が広がる。
「フェリクス、様……」
「婚約者同士の逢瀬に乱入してしまって、申し訳ありません」
現れたフェリクスは胸に手を当てて謝罪してみせるが、その視線はフレドリックを射抜いたままだ。
「なぜ貴方がここにいるんです、フェリクス殿」
睨み合いでもしているような雰囲気の中、先に口を開いたのはフレドリックだった。
問われたフェリクスはニコリと笑みを浮かべて答えた。
「たまたま所用で通りがかったところ、無関係ではない話で口論されているご様子でしたので」
「……外出の件については」
「エルミアーナ嬢が街に出られたいとご所望でしたので。お忍びの際に身分を偽るのは、何らおかしいことはないでしょう?」
真偽を確認するように、フレドリックがこちらを見たのに気付いたエルミアーナは、慌てて頷いた。
フェリクスの話はもちろん嘘だが、エルミアーナをかばおうとしているのは明白だ。ここは乗るしかない。
「……何故、はじめからそう言わなかった?」
「エルミアーナ嬢は貴方に、あらぬ誤解をされることを恐れてらっしゃったのでしょう」
フレドリックのもっとも質問にも、フェリクスはしれっとそう返し、エルミアーナはただ頷くしか出来なかった。
「エルミアーナ嬢、今日はもうお開きになさっては? フレドリック、貴方も一度頭を冷やした方がいい」
「…………わかった」
フレドリックはいまだ納得がいっていないのか、憮然とした表情ながらも、その言葉に従って帰っていった。
「――フェリクス様、ありがとうございました」
フレドリックの姿が完全に見えなくなったあと、エルミアーナはフェリクスに深々と頭を下げた。
「いいえ。余計なことをしたのでなければ良かったです」
「まさか! とても助かりました。――ところで、ここへは本当に偶然?」
「あ……、そうですね、半分は」
「半分?」
「あの話の最中に通りがったのは偶然ですよ。でもここへ来たのは目的があってのことです」
フェリクスはすっと真剣な眼差しになって、エルミアーナを見据えた。
「貴女に聞きたいことが。貴女が『兄』と呼ぶ、あの男について」




