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 空腹と喉の渇きで目の前が霞む。


 ああ、なんて惨めなのかしら。


 足に力が入らない。両手を縛める鉄の鎖が酷く重い。

 残虐な見世物へとやって来た物好きたちが、落ちる所まで堕ちた女を嘲り笑う。だが、それに睨み返す気力すら、今の彼女にはなかった。


 ほんの少し前まで、わたくしも()()()()だったのに。


 自慢だった長く豊かな輝く金髪は、ざっくりと肩口で切り落とされている。貴族令嬢として何不自由なく過ごしてきた彼女に、突然降りかかった獄中生活。それは、讃えられた美貌をもすっかり失わせてしまった。

 身に付けるのはごわごわとした布でできた簡素な貫頭衣だけ。靴すら履くことは許されず、やわらかなその足は地面の石に傷つけられて、鎖を引かれるままに歩いた後に点々と血が落ちている。

 だが、それを憐れんでくれる人は誰もいない。


「……っ、は」


 真正面にある貴賓席、その端に唯一の肉親である父母を発見して、思わず乾いた笑いがもれる。

 ほんの少し――、ほんの少しだけ、期待していた。

 彼らにとってのただ一人の娘である自分へ、最期くらい、何か――と。

 だが惨めな姿の己に向けられたのは、あまりにも冷たい眼差し。用済みになったゴミを見るような視線だった。


 胸の中に言いようのない空しさが広がる。

 しかしこちらの感傷など気に留める者がいるわけもなく、鎖を引く手が止まったのに合わせて足を止めた。するとすぐさま、ここまで前を歩いていた衛兵によって跪かされる。

 王の御前だから、だ。

 貴賓席の中央に座る国王の隣に控えていた宰相が進み出て、こちらを鋭い眼差しで見下ろす。


「これより、罪人エルミアーナ・フォン・リーゼンベルクの処刑を執り行う」


 その言葉に、思わず身体が震えた。

 見ない振りをしていたが、彼女――エルミアーナの隣には断頭台があった。

 もう幾許もしない間に、この凶悪な装置によって首と胴とが切り離されてしまう。

 恐ろしくないはずがなかった。


「――最期に申し開きはあるか」

「申し開き、ですって……?」


 エルミアーナはそんな馬鹿なことを聞いてくる宰相を、キッと睨み上げた。


「そもそも、わたくしが何の罪を犯したと言うのです……!!」


 ろくな聞き取りもせぬまま、処刑を決めておいて、と怒りで頭がどうにかなりそうだった。

 しかし宰相は、蔑んだような視線を隠しもせず冷静に答える。


「聖女を害した罪だ」

「先に人の婚約者へ手を出したのは、あちらですわ!!」


 そう言いながら、貴賓席の両親とは反対の端にいる元婚約者の青年――の傍で怯えた顔を見せる少女を睨みつけた。

 国を救う聖女。その力を発現したがために、貴族の養女となった元平民の小娘だ。

 取るに足らない存在だと思っていた。

 エルミアーナの婚約者は、かつて聖女と共に国を救った勇者の家系。ゆえに歴代の聖女の多くが、かの家に嫁いでいるのは知っていた。だが、十年来の婚約がそんなことで揺るぐなど微塵も思っていなかったのだ。

 むしろはじめは、偶然にも同い年であった聖女に親近感を覚えさえした。同級生となる学園では慣れないであろう貴族としての振る舞いなども手助けできれば、などと考えていたのだ。愚かにも。


 なんて、世間知らずで浅はかな思いだったのだろう。


 寄り添い合う二人を見上げ、エルミアーナは歯噛みする。

 実際の彼らは、こちらのあずかり知らぬところで出会い、気が付いた時にはもう既に手遅れだった。


 今も忘れることができない。

 学園の中庭で親密な雰囲気をみせるあの二人を。小娘を見たこともないような優しい表情で見つめている婚約者の顔を。


「――如何な理由があろうとも、聖女を害した罪は許されるものではない」

「わたくしは聖女を害してなど……」


 エルミアーナは過去の幻影を振り払い、反駁しようとした。


「…………」


 いや、一度だけ。

 中庭の一幕を見た後、その場に乱入したエルミアーナは激情のままに小娘の頬をぶったことがあった。

 だがそれだけだ。

 決して処刑されるようなものではないはず。


 しかし宰相はじめ、周囲の人々の視線は冷たい。


「言い訳は無しか。まあ当然であろうな。とても言い逃れのかなわぬ証拠が揃っているゆえ」

「……証拠?」


 あの場には他に誰もいなかったはず。


 処刑理由のあまりの軽さにぼんやりとしながら訊ねると、宰相は頷いた。


「ああ。学内での傷害、窃盗は元より。決め手となった暗殺未遂。その実行犯も捕らえている」

「あ、暗殺……!? わたくし、そんな事――」


 していない。と言い切る前に、猿轡を噛まされる。国王が不意に手を上げたため、エルミアーナは隣にいた衛兵に拘束されたのだ。


「もうよかろう。これ以上、見苦しい言い訳は聞きとうない」

「御意に。では――」


 礼をした宰相の目配せで、エルミアーナは断頭台の方へ引きずられてゆく。


「……っ!!」


 わたくしは何もしていない。もう一度調査を――。


 どれだけ叫ぼうとも、意味を成した言葉にならず、誰の耳にも届かない。

 そうしている間にも、エルミアーナの手と首は固定され、もう身動きすら取れなくなった。


 こんなところで死にたくなんてなかった。


 その時、婚約者と目が合う。

 ふいっと逸らされる視線を見て、エルミアーナは頬に涙が伝うのを感じた。

 処刑を前にした元婚約者を直視できない程度には、自身の死を惜しんでくれているのではないか。そんな風に思えて、どうしようもなく嬉しい。

 そして、こんな状態になってさえ、いまだに彼のことを愛しているのだと気付いて、どうしようもなく悲しかった。


 断頭台の刃を止めていた縄を斬るように合図する声が、妙に遠く感じる。


 そして急に視界が反転した。


 その視界が、小娘の方を向いたのは偶然だった。

 愛した婚約者の影に隠れるように立つ女。


「……――!!」


 その顔が愉悦に歪んでいる。

 とても「聖女」のする表情ではない。


 嵌められた――!!


 そのことに気付くと同時に、エルミアーナの視界は暗転した。




「――――いやあああぁぁぁっっっ!!!」


 絶叫と共に跳ね起きる。


「あ……」


 周囲は見慣れた自分の部屋。

 押さえた首にも掠り傷ひとつない。


「え…………?」


 エルミアーナは、傍にあった鏡台に目を留める。

 そこには自慢の豊かな金髪を背に流した、ほんの少し幼さの残る顔をした自身の姿が映っていた。

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