106、口述筆記~文学(文芸)~
老いらくの恋。
ワシは加瀬伝蔵、齢は70を越えたしがない小説家である。
寄る年波には身体は勝てず、目が極端に弱ってしまった。
文字を書くことが出来ないのは、まさに苦痛である。思ったことを文字に紡ぐのが私の仕事、そして生き甲斐なのだ。
私は、それでも書きたい、そんな思いから、口述筆記をしてくれる人を募集した。
昔は、そこそこ小説で名が売れた私だ。
少なからず、この仕事に興味を持ってくれる人がいるだろうと期待したが、一か月たてど、誰一人あらわれやしない。
(潮時か・・・)
そんな諦めを抱いた時、現れたのがピチピチ女子大生のはるかさんだった。
ワシの胸はときめいた。
小説一筋60ン年、ただひたすらに小説に没頭し女人求めずここまできた。
だが、しかし、目の前の女性は、私が頭の中に思い描く女神そのものだった。
ワシとはるかさんの二人三脚の、新作づくりがはじまった。
「その時、一郎は」
私は声を発す。
「その時、一郎は・・・ですね」
はるかさんは、鈴の鳴るような美しい声を聞かせてくれる。
「衝動をおさえることが出来なかった。愛おしくしてたまらなく狂おしい気持ちになる彼女に、その思いを伝えようとした」
「衝動をおさえることが出来なかった。愛おしくしてたまらなく狂おしい気持ちになる彼女に、その思いを伝えようとした・・・ですね」
「うむ」
私は、小さく息を吸い込むと、
「だが、一郎は、その年の差に恐れを抱く。こんな僕が、あの人と釣り合うのだろうか、葛藤が常に自分にある。だけど抑えられない。この湧きあがる情念を浄化するには・・・告げるしかない」
「だが、一郎は、その年の差に恐れを抱く。こんな僕が、あの人と釣り合うのだろうか、葛藤が常に自分にある。だけど抑えられない。この湧きあがる情念を浄化するには・・・告げるしかない・・・ですね、先生・・・ずごくいいです」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「はるかさん、好きじゃあ!」
「・・・あ、私、そんなんじゃないんで」
はるかさんは、すきりと立ち上がると、ぺこりと一礼をして、右手を差し出す。
ワシは、激しい後悔をしながら、いつもより一枚多い封筒を渡した。
「ありがとうございました。先生さようなら」
「・・・あ」
去って行く彼女に、恐ろしいほどの情欲と憎悪を抱く。
頭にのぼった血がすーっと冷めると私はただただ自分を恥じた。
切ない。