決闘
俺は桃姫様お付きの爺さんと一緒に、馬場を囲う柵の外にいる。柵の中には桃姫様と、もう一人、立ち合い人らしきお侍がいる。
そして、対面するのは如何にも武士と言った風体の男。背はそれほど高くはないが、随分とがっちりした体形だな。左の腰には大小二本差し。太刀ではなく、近頃主流になりつつある打刀と呼ばれるやつだ。
その男に、立会人が近付いて行く。
「得物をお預かり致す」
そう言うと、その武士は刀と脇差を渡した。次いで、立会人は桃姫様の所にも行き、腰の小太刀を預かろうとする。地味な装束に桃色の柄と鞘は良く映えるな。太刀より短く脇差より長い小太刀は、非力な女子には向いている武器だ。
「姫様」
「ええ」
桃姫様は、促されて差し出した桃色の小太刀を立ち合い人に渡し、また彼はそれを恭しく受け取った。
「それでは双方、この中より好きな得物を選ばれよ」
双方の得物を馬場の隅にある台の上に乗せ、また、その台の近くにある木箱を差して立ち合い人のお侍が言う。なるほど、あの木箱の中には大小様々な木刀が入っているみたいだな。それに、槍や薙刀なんて長柄の武器もある。
その中から桃姫様が選んだのは、やはり自分が普段使っているのと同じような寸法の木刀。対する武士の方も自分の刀と同じような、標準的な木刀の大小を選んだ。
「あの~、もうちょっと近くで見たいんすけど?」
俺は剣術に関しては師匠との修行が殆どで、実戦もこの間の夜盗の連中が初めてだ。本物の剣術ってものを見た事がない。折角腕に覚えのある剣士が立ち合うんだから、近くでじっくりと見ておきたいよな。
そんな思惑もあって、俺は桃姫様お付きの爺さんに掛け合ってみたんだが。
「お主もそんな大層な太刀をぶら下げておるし、夜盗を七人斬り捨てた程の腕前と聞いておる。やはり興味があるかな?」
そりゃそうだ。俺としては刀鍛冶であって侍でも足軽でもねえ。けど、この間の夜盗みたいに、降りかかる火の粉は払わなきゃならない時だってある。強くなるに越した事はねえよな。だから答えは『もちろんです』だ。
そんな俺の無言の頷きを見た爺さんは、何やら桃姫様の所に近付いていき、了承を取ってくれたようだ。こっちに来いと手招きしている。その手招きに応じて柵を飛び越え、お付きの爺さんの近くまで駆け寄っていくと、その場にいたそれぞれが、様々な表情で俺を迎える。
桃姫様は薄く笑みを浮かべて。
お付きの爺さんは温厚な好々爺然とした顔で。
立ち合い人のお侍は苦笑い。
桃姫様の相手の武士はあからさまに厳しい顔で睨みつけてきやがる。
「弥五郎と言ったな。姫様の特別なお計らいだ。儂の側で邪魔にならぬよう見ておれ」
「あ、はい。ありがとうございます」
立ち合い人のお侍にそう言われて、俺は横に並んだ。
「手にした得物以外の使用を禁ずるが、相手の武器を奪って使うなどはその限りに非ず。正々堂々の勝負を期待する。それでは双方、構え!」
立ち合い人のお侍のその声で、桃姫様と武士が距離を取り、お互いに構えた。桃姫様は中段。武士は上段。
「某は駿河の国浪人、富樫源左衛門! いざ、参る!」
富樫と名乗った武士が気勢を上げる。駿河の浪人って事は旧今川家家臣の息子ってトコか。
でもなぁ、腕に覚えがあるんなら、どこぞに仕官しててもよさそうなもんだが。さては期待外れかな?
実際、俺から見るとその上段の構えも隙だらけに見える。そして思った通り、富樫は気合いの声だけは上げるが一向に動きがない。
「どうしたのです? やらないのであればこのままお開きにしても構いませぬが?」
一方の桃姫様は中段の構えを崩さずにいたが、中々攻めてこない富樫を煽るような言葉を口に出す。
剣を構えた桃姫様は、さっきまでとは随分と雰囲気が違う。なんて言うか、薄っすらと浮かべた笑みはそのまんま、めちゃくちゃ可愛いんだけど、ギラついた殺気みたいなモンを遠慮なしにぶつけてるんだよ、あの富樫に。
……まあ、負けたらあの富樫って人に嫁ぐ訳だからな。本気になるのも仕方ないか。
「ぐぬぬぬぬ! 言わせておけばこの小娘が! この勝負が終わったら、閨で存分に鳴かせてくれるわ!」
おおう、中々に下衆な、そして見事に悪役な台詞を吐きやがる。
「あら。それは楽しみですね」
しかし桃姫様は余裕を崩さない。というか、油断しすぎじゃねえかなぁ。確かに富樫ってのはそんなに強そうじゃねえけどさ。
「キエエエエエエエイ!」
まだ十五かそこらの桃姫様に舐められた富樫は怒髪天って感じだ。奇声を上げながら踏み込んでいく。
そして富樫の間合いになった瞬間、桃姫様も踏み込んだ。そりゃそうだ。桃姫様の得物は小太刀、富樫の木刀は届いても、桃姫様の小太刀は踏み込まなきゃ届かない。
富樫は構わず上段から木刀を振り下ろした。まともに当たれば骨が折れるくらいじゃ済まない。
桃姫様は一瞬小太刀で受けるような素振りを見せる。しかし素振りだけで受ける事はせず、右足を斜め前に踏み出して富樫の左へ流れるように動いた。そしてその速度が恐ろしく速い。
富樫の一撃は空を斬り、桃姫様はすれ違いざまに胴に一撃を当てていた。抜き胴という奴か。富樫のヤツ、多分見えてなかったんじゃないかな。それほど速い一撃だった。
富樫は苦悶の表情で腹を押さえ蹲っている。
「それまで! この勝負、桃姫様の御勝ち!」
立ち合い人のお侍の声が響き渡り、勝敗は決した。う~ん、桃姫様の踏み込みと体捌き、そして剣速はかなりのものだと思うけど、相手が弱すぎてイマイチよく分からなかったな。
それに何ていうか、この決闘は綺麗すぎるというか。俺と師匠の修行は、隙あらばやれ、みたいななんでもアリだったからなぁ。きっと桃姫様のが本物の剣術ってやつなんだろうな。