立て札と姫
「この辺りを治める戸田様のお城へ行き、この書状を見せるがよい。幾何かの金子を頂けるかもしれん。それで装いを改めるのがよかろう」
村を出る時に、食料の他に織部の爺さんがくれた一通の書状。俺は今、それを持ってお城の門の前に立っている。
島を出て無事上陸したはいいが、正直何処に漂着したか分からなかった。俺が身を寄せていたのは三島神社というらしく、中々に由緒ある神社だって話だ。あの爺さん、見かけによらず大物だったみたいだな。
で、その爺さんに言われて来たのがここ、伊豆下田城。小田原の北条氏が滅亡したあと、新しく徳川様が関八州を治める事になったんだが、戸田様もそれに伴ってこの伊豆下田に転封されたって事だ。
「……」
門番が二人立っている。だが俺は、その門番に話しかける事をせず、門の横に立てられた立て札に目を奪われている。
【姫の婿に相応しい者を探している。自薦他薦問わず。来たれ、我こそはと思わん者】
「は?」
俺は思わず声を出しちまった。いや、だってさ、『は?』だろ、これ。姫様の婿ってこんな感じで募集するもんなの? お侍や公家なんかに嫁ぐんじゃないの?
「あのう……」
「ん? ああ、その立て札か? お前も希望者か?」
立て札の内容が胡散臭いので、その事には触れずにこっちの用向きを伝えようとしたんだが、門番の方が勝手に誤解して説明を始めてしまった。
「姫様は剣術の達者でな。自分が嫁ぐなら自分より強いお方ではないと認められないと仰るのだ」
「へえ、それで、その姫様から一本取れば合格! ってな感じっすか?」
「まあ、そういう事になるだろうな」
ほうほう、なるほどなぁ。男勝りなお姫様か。ま、俺には関係ねえや。
「俺は遠慮しておきますよ。いや、そうじゃなくて、三島神社の織部って爺さんからこの書状を預かってきたんすよ」
「何? 織部殿から? ちょっと拝見する」
俺は門番に書状を渡した。爺さんの名前を出した時から門番の顔つきが変わったんだけど、やっぱり偉いのか? あの爺さん。
「ふむ。ちょっと付いて来てくれ」
俺はそう言う門番の後に付いて行った。それにしても、立派な庭と建物だなあ。眼下には下田の漁村。そして海を臨んだ向こうには、島が小さく霞んで見える。師匠、元気にしてやがるかな?
「それでは、ここで待っているように」
大きな庭の片隅にある東屋まで来ると、門番はそう言ってお屋敷の方へ歩いていった。
残された俺は、東屋の椅子に腰かけ、ぼーっと庭を眺めていた。池、そして敷き詰められた砂利の中に並ぶ飛び石。緑が眩しい松の木。その庭の向こうを見れば、柵に囲われた馬場が見える。
ここは五千石の武将の居城な訳で、海から攻め来る敵を抑える要衝だ。そういう施設もあるだろうな。
「お待たせ致しました」
ぼんやりと風景を眺めていた俺の背後から、いつぞや聞いたような、鈴を鳴らしたような声がする。
俺は慌てて立ち上がり、すぐさま片膝をつき頭を下げた。腰の太刀も外して地面に置く。城の門番が呼んでくるようなお方だもんな。多分偉い人だ。
「うふふふ。お顔を上げて下さい。弥五郎殿?」
「はっ――っは?」
顔上げて声の主を見る。そこにいたのはあの海岸で握り飯を恵んでくれた、あの美少女だった。思いがけない再会に、俺は上手く言葉を紡げずにいた。なんか後ろに一人、爺さんがいるがそっちは目に入らん。
「いつかの砂浜以来ですね。どうやらあの時貴方を助けたのは間違いではなかったようです」
俺の事を覚えててくれた! それだけで俺の心は舞い上がった。
「俺は島の刀鍛冶、弥五郎と申します! いつぞやは助けて頂いたのに碌にお礼も言えずに――」
「いいえ、礼を申さねばならぬのはこちらの方ですよ? 我が領民を救い、賊を討伐していただいた事、感謝申し上げます」
そう言って美少女はペコリと頭を下げた。
えっと……
今『我が領民』って言ったよね? やべえ、変な汗が出てきた。どこかのいいとこのお姫様かとは思ってたけど、いや、まさかまさか……
「あら、私としたことが申し遅れました。戸田 桃と申します。不在の父と兄に成り代わり、改めて御礼申し上げます」
ポカンと口を開けてる俺を見て、まだ名乗っていない事に気付いたびしょう――いや、桃姫様が名乗ったんだけど、もう確定だ。本気で姫様だった!
砂浜で姫様から食い物を恵んでもらうなんて、無礼なヤツだと思われてるだろうなぁ……
で、それはそれとして、俺は気付いてしまった事があるんだ。お姫様ってさ、こう、華やかさがあると思ってたんだけど、桃姫様は砂浜で会った時と同じような、地味で動きやすい装束を身に纏っているんだ。それに今日は、桃色の鉢巻き、籠手に胸当て、脛当てまで装備して、まるでこれから戦いでも行くんじゃないかって感じなんだよな。そして腰にはあの時の桃色の小太刀が。
「ああ、コレですか? フフ。これから少々催し物があるのですよ。良かったらご覧になっては? じい、例の品を弥五郎殿に」
俺の視線に気付いた桃姫様が、ニコリと笑いながら催し物だと答える。そして、後ろの爺さんが桃姫様に言われて巾着袋を持ってきた。じゃらじゃらと音がするところを見ると、中身は恐らく銭だろう。
「では、失礼しますね、弥五郎殿」
桃姫様はそう言って、馬場の方へと向かって行った。
「門の外の立て札は見られたかな?」
桃姫様を見送る俺に、爺さんが話しかけてくる。
「ああ、はい。姫様の婿候補がなんたらかんたら」
「然り。これから行われるのは、姫様を欲する相手が姫様に決闘を挑むというものじゃ。滅多に見られるものではない故、見ていかれるのがよいだろう」
なるほど。あの立て札の内容はこういう事か。
「……心配ではないのですか?」
女の細腕で、腕自慢の男相手にするんだろ? 普通は心配になるだろうが?
「まあ、見ていれば分かる」
やけに自信たっぷりな爺さんに興味を引かれ、俺はその『決闘』を見学していく事にした。まあ、男の方も嫁にしたい女を傷つけるような事はしないだろ。