満天の星空の下で
「急ぎ水軍の編成をせよ! 数は最低三百! 数が揃い次第利島に向けて出陣じゃ!」
城代を務めている安形正秀が、報告に上がった家臣達に発破をかける。
海賊討伐に向かった桃姫が、単身利島に乗り込もうとした守役の伊東弥五郎に付いて行ってしまったという報告を受けての事だ。
利島を根城にしている海賊の数は五十を超えると言われており、僅かな人数で乗り込むなど死にに行くようなものだ。本来ならばみすみす桃姫を見逃してしまった家臣達に切腹を申しつけたいところだが、今は時間が惜しい。
「こうなっては、あの弥五郎という男に頼るしかあるまいな……頼むぞ。数日中には殿も帰って来られる。その時に姫様にもしもの事あらば、我等は纏めて腹を斬らねばならんぞ」
安形は、苦渋の表情で弥五郎が作った鉄瓶を見ながらそう呟いた。
△▼△
俺達は島民の家を一晩借り受ける事にし、取り敢えず飯と休憩にありついた。島を解放してくれたという事で、島民には快諾された。
海賊共を全滅させた事を告げるともちろん感謝されたが、桃姫様が伊豆下田城の城主の娘と分かると、この利島を含む伊豆諸島の安全をどうにかして欲しいという声を上げる者もいた。
桃姫様は、そんな島民一人一人の声に耳を傾けていた。この場で確約出来る話でもないので、城に戻って戸田の殿様に直談判する事は約束していたようだ。
そして船を守っていた太郎、次郎、三郎(仮)の三人は、激闘を終えたばかりの俺達に変わって、島長の屋敷へ向かい事後処理を行っている。囚われている娘達の解放や、海賊達が奪った品々などの押収とかだな。
「それでは、事後処理は島長の屋敷に向かった三人に任せ、あなた方はお休みなさい」
桃姫様が俺達にそう言うが、おなつさんも孫左衛門も首を縦に振らない。
「休ませるのは弥五郎殿にして下さい。コイツは一人で四十人近く斬ってます。俺達とは疲労の度合いが違う」
「それに頬に深手を負っていますので、姫様に看病をお任せお願い申し上げたく……」
まったくこいつらは……
明らかに俺に気を遣っている発言は嬉しいが、あの二人だって山道を駆けあがって来てるんだ。疲れていない訳がない。
「ちょっと星空でも眺めてくるよ」
俺はそれだけ言って家を出た。師匠といた島から見た星空も綺麗だったけど、この利島から見上げる夜空もまた格別だ。ガキの頃から、師匠との修行で下手こいて、夜空を見ながら眠るだなんてしょっちゅうだったしな。このまま星空を枕に眠るのも悪くない。
満天の星空を見上げ、両腕を枕にゴロリと寝転がる。
別段なんの感傷もありはしないけど、師匠が厳しく鍛えてくれたのは、こういう時の為だったって事は何となく思う。実際、鍛冶職人としても、用心棒としても、誰かの役に立ててる実感はあるからな。
それから、俺がちょっと普通じゃねえって事も。
十五かそこらのガキが使う素人剣術が、こうも一方的に人を殺せる訳がない。多分俺は自分で思っているより強いんだろうな。周りが弱いんじゃなくて。
それなら、俺は桃姫様をお守りする事でお役に立てるかなぁ。
お側にお仕え出来るだけの理由になるかなぁ。
そんな事をぼんやり考えていると、一人分の足音が聞こえて来た。
こういう時に現れるのは大体おなつさんなんだけど、いつもは気配を消して来る。って事は?
「弥五郎……」
桃姫様だった!
俺は慌てて身体起こす。
「そのまま、寝転がっていていいですよ?」
桃姫様はそう言って、俺の隣に横座りになる。寝転がっていいとは言われても、仕えるべき主人の前でそんな恰好は出来ない。俺は上体を起こし、胡坐をかいて桃姫様に並ぶ。
「綺麗な星空ですね」
「……はい」
星空を見上げながら桃姫様が言う。別に、俺と一緒に星空を眺めに来た訳じゃないだろう。会話の切っ掛けが欲しかったに過ぎない。だから俺も短く返事をする。
「私、怖かったのですよ? あのまま弥五郎が戻らなかったらどうしようと……」
「……」
確かに、桃姫様を逃がす為、あの時俺は殿となって時間を稼ぐつもりだった。だからと言って、ハナから生を諦めていた訳でもない。
それでも、桃姫様に並々ならぬ心配を掛けてしまった事は事実だ。俺は無言で頭を下げる。
「弥五郎? あなたはその身を懸けて私を守ってくれるのですよね?」
「はい」
「ならば、常に私の側にあるべきではありませんか?」
桃姫様の問いかけに、俺は答える事が出来なかった。
確かに、字面通り捉えるならそうかも知れないな。しかしそれは……
今回の俺は間違っていたんだろうか?
「私は、此度の事で初めて、部下を失うのが恐ろしいと感じました」
答えない俺に焦れた訳でもないのだろうが、星空を見上げながら桃姫様は続ける。
「いえ、違いますね。弥五郎、あなただから、失うのが恐ろしかったのですね」
これもまた返答に困る発言だった。謝るべきか、礼を言うべきか。
「弥五郎。これは命令ではなくお願いです。これからは、いかなる事があろうと、私の側から離れないで」
星空を見上げていた桃姫様の顔が、そっとこちらを向いた。宵闇の中、月と星に照らされた彼女の顔は美しく幻想的ですらあった。でも、その視線は哀願ともとれるもので、その瞳に俺はすっかり魅入ってしまった。
「もし、二人で窮地に陥った時、あなたを看取るのは私でありたい。そして私が看取られるならばあなたであって欲しい」
この桃姫様の言葉は重みがある。
確かに生涯守れと仰せつかったが、これはまるで夫婦の契りを交わすような、そんな切実さを感じてしまう。
俺は桃姫様に向かって正対した。足は胡坐のままだが両拳を地面に付け、頭を下げる。
「桃姫様。俺は賊に両親を殺された、素性の知れぬ孤児でございます。こんな自分が、桃姫様のお側にお仕えして良いものか、未だに分かりません。本当に、俺で良いのですか?」
俺がそう言うと、桃姫様もこちらにきちんと向き直り、正座で俺と相対する。
「忘れているかも知れませんが……私の婿は私より強い者と決めています。弥五郎、あなたは既にその資格を手に入れているではありませんか」
「は?」
そう言えばそうだったが、思わぬ展開に思わず頭を上げて、桃姫様を見つめてしまう。きっと俺はポカンと口を開いたままだったろうな。
「城に戻れば、父上もお戻りになっている頃でしょう。弥五郎、見事私をモノにしてみせなさい」
「はっ!」
月明かりに照らされた桃姫様は、優しく微笑んでいたように見える。
なにかとんでもない事になった気がするけど、とりあえず、今はこの幸せな時間を甘受しよう。




