は? キャッキャウフフ?
もうこれ以上絞っても何にも出てこねえだろうな……
そんな状態まで砂浜を走らせた俺は、桃姫様に手拭いと竹筒に入れた『美味しい水』を差し出した。
砂浜に仰向けに寝転がり、太陽の光を遮るように手を翳していた桃姫様は、既に呼吸は整っていた。
「弥五郎……起こして下さい」
もう全身に力が入らないのか、その翳していた手を恥ずかしそうに伸ばしてきた。可愛い。
こんな時におなつさんは何をやっているのかと思ったが、桃姫様に感化されて砂浜全力疾走を繰り返したお供の皆さんの所へ行って、水や手拭いを配っていた。
「ありがとう」
俺に引き起こされた桃姫様は、そのまま横座りになり、竹筒と手拭いを受け取った。
「……おいしい」
手拭いで汗を拭ったあと、竹筒の蓋を開けて中の水を口に含んだ彼女は、万感の思いを込めてそう言った。それはそうだろうな。あれは俺の白湯を竹筒に入れて、井戸の中でよく冷やしたもんだ。こういった厳しい修行の後は、身体中に染み渡るはずだ。
「弥五郎は、このような厳しい鍛錬を幼少の頃より毎日続けていたのですか?」
う~ん……
『はい』か『いいえ』で言えば『はい』なんだが、この程度は厳しいうちに入らねえんだよなぁ。
「ええ、毎日でした。でも、これは訓練前の軽い運動みたいなもんなんですよ」
それを聞いた桃姫様の開いた口が塞がらない。
「これが終わった後、師匠と戦って、その他にも水くみとか薪割りとか」
「まぁ……」
海は凪ぎだ。何となく、海の先にある島を遠く眺める。
集中してくると、波の音さえ静寂の一部となる。自分も鍛錬を積めば、いつかはあの師匠に勝てる日が来るだろうか。その静寂の中で、俺はそんな事を考えていた。
「弥五郎?」
そんな俺を、桃姫様が小首を傾げて見上げている。
あの頃の俺はどんな気持ちで修行してたんだっけ?
そうだな。初めは嫌々やってたよ。誰があんな辛い事好き好んでやるかって話だ。
強くなりたい? それもないな。師匠の仕事は鍛冶職人だ。強くなる必要はねえ。だから剣術の修行をやる必要性が分からなかった。
結局は、俺を拾ってくれた師匠に捨てられたら生きていけない。それが怖かったからだと思う。
それに、鍛冶の仕事は面白かった。俺が作った鎌で草が刈れた。俺の作った包丁で魚が捌けた。俺の作った鍬で畑を耕せた。そういうのがたまらなく面白かった。師匠の下で技術を習得するのが楽しかったから、師匠に従ってたんだ。
俺の名を呼んだまま、ずっとこっちを見てる桃姫様に視線を向けると、そのまま視線が合う。
そうだな。
俺は鍛冶職人であって、剣士でも戦人でもねえ。でも、守りたい人がいるじゃねえか。俺はまだ弱い。だから強くならなきゃ守りたい人を守れない。
「明日から俺も一緒にやります。今日はここまでにしましょう」
そう言って俺は桃姫様に背を向け、しゃがんだ。
「しつれい、しますね」
桃姫様の遠慮気味な言葉とともに、柔らかな感触と、やや熱いと感じる体温が覆いかぶさってきた。
軽い。この華奢な身体で賊相手に斬り結ぶってんだから、やっぱり俺も強くなって守らなきゃならねえ。そしていつか、師匠から一本取ってやるぜ!
△▼△
「ふぅ~……染み渡るようです」
ちゃぽんと水音をたてながら、姫様がつま先からゆっくりと湯に入っていく。やがて肩まで浸かった姫様が気持ちよさそうに目を閉じて、艶めかしい声をあげた。これ、弥五郎が聞いてたら絶対に昇天ものだわね。
「鍛錬の後は四肢に疲れが残ってしまうだろうから、温泉でよく解しておくようにと弥五郎様からの仰せなんですよ」
「まあ、そこまで見越していたということは、初めから私を厳しく鍛えるつもりだったのですね?」
「うふふ、どうでしょうか?」
この鍛錬の後は温泉で身体を癒す。これが弥五郎の指示だった事を伝えると、姫様が分かりやすい笑顔を浮かべながら答えた。修行は私ですら眉を顰める程の厳しさだったけど、その厳しさもこういう気遣いまで込みの話だと分かると、やっぱり嬉しいんでしょうね。
そして私は湯上りの姫様のお足を揉み解して差し上げたのだけど、もう凄いパンパンになってるの! これは私じゃなくて男の力、いえ、弥五郎の力の方が効き目がありそうね……
「おなつ? なにか悪い笑顔をしてますね……」
あらやだ! 私ったら顔に出てたのね!
「姫様、ちょっと張りが酷すぎて私の手には負えません! 弥五郎様を呼んで来ますね!」
「えっ!? ちょっ! おなつ!? それはダメですーーーっ!」
うふふっ、面白いものが見れそうね!
弥五郎を呼びにいく私の足取りは軽かった。




