砂浜の特訓
俺達は徒歩で城を出て、海辺へと向かった。小さいが砂浜もある。走り回るには十分だ。
城から見るとすぐ眼下に見える砂浜も、いざ歩くとなると中々の距離がある。途中で桃姫様が一人、歩きの調子が遅くなってきた。
「はぁ、はぁ……歩くだけでこんなにきついなんて……」
早くも筋力強化帯が効力を発揮しているみたいだな。桃姫様の表情が険しくなり、呼吸も荒くなっている。一応、全員が桃姫様に合わせて歩く速度を落としているが、桃姫様の異変に気付いているのは俺とおなつさんだけか。
それでもなんとか砂浜に辿り着くと、おなつさんが桃姫様を気遣っていた。
「さて……」
桃姫様はおなつさんに任せ、俺は修行の準備へと入る。まあ、準備と言っても走るだけだからな。それほど大したもんじゃない。手頃な棒きれで砂に一直線に線を引く。大き目の流木から一町の距離。
「なあ、この線ってどうすんだい?」
相変わらず長巻を首の後ろに担いだ奥山孫左衛門が、人懐っこい笑みを浮かべながら聞いてきた。傾いた格好にデカい身体、かなり威圧感のある男だが、ニッと笑う顔は中々魅力的だと思う。
「ああ、この線からあの流木までを往復する。ただし全力で走ってもらう」
「へ? それだけ?」
「ああ。俺がいいと言うまで何回もな」
「それやれば、俺もアンタみたいな踏み込み、出来るようになるのかい?」
「ああ、多分な」
まあ、一朝一夕に出来るもんじゃねえけど、そのうち近い事が出来るようにはなるだろ。
「よおっし! じゃあいっちょ俺様がやってみるかぁ!」
孫左衛門がそう言って長巻を砂の上に置こうとする。
「おい、何やってる?」
「あ? 走るのに邪魔だからよ!」
「あんたはバカか? 戦場で走りにくいからって、得物を置いて走り回るのか?」
「うっ……」
俺に正論をぶつけられて、孫左衛門はバツが悪そうに長巻を担いだ。そして視界の端では、桃姫様も同じように小太刀を拾い上げていた。あんたもかーい!
ともあれ、若干疲れも癒えた桃姫様と孫左衛門が線上に並んで立った。他の護衛の三人は見物か。やれやれ。守るべき対象がこれから走るってのに。
「よーい! どん!」
桃姫様と孫左衛門が同時に飛び出すが、桃姫様はどうにも足取りが重い。孫左衛門のほうは力業で砂浜を駆ける。はは、あの走り方、すっげえ疲れるんだぜ?
「はぁ、はぁ、や、弥五郎……少し休憩、を……はぁ、はぁ」
これを二本終えたところで、桃姫様が根を上げた。んー、俺も桃姫様にこんな厳しい事をしたくはないだけどなぁ。でも、心を鬼にして。
「この鍛錬は、俺が十にも満たない時にやってたんですよ」
「――!!」
これがまたキツイのなんのって。
でも、俺の一言で桃姫様の瞳に光が戻った。
「やります!」
桃姫様がそう言って立ち上がり、俺の合図を待たずに走り出す。孫左衛門は大の字になって伸びたままだ。
情けねえな、コイツ。お前は足首に錘巻いてねえんだからちゃんと走れ。
「おら、起きろ。桃姫様が根性入れてんのに伸びてんじゃねえ。そのゴツイ見た目は本当に見た目だけか? あん?」
「く……アンタ、鬼だな」
孫左衛門は恨めしそうな顔で俺を見上げる。
「あのな? 桃姫様は、足首に錘の入った帯を巻き付けて走ってんだ」
「なんだぁーっ!?」
孫左衛門は俺の言葉聞いて驚き、そしてヨタヨタしながらも必死で流木に向かって走る桃姫様を見る。砂に足を取られ、歩いているのか走っているのか分からないような速度だが、必死に足を前に踏み出し、桃姫様は流木を目指す。
「ちっ……あんなの見せられちゃあ、やらない訳にはいかないねえ!」
孫左衛門もガクガクと笑う膝に必死に力を込め立ち上がり、桃姫様の後を追うように走り出した。
それを見送る俺の傍らに、おなつさんがやってきた。
「厳しいわねえ?」
「んな事ねえよ、俺の修行に比べればこんなもん……」
遠い目をする俺に、おなつさんが呆れている。いや、そんなに呆れられても本当なんだから仕方がない。あんな風にモタモタ走ってたら木刀が飛んでくる。
「でも、真面目な話、あれじゃあ姫様、帰りは歩けないわよ?」
「そっか。そりゃ困った。おなつさん、頼むよ」
――ぺしっ!
ってえなあ。最近気軽に俺の頭叩きすぎだろ。
「弥五郎がおぶって行くの! いい? 絶対だからね!」
おなつさんはそれだけ言うと、ててて~っと波打ち際まで走り去ってしまった。
そうか。俺がおぶって帰るのか。
……
…………
………………ちょっとまて。
いやいやいや! まてまてまて!
おんぶってアレだろ? 俺の背中に桃姫様がガバッとこうくっついて!
それはもうおんぶだろ!
△▼△
私は悔しかったのだと思います。
こんな重いものを足首に巻き付け、歩くだけでもきついのに砂浜を走れだなんて。弥五郎は私を嫌いなのでしょうか?
――この鍛錬は、俺が十にも満たない時にやってたんですよ
その言葉を聞いた時、彼は私を嫌いだからこんな事をしているのではなく、自分を目指す者のために自分がしてきた事をやらせている、ただそれだけの事なのだと分かりました。
そんな事を聞いてしまっては、これしきの事でへこたれている訳にはいかないではないですか!
弥五郎が幼子の頃からやっている鍛錬、それを大人の私が途中で音を上げるだなんて……
でも、精神が肉体を凌駕する。それはそんなに容易い事ではありません。私はついに足が前に出なくなり、そのまま砂浜につんのめってしまいました。
そこへおなつが駆け寄って来ました。
「帰りは弥五郎様におぶっていくよう命じて下さいね?」
おなつ……
あなたという人は!
策士ですね☆