桃姫様、鍛錬する
「おなつ、中村殿を」
「はい。もう、弥五郎様? 少しぐらい手加減して――」
「桃姫様が手加減無用と申されたので。いや、むしろ殺さないだけ手加減してます」
桃姫様が、鉢を割られて気を失っているへのへのもへじの処理をおなつさんに命じると、おなつさんは少し恨めしそうな顔で俺を見てきた。せめて自力で動ける程度にしてくれという事なんだろう。だが断る。
こいつは砂浜で俺を蹴りまくり、挙句の果てに馬を打つ鞭で俺を叩こうとしたヤツだ。これくらいやってもまだ温い。それに、義父殿の姓である伊東を名乗って尚見下してきたって事は、コイツは義父殿に敬意を抱いてねえって事だ。
……俺を責めようとしたおなつさんにも、ついつい冷たい口調になっちまったな。
「あー、ちょっとね。個人的に色々あったもんで。おなつさん、悪いけど片付けといて?」
「もう、しょうがないわねー」
個人的に色々あると聞いて、おなつさんも引いてくれた。さて、そうすると桃姫様と二人きりという非常に気まずい展開になっちゃう訳だけど……
「弥五郎、一手ご指南願います」
桃姫様が静かに、そして丁寧に頭を下げた。さすがに主に頭を下げさせるのはどうかと思い、俺も慌ててしまう。
「あっ! いや! 桃姫様? そこはズバッと命令していただければ!」
焦りまくって発した俺の言葉に、顔を上げた桃姫様がきょとんとしている。なにこのかわいいの。
「いえ、稽古を付けていただくのは私の方ですから、弥五郎に敬意を表すのは当然でしょう?」
「あ、いや、その……」
稽古と言ってもなぁ。
俺が教えられる事なんて、正直何もないぞ? 型なんてないし、技も師匠との実戦訓練で培った我流だし。
「そんな弥五郎から一本取る! そうすれば私も次の高みへと……!」
俺が事情を説明したのにも関わらず、桃姫様の反応はこれだ。今朝の気まずさは一体どこへ行ったんですかー?
「あのー、桃姫様? 聞いてました?」
俺の剣は踏み込みの速さ。そして太刀を繰り出す速さ。さらに一撃の強さ。それだけしかない。敢えて言うなら野生の剣ってとこかな?
それに比べて桃姫様の剣は洗練された綺麗な剣だ。工夫を重ねて磨いてきた技術の剣。まるで俺とは正反対。俺が教えてやれる事なんて全然ないと、本気でそう思っている。
「まあ、そう言わずに! お願いですからっ!」
うっ……そこまで懇願されるとなぁ。
「分かりましたよ……では、桃姫様が打ち込んで来て下さい。俺からは手出ししません。一撃当てられたら桃姫様の勝ちです」
「うっ、それはあまりにも……いえ、分かりました! 必ず当ててみせます!」
俺は基本的に受けが苦手だ。攻撃特化と言っていい。だけど、桃姫様に万が一怪我でもさせちまったら切腹ものだからな。痛いのは嫌だけど、桃姫様に怪我させるよりはマシだ。そう思って出した条件だったんだけど、なぜか桃姫様の闘志に火がついてしまった。
桃姫様はキリリと鉢巻きを締め、小太刀と同じ寸法の木刀を握ってこちらを見据えた。うん、凛々しい。
対する俺は無手だ。余りにも苛烈に攻められると条件反射で剣が出てしまい、桃姫様を傷付けてしまう恐れがある。それこそが俺が師匠から言われた『考えるな、感じろ』の極意だ。まあ、考える前に手が出るってヤツだよ。
「参ります!」
こっちの思惑なんぞお構いなしに、桃姫様は木刀を手に飛び込んで来る。こういう時は何よりも相手の動きをよく見る事が肝心だ。どっちの足を軸にするかを見るだけで、斬撃が右から来るか左から来るか予想が付いたりする。
……桃姫様のような、基本に忠実な綺麗な剣術は特にな。
右足が前。そして右上からの斬り下ろし。まあ、定石通りと言っていい。中々鋭い振りだ。それに比べればやや踏み込みが弱いか。来るのが分かっているから避けるのも容易い。俺の左から来る攻撃は、右に避けるのではなく敢えて左に避ける。そうする事で桃姫様の背後を取りやすくなるからだ。
でも、よい子は真似しちゃだめだぞ? 攻撃が来たら一生懸命逃げろ!
「なっ!?」
桃姫様の背後を取った俺は、首筋にそっと手刀を当てる。これが実戦なら今ので首が飛んでいる訳だ。
「終了ですよ?」
俺がそう言うと、桃姫様は悔しそうに顔を顰める。そしてキッと目線を上げた。
「もう一番!」
「いいですよ」
桃姫様は俺の予想以上に負けず嫌いだったようだ。その後も何度も何度も挑んでは敗れを繰り返し、ついには桃姫様がへたり込むまで続けられた。
「はあ、はあ……」
肩で大きく息をしている桃姫様に、手ぬぐいを手渡した。あ、ちゃんと洗ってからまだ未使用のヤツだぞ?
「ありがとう……」
ほんのり上気した首筋の汗を拭う姿は年齢以上に艶めかしく見える。だけど俺はそんな所じゃなく、稽古を付けている間、桃姫様の動きをちゃんと見ていたんだぞ? いや、ホントに。
さて、それじゃあ桃姫様の呼吸も落ち着いた事だし、今日ので見えてきた課題を提示してみようか。
「桃姫様」
「……はい」
俺が神妙な面持ちで語り掛けると、彼女も姿勢を正して正面から俺の視線を受け止める。普段ならここで桃姫様の可愛さに俺がデレるところだけど、残念ながら今日の俺は非常に真面目だ。
「桃姫様の剣の振りは問題ないと思います」
そう、振りの速度、鋭さ、共に男顔負けと言っていい。その速くて鋭い斬撃は、小太刀の小回りの良さと相まって、接近戦ではかなり強いだろう。
「では何が……?」
「下半身です」
「かはっ!?」
下半身と聞いて、突然桃姫様が腿のあたりを押さえて隠すように身をよじる。いや、そういうんじゃないって……
「いや、足腰の強さや使い方って事なんですけど……」
「あっ……!」
踏み込みの速さや踏ん張り、体の入れ替え、この辺りが桃姫様の弱点と言っていい。剣筋の鋭さに踏み込みの強さと速さが加われば、さらに桃姫様は強くなる。
「なるほど……」
おお、俺が何も言わずとも、何かに気付いたみたいだな、桃姫様。さすがだ。
「弥五郎! 明日からは足腰の鍛錬をお願いしますね!」
そんな笑顔で言われてもな。
想像を絶するキツさなんだよね、足腰の鍛錬って。




