ご褒美
北条が滅び、奥州の伊達政宗が秀吉に降ったとは言え、まだまだ戦国の世は終わっていない。
その奥州では、秀吉の小田原攻めに駆け付けなかった大名や豪族の仕置きが始まっているし、それに伴って一揆や反乱も起きている。城主の戸田忠次様と嫡子の尊次様はその奥州仕置きで出陣中とかで、城代は重臣の安形様が勤めているそうだ。
もっとも、姫武者である桃姫様もある程度の権限は持っているそうで、安形様もじゃじゃ馬の手綱を握るのは苦労しているらしい。
「女と言えどもこの戦国の世では強き事は尊い事だってか?」
俺の前を歩くおなつさんに、ざっくりと現在のこの戸田家の内情の説明を受けたんだが、抱いた感想はそれだった。
「実際、姫様はお強いからね! だからあんまり口うるさく言えるお方も少ないのよ。その上正義感も強いから、盗賊が出たと聞くと黙ってはいられないから討伐に出ちゃう」
ははは。なるほど。
あの砂浜で出会った時のお付きの侍、やけに機嫌悪かったのはそういう事に連れまわされていたからかも知れないな。
あれ? そしたらあの時もおなつさんはこっそり俺を見てた?
「俺が砂浜で桃姫様と出会った時、おなつさんもどこかで見てたのか?」
「ううん、あの時は盗賊の連中も捕えた後で、私は一足先に次の旅籠で待ってたの。陰ながらこっそりと、だけどね」
隠密ってのも大変だよなあ。知られないようにこっそりお守りするなんざ俺には無理だわ。
「姫様はほんとに領民思いなのよね~」
そうか。領民から見れば北条の支配と徳川の支配、どっちがいいかって比較になる。これで前の北条の方が住みやすかった、なんて事になると不満は膨らむよな。
その辺を計算してるのかどうかは分からんけど、桃姫様のそんな行動は領民達の好感度を上げる効果があるのかも知れないな。
「あれ?……桃姫様のお屋敷?」
おなつさんに連れてこられたのは二の丸にある桃姫様のお屋敷。もっとこう、殿様のお屋敷とか本丸とか、そういう所でやるのかと思ってた。
「お客人と言っても交易商人だしね~、格付けってものがあるのよ」
なるほど。これが徳川様の御家来衆とか、偉い方が見えた時だと一番格式の高いところでやるとか、そんな感じなのか。
「ここで待っててね? 覗いたら刺し違えてでも殺すからねっ!?」
お屋敷の中に入ると、とある部屋の前の廊下で待ってるようにとおなつさんに言われた。極上の笑顔で物凄く物騒な事を言われたんだけど、察するに、ここが桃姫様のご寝所とか、そんな感じなのかな?
つか、覗かねえよ……
そして待つ事少々。
――スーッ
桟と木枠が擦れる音と共に、襖が開かれた。
「おお……」
出てきた桃姫様の姿に、俺は思わず呆けてしまう。
「弥五郎! どうですか? 似合いますか!?」
桃姫様が、ちょっと恥じらいながら袖の柄が見えるように両手を肩の高さまで上げて、くるりと回った。
武家のお姫様らしく、華美な化粧や飾りは殆どない。薄く唇に塗った紅。そしてきめ細かい白い肌。いつもは纏めて結んでいる艶やかな黒髪は、後ろでゆったりと束ねている。もちろん髪紐は桃色だ。
「……はい。可愛いです……」
「もう! 弥五郎ったら! そうではなくて、この着物です!」
「……はっ!?」
桃姫様が栗鼠のように頬を膨らませてぷんすこ怒る。やべえ、それすらも可愛い。ご馳走様でした。俺は心の中で合掌した。おっと、そうじゃない。あんまりにも桃姫様が可愛かったんで、着物にまで目がいかなかった。
――!!
「とても……よくお似合いです」
俺はそれしか言葉が出なかった。
紺色の小袖姿。控えめに言っても地味だ。だけど、帯は鮮やかに橙色。そして帯の前には俺が打った蟷螂切が差してあり、どちらも紺色の着物によく映える。
桃姫様は橙色を俺の色だと言った。それを身に着けてくれる。もう天にも昇る……ってそれじゃダメだな。気を確かに持て俺!
「うふふっ、姫様ったら、『これ、変じゃない? 弥五郎、気に入ってくれるかしら?』って、そりゃもうソワソワしてたんですよ、弥五郎様?」
「あっ! おなつ! 余計な事は言わないで!」
うおおお……なんだこの空気は。どうしたらいいのか全然分からねえ……
俺は困った顔で二人を見つめるしか出来ない。
「ん、ごほん! そう言えば、弥五郎に褒美を渡していませんでしたね」
俺の視線に気付いた桃姫様が、取り繕うように咳払いをする。褒美って言われてもなぁ。
「桃姫様のお側でお仕えする事、そしてその笑顔が最高の褒美でございます」
うん?
桃姫様、顔を真っ赤にして硬直?
おなつさん、口を押えてびっくりしてる?
俺、なんかおかしな事言った?
「あ、あああ、あなたは天然ですか! 天然でそんな事を言っているのですか!?」
「弥五郎……あなた凄いわね? その道の才能あるわよ?」
桃姫様はあわあわしながら何故か怒る。
おなつさん、素になってるよ? 口調も呼び方も。大丈夫? というか、その道ってどの道だよ?
「もう! 弥五郎! そこに直りなさい!」
「は!」
なんだろう? 俺の答えがイカンかったか。まあ、一度は桃姫様に拾われた命だからな。お手討ちなら本望か。
俺は膝を付き、項垂れるようにして首を差し出した。
「弥五郎、顔を上げなさい」
さっきより近くで桃姫様の声が聞こえる。俺と目線を合わせるためにしゃがんだのか?
言われるままに顔を上げると、さっきとは打って変わった、優しい笑みを浮かべた桃姫様が俺を見ていた。
「褒美をとらせる」
威厳を込めた口調でそう言うが、視線は相変わらず優しい。そして桃姫様は、自分の帯の前に差していた扇子を手渡してきた。俺はそれを恭しく両手で受け取った。
――!!
扇子を受け取った俺は、驚きで目を見開いてしまった。重い。なんだこりゃ?
それを見た桃姫様は、悪戯が成功した童のように無邪気に笑う。
「うふふっ、驚きましたか? 宴席と言えども油断は禁物ですからね。でも私には、コレがありますから」
桃姫様はそう言って脇差に手を添える。その瞳には慈愛の色が満ち溢れているように見えた。
そっか、これは鉄扇か。緊急時に武器として使えるように常時携帯していた訳か。それが脇差が手に入った事で鉄扇が不要になったと。
「ありがたき幸せ!」
俺は今後、この鉄扇を桃姫様と思って肌身離さず持っていよう!
あ? もちろん寝る時も一緒だ!




