献上
俺はちょっと用事があり、城下まで出かけてたんだけど、家に戻ったら伊東の爺さんが囲炉裏の炉端に座って湯飲みを口にしていた。
「……何やってんの?」
「脇差が出来上がったとおなつから聞いてな。じゃが、来てみたらお主がおらん。仕方ないから不味い白湯を飲んで待っておったわい」
この爺さん、何を自分の家みたいに……
いや、ホントは爺さんの家だけどさ。
て言うか、不味い白湯を飲んでるのは誰のせいだよ! 自分の鉄瓶作る暇がねえんだからしゃーねえだろうが!
「ちょっと用があってさ、城下まで買い物に行ってたんだ。これ」
そう言って俺は風呂敷包みを広げる。中身は白木で出来た長方形の木箱だ。奮発して木工職人に桐で作らせたんだ。
「開けてみてくれよ」
「うむ。では失礼する」
爺さんは丁重に桐箱の蓋を開けた。
「……ほう」
蓋を開ければ、中身は桃色に染め上げた生地で内張がしてある。白木に桃色は言うまでもなく桃姫様をもうそ……いや、連想して俺が注文したもんだ。そこにそっと収まるのは俺が丹精込めて打った脇差。
爺さんは懐から懐紙を取り出し、手の脂が付着しないよう慎重に脇差を手に取った。そしてじっくりと吟味する。
「この寸法にしては重いようじゃが……心鉄に秘密が?」
「へへ、それはひみつだ」
「……ふぉっふぉっふぉ」
「……えっへっへ」
まあ、爺さんの言った通りだけどさ。
「拵えは作らんのか」
柄も鍔も、鞘すらない状態の脇差を見て、爺さんが当然の疑問をぶつけてきた。
「それは実際に使うお方が好きなようにやってくれればいいよ」
出来ればお飾りじゃなくて実戦で使って欲しいんだが、実戦でそれを抜くって機会が巡ってきた時は、それはかなりの窮地だったりする可能性が高い。葛藤だな。
「うむ。相分かった」
爺さんはそう頷くと、これまた丁重に桐箱の中へ脇差を戻した。そして蓋をして、風呂敷に包む。
「ところで、銘を打っておらんようじゃが?」
うん。銘ね。
「師匠が銘を打ってないからなぁ。俺が銘を打つのは気が引ける」
「ふむ。弥五郎、硯と墨を。あとは筆と水じゃ」
ほ? 爺さん、何する気? 俺が無い金はたいて買った桐箱に落書きでもする気か?
「そんな心配そうな顔をせんでもええわい。ちょっと銘を入れてしんぜよう」
なるほど、銘ね。ちょっと安心した俺は、爺さんに言われた一式を用意した。
さっそく硯で墨を摺り始めた爺さんが、不意に聞いてきた。
「姫様の小太刀にも銘が打っておらんでのう。お主なら、あの小太刀になんと名付ける?」
姫様の小太刀かぁ……
もう桃色の拵えが強烈な印象を残したせいで、桃とか桃色とか、そんなんしか思い浮かばねえ……
「桃……」
「それでは姫様のお名前そのものではないか……まったく、お主という奴は」
じゃあ、そう言う爺さんはどんな粋な名前を付けたのかと思って木箱の蓋を見ると……
【伊東弥五郎 作】
【銘 】
これだけが書いてあった。おい、銘はどうした。
そして俺の名前。既に苗字が伊東になっている?
「おい」
「なんじゃ?」
銘の件と養子の件。ちゃんと話せとの意思を込めた視線を爺さんにぶつける。
「銘はの、お使いになるお方自ら名付けてもらおうという粋な計らいじゃ」
くっ、このじじい……上手い事言いやがって。
「後は苗字の件かの? これは問題なかろう。お主が養子になった所で、儂から相続させるものは何もない。少しばかりの給金が出るだけじゃ。殿も口やかましくは言うまいよ」
なるほどなぁ。上級の家臣だと色々と問題も出てくるだろうが、爺さん一人分を誰に相続させようが、お家の台所事情には然程影響はないって事か。
「そういう事なら、宜しく頼むよ、義父殿」
「うむ。姫様の事、頼んだぞ?」
「ああ……」
「では早速一仕事じゃ、付いて参れ」
そう言って爺さん、改め義父殿は、俺に風呂敷にに包んだ桐の箱を手渡してきた。なるほど、献上するのに一緒に来いってか。そこでお披露目でもするのかね?
家を出てから義父殿は終始無言だった。俺も話しかける事なく黙って付いていく。
向かう先は二の丸。櫓の近くにある桃姫様のお屋敷か。
そういう事なら、俺の選択は正しかったって訳だ。あの脇差は攻撃するより防具替わりに使う方が勝手がいい。桃姫様の守り刀としては最高だぜ。
「伊東様! 弥五郎様! お待ちしておりました!」
迎えに出てきたのは、もはやどこで出て来ても驚かないくらい神出鬼没なおなつさんだ。
――ん?
弥五郎様?
「奥の間にて姫様がお待ちです」
なんだろうなぁ。このこれから合戦に臨むような緊迫した空気は。
いざ奥の間に行くと、静かに目を閉じた桃姫様が上座に静かに座していた。
普通ならば身分の低い方が先に待っていて、頭を下げて偉い方を迎えるもんじゃないのかな?
そんな事を考えていると、桃姫様がカッと目を開いた。ああ……目を閉じた桃姫様は美しいけど、目を開いた桃姫様は可愛らしいなあ……
「弥五郎! 遅いではありませんか! 何やら弥五郎が丹精込めて作り上げたものを見せていただけると聞いて、楽しみに待っていたのですよ?」
そう言った桃姫様の表情はやや上気していて、まるで人形を目の前にわくわくしている少女のようだ。うん。こういう顔も可愛い。
だが待て。ちょっと待つんだ。桃姫様は『見せていただける』と言ったよな? 俺が持ってきたのは献上品の脇差が一振り。たったそれだけだぞ? 見せるも何も、献上品だからむしろ貰ってくれない?
(何をやっとる! はよそれ持って姫様に献上せんかい!)
(は? だって話かみ合ってねえじゃん!)
(いいからそこは気を利かせた台詞のひとつも言ってとっとと差し出せバカもんが!)
一応義父殿に視線で助けを求めるが、事もあろうにこんな爺いと視線で言葉を交わしてしまうとは、この弥五郎、一生の不覚!
だがそうは言っても、期待に胸を膨らませている……胸? いや、ちらっとしか見てない。その……待たせる訳にはいかねえから、俺も腹を決めた。
俺は風呂敷包みを両手に捧げ持ち、桃姫様の前へと進み出る。
「こちらを」
さらに風呂敷を開き、大枚はたいて作らせた桐の箱を差し出した。
でもそれを見た桃姫様が首を傾げる。
「これは?」
まあ、俺の名前は伊東弥五郎になってるし、銘の部分は空白だ。
「桃姫様に実際に使っていただき、銘を付けていただきたく」
俺がそこまで言うと、桃姫様が箱を開いた。
「……まあ!」
桃色の内張りの中に輝く白刃。おそらく桃姫様のキラキラ輝いた瞳は、その刀身に映し出されているんだろうな。
「なんと美しい……真っ直ぐ均等に走る柾目肌、そしてこの直刃……これを私に?」
「は。桃姫様に使っていただきたく、丹精込めて打ちましてございます」
桃姫様はしばらくの間うっとりと脇差を見つめ、そして名残惜しそうに蓋を閉じる。
「弥五郎。見事なものをありがとう。拵えを作って実際に振ってみて、其ののち銘を考えます。その時は弥五郎も立ち合いなさい」
「は」
はぁ~、緊張した。だって桃姫様、可愛いすぎるだろ。でも喜んでくれてよかったよかった。
△▼△
もう、姫様ったら喜んじゃって。こういう時の姫様って、すごく無邪気で可愛いのよねえ。
弥五郎さんが打った脇差の拵えも出来上がり、腰に差したり抜いて眺めたり。
「お気に召したようですね、姫様?」
「ええ、握った感触、重量配分、どれを取っても私の為に打ったものだと分かる程にしっくりきます!」
そんな姫様が指示して造らせたのは橙色を基調とした拵え。ぱっと目を引く色合いだけど、決して派手な装飾などはないのよね。その辺は姫様の小太刀と一緒で。
「その橙色は何か意味があるのです?」
でもどうして橙色なんだろ?
「……どうしてでしょうね? 弥五郎を思い浮かべたら、まるでお日様のような暖かい感じがしたのです。だからでしょうか?」
あらあら、これは弥五郎さん、脈ありかしら? 姫様はよく分かってないみたいだけどね!
でもここで、お姉さんがちょっとだけ助け船を出してあげましょう。
「姫様。その脇差は、伊東様の指示で打ったものです」
「え? じいの?」
ふふ、姫様、ちょっとガッカリしてるわよ?
そうよね、弥五郎さんが自分の為に打ってくれたと思ってたのに、実は伊東様の指示だったなんてね。
でも、ここからがお姉さんの腕の見せ所!
「伊東様は誰にお渡しする為のものか、一切仰っていないのです。でも、姫様にぴったりの脇差を打った訳ですよ、弥五郎さんは」
「えっと、それは……?」
何かに気付いたようにハッとした表情になり、そして頬を染めて恥じらうなんて、こんな姫様の表情を見せたら弥五郎さん、また昇天しちゃうかな?




