最終試験
桃姫様に続いて裏庭へと向かう。
闇夜でのおなつさんとの戦い。伊東の爺さんとの囲碁勝負。そして今度は姫様との剣術勝負か。なんか流されるままにここまで来ている気がするなぁ……
「本気でいきます。弥五郎も本気できなさい。手を抜いて私に勝てるとは思わぬ事です」
その目は可憐で可愛い桃姫様とは別人。殺気でギラついた、敵を前に命のやり取りする武士そのものだ。
俺はこの目を見た事がある。そう、師匠と立ち合う時にヤツが見せる、あの目だ。
修行とか鍛錬とか、そんなモンの前に食うか食われるか。そういうヒリつくような感覚。ついこの間まで島でやってた事だが、やけに懐かしく感じるな。
そんな目を見せられると、俺も『戦闘仕様』に移行してしまうじゃないか。
「いい目です」
桃姫様はそう言ってニヤリと口角を吊り上げ、中段に小太刀を構える。俺は全身の力を抜き、下段に構えた。
桃姫様が本気を求めている。ならば全力でそれに応えよう。
……俺じゃ期待外れかもしれないけどな。
「それでは、はじめ!」
俺と桃姫様の間に立った爺さんが、右手を振り上げた。
桃姫様が上段に小太刀を振り上げる。
「え……?」
俺は返り討ち覚悟、全力で踏み込んだ。
僅かに身体を交差させ、桃姫様の首を刈る寸前での寸止め。その状態でお互いに静止する。
驚愕しながらも呆けているという、珍しい表情の桃姫様を見られた事に軽く感謝しながら、俺は木刀を降ろした。桃姫様は、数瞬前まで俺のいた場所を見たまま動かない。
「桃姫様?」
俺に名を呼ばれ、桃姫様の視線だけが俺に移る。額からは汗が流れ落ちていく。ちっくしょう、どんな表情も可愛いんだよこのお姫様!
「ふっ……」
小さく息を吐き、ゆっくりと小太刀を降ろす桃姫様の表情には悔しさはなく、全て受け入れたような、満足気な笑顔が浮かび始めた。
「お見事でした。まさか私が動く事すら出来ないとは。文句なしの合格です」
「は、はあ……」
合格と言われてもな。いくら桃姫様が認めて下さっても、俺が爺さんに言った懸念事項は何一つ解決してないんだけどな。
「いい勉強をさせていただきました。それでは爺、手続きを」
「はっ」
桃姫様は煌めく笑顔を俺に向け、ペコリと一礼する。そして爺さんになにか指示を出し、去っていった。その背を見送る俺に、おなつさんが声を掛け、すぐに桃姫様を追って行った。
「おめでとう! さっきの凄かったよ! お姉さん、しびれちゃった!」
ああ、うん。ありがとう?
で、爺さん。手続きってなに?
△▼△
驚きました。構えの拙さとは裏腹の、恐ろしいまでの実力。
まさか一歩も動く事も出来ずに……
本当の実戦の剣とは、あのようなものなのかも知れませんね。型も技も全て凌駕する、速さと強さ。あれがもし実戦であれば、私は自分が死んだ事すら理解できないまま首と胴が生き別れていたのでしょう。
私の首筋に木刀を添えていた時の弥五郎のあの目。
私はそれを見た時に、不覚にも恐怖を覚えてしまいました。そしてその直後、憧れすら抱きました。あれは相手を必ず殺す。それしか考えていない目でした。ですがそれだけならば、命のやり取りをする戦場で出会う事もあります。
しかし彼はそれだけの殺気を剣に込めながら、私に傷一つ付けずに済ます事が出来る技量も持っている。
私はもっともっと弥五郎の事が知りたい。構えは素人同然なのに、どういう修行をすればあのような境地に辿り着けるのか。
ただの鍛冶職人が何故剣の達人足りえるのか。
弥五郎を私の側に置いて、彼の秘密を知り、彼の強さに並び立てるようになりたい! 私はそう思うようになりました。
ですがそれには、弥五郎が言っていた懸念を払拭しなければなりません。彼はああ見えて中々思慮深いところもあるようです。
爺が推挙するのも分かる気がしますね。おそらく爺もそのあたりに惚れ込んだのでしょう。あの爺があのような事を言うなど……
△▼△
桃姫様とおなつさんが去った後も、伊東の爺さんはこの場に留まった。そして俺を東屋へと誘う。
「一局付き合え」
俺じゃ爺さんの相手にならねえのは承知の上だと思ったんだがな。つか、この東屋、いつでも碁盤置いてあるんだな。
碁盤を挟んで向かいあった俺達は、暫くの間無言で石を打つ音を響かせていた。
「のうお主。さっき儂を爺さんと呼びおったの?」
「うっ……それはその、勢いというか……」
不意に口を開いた爺さんが、さっきの俺の不作法を咎めてきやがった!?
「ふぉふぉふぉ。別に怒っとりゃせんわい」
そんな爺さんの言葉に、俺はほっと胸を撫でおろす。
「儂の孫になれ」
さっきの笑い混じりの言葉とは打って変わって、今度は非常に、そう、非常にまじめな表情だ。
「えっと、孫娘さんとかいらっしゃる……?」
「おらんな」
「孫と言ったが、正確には養子に入って伊東を名乗れ」
「――!!」
なるほど。これが爺さんの策か。俺は思わず唸った。
「伊東の跡取りならば、姫様の護衛としてお側に仕えておっても不足はあるまい。それにグダグダと文句を言う輩がおれば、お主の剣で黙らせればよかろう?」
ふむ。思わず納得しそうになってしまう。
でも、なんでそこまで俺に肩入れする?
それが分からん。
「姫様の婿探し、しかと頼んだぞ?」
なんだってーっ!?
婿探しとか、いやだよそんなモン!