鉄瓶強奪
「うん! やっぱ美味い!」
おれは出来上がったばかりの鉄瓶で湯を沸かし、少し冷ましたやつを湯飲みに注いで口に含んだ。
ただの井戸水が鉄瓶で生まれ変わる。まるで妖術か奇術か。ゴクリと飲み込んだそれは極上の甘露水だ。
「弥五郎さーん!」
ん? おなつさんか。いや、聞こえる足音は一人じゃねえな。
「邪魔するぞい」
「お邪魔しますよ、弥五郎」
伊東の爺さんはどうでもいいが、桃姫様の鈴のなるような声を聞いて背筋がしゃんとする。というか、もてなすものが何もない! どうしよう!
「どぞ、汚いところですが!」
俺は取り敢えず三人を招き入れた。
「汚くて悪かったのう……」
しまった! ここは伊東の爺さんの屋敷だった!
「うふふ。そんなに畏まらなくてもいいですよ?」
そう言いながら桃姫様以下三人は、それぞれ適当な場所を選んで囲炉裏を囲む。寒い時期ではないので火は入れてないが、俺の鉄瓶を吊るしてある。中にはご存知、白湯が桃姫様に飲まれるのを今か今かと待っている状態だ。
「……白湯です」
俺はそう言って湯飲みを三人分追加し、白湯を注いで囲炉裏の縁にコトリと置いて回った。
「白湯……?」
「ほう、白湯とな」
「白湯……ですか?」
白湯を出された三人が、一様に首を傾げている。分かってるよ! 茶くらい出せとかお茶うけはねえのかとか思ってんだろ?
はい! そんなものはありません!
そんな俺のドヤ顔を見て呆れた三人が、湯飲みを持って口に運んだ。
――!!
一口だけ口に含んだ白湯を味わった三人が驚きに目を見開き、次いで二口目を口に流し込む。それからはもう飲み干すまで無言の三人だった。
おなつさんは三口ほどで。
伊東の爺さんは一気に。
桃姫様は上品にちびりちびりと。
「――ふう」
一番最後に飲み終えた桃姫様が、恍惚の表情で吐息を吐いた。
「白湯とはこのように美味なのですか……この鉄瓶に秘密が?」
桃姫様が、吊るされた鉄瓶に視線を移した。特に凝った作りではない、あっさりとした見た目の鉄瓶だ。そりゃそうだ。俺は美味い白湯が飲めればそれでいいし、自分使いのものに手間をかけるのも面倒だもんな。
だが、桃姫様の視線が俺に戻ってきた時、物凄くキラキラしたものに変わっていた。
――これ欲しい!
そんな無言の圧力が物凄い……
「弥五郎!」
「うっ……」
桃姫様、そんなきらっきらの瞳で見つめないで……
「くっ……分かりましたよ。どうぞ、お納めください……」
俺は桃姫様に泣く泣く鉄瓶を手渡した。彼女はそれを受け取ると、物凄く嬉しそうな顔で、大事そうに胸に抱いた。
ま、まあ、桃姫様のそのお顔を見れただけで、報酬としちゃ十分かもな。
「弥五郎、儂にも一つ」
「弥五郎さん、わたしも欲しいな?」
ぐ、爺さんにおなつさんまで……
「材料代と手間賃よこせ!」
俺の涙の絶叫が響き渡った。
「では弥五郎、お邪魔しました」
鉄瓶を手に入れてご機嫌の桃姫様は、にっこにこの笑顔で立ち去ろうとする。
まさか白湯を飲みに来ただけ? いや、ここに来るまで鉄瓶の存在は知らなかったはず。じゃあ何しに来たんだろ。
「姫様?」
「はっ!?」
立ち去ろうとする桃姫様に、おなつさんがジト目を向ける。すると、何か思い出したような桃姫様がバツの悪い顔をした。
「お、おほん! 弥五郎。あなたを私の身辺警護にと爺から推挙されました」
やや頬を赤らめながらそう語る桃姫様は俺の脳天を痺れさせる程に可愛い。だけど、話の内容は晴天の霹靂だった。
「おい爺さん!」
この話に関しては爺さんに言っといたはずだ。俺みたいな素性の怪しいヤツがお姫様の側でお仕えするなんて、問題だらけだろうってよ。思わず敬称も忘れて爺さんなんて叫んじまったじゃねえか。
だけど爺さんは涼しい顔だし、おなつさんもニタニタしている。
「弥五郎。あなたの懸念事項は爺から聞いています。ですが、その前に私からの試験を受けてもらいます!」
桃姫様がそう言うなり、木刀を放ってきた。どこにそんなモン持ってた!?
……と思ったらちゃっかり爺さんが手渡してやがった。
「あなたの鍛冶の腕、そして人柄、剣術の腕。それらはこの目で見て、分かっているつもりです。ですが――」
やや間を置いて桃姫様が続けた。
「ですが! 私を見事倒す程の強者でなければ易々と認める訳にはいかぬのです!」
……なんだこの流れ? なんか俺が頼んだみたいな感じになってるんですが?
「では、参りましょう」
さっきまで可愛らしかった桃姫様が、一転して凛々しい剣士の顔になった。そのまま振り返る事もせず裏庭へと出て行く彼女の背中を見送る。
「こりゃ、ボケッとしとらんでとっとと行かんか! 姫様を待たせるでない!」
伊東の爺さんに尻を蹴飛ばされた。
△▼△
おなつによれば、剣の腕前は一流。村に押し入った盗賊相手にたった一人で挑むなど、正義感も強そうじゃ。あとは姫様のお側に置いても問題ない人柄かどうかを見極める必要がある。
そこで儂はヤツを碁に誘ったのじゃ。打ち筋はその人物の人となりが現れるものでな。
ところがじゃ。いざ打ってみると、まるで素人じゃった。
じゃが……
どれほど揺さぶりを掛けようが、嵌めようと誘いを掛けようが、ヤツの打ち筋は一切揺らぐ事がなかった。自分の目指す所に一直線に脇目も振らずに突き進む。
愚直なまでに真っ直ぐなのじゃな、あの男。ヤツならば、命を懸けても姫様を守り切るであろう。
この老骨が後を任せるのはヤツをおいて他にあるまい。