就職
おなつさんが走り去って間もなく、伊東の爺さんが現れた。
「中々の仕上がりらしいの」
爺さんは俺に開口一番そう言った。
「後は桃姫様に実際に扱っていただくようお願い致したく……」
「うむ。あい分かったぞい。ではの」
小太刀を受け取った爺さんは、再び屋敷を出て行った。このお城のどこかにいる桃姫様に届けに行ったんだろうな。それを見送った俺は、この屋敷の中を改めて見回してみた。
質素な家だと思う。建物はそれなりに立派だ。板張りの床は磨かれているし、畳が敷かれた茶室もある。だけどあの爺さんが一人で暮らしているんだろうな。生活に必要最低限なものしか置いてないんだ。
「って事は、飯とか誰が作ってるんだ?」
土間に竈はあるんだが、しばらく火を入れた形跡はない。う~ん、生活感がないんだよな。
「弥五郎さ~ん、いる?」
しばらくそんな事を考えてぼーっとしていたら、おなつさんがやってきた。声に反応して顔を上げると、
「姫様がお呼びなんだって。付いてきて?」
そんな事を言う。お呼びって、切れ味に不満とかかな?
すげえ心配になるぜ……
どうやら桃姫様はこのお城の二の丸にいるらしい。そこまで歩く間、伊東の爺さんの屋敷の事を聞いてみた。
おなつさんが言うには、爺さんはあの屋敷には住んでいないらしい。姫様の守役としての役目を優先するため、二の丸近くに掘立小屋を建てて、そこに住んでいるそうだ。
それで生活感が無い訳か。
「あのお屋敷は手入れはしてるよ? 多分伊東様、弥五郎さんを気に入ったんじゃないかな? 自分のお屋敷をあてがうくらいだもの」
「ふ~ん、そうなんですか? 俺は爺さんに気に入られてもあんまり嬉しくないなぁ」
「あはははっ! そりゃそうだよねえ!」
……このおなつさんの人当りの良さはなんぞ?
なんか昔からの知り合いみたいに溶け込んでくるんだよなぁ。
逆に警戒しちまうぜ。
そして二の丸へと到着する。二層二階建ての櫓になっている。柵に囲まれていて、それなりに防御力はありそうだ。
「弥五郎!」
その二の丸櫓の二階から俺を呼ぶ声がする。見れば桃姫様が身を乗り出してこっちに手を振っていた。おお……
「うふふふっ、姫様可愛いもんね! 身分違いだけど頑張って?」
おなつさんはぺろりと舌をだし、残酷な現実を突きつけて去っていった。ちくしょう……
そんな俺の心など露知らない桃姫様が、二階から駆け下りてきた。満面の笑顔で。ああ、可愛いなちくしょう。その後で伊東の爺さんが息を切らしながら付いてくる。
いつも目にしていた地味な着物ではなく、萌黄色の小袖を着た桃姫様はとても可愛らしい。その桃姫様が、櫓から出てくるなり俺の手を握る。
「弥五郎! 素晴らしかったです! 以前よりも斬れます! 凄いです!」
また昇天しそうになったが、俺は辛うじて意識を繋ぎとめた。
なぜかってそりゃ、興奮して語彙が崩壊している桃姫様が可愛いからだよ。ここで気を失うとか勿体ないだろ。
「そう言えば、弥五郎は住むところも仕事も探していると聞きましたが?」
「はい、出来れば早々に城下に戻り、鍛冶仕事か何かで食っていけるようになれればと」
まあ、率直な気持ちだよ。桃姫様にいくら恋焦がれても、どうにもならない事もあらぁな。だったら早く生活基盤を整えて、自立できるようにしねえとな。
「ならば、私専属の職人として雇いましょう! じい、早速手配を!」
「は? はぁっ!?」
……なんか急転直下、俺の仕事とねぐらが決まったっぽいぞ?
△▼△
「伊東様、良かったですね! 弥五郎さんなら申し分ないじゃないですか!」
「なんの事じゃ?」
もう、伊東様ったらとぼけちゃって。魂胆は分かってるんだから。
「あの弥五郎さんを体のいい用心棒にしようとしてません?」
「……」
私は弥五郎さんの試し切りを見て、その腕前を伊東様に報告したの。これは弥五郎さん、姫様のお気に入りになるなって確信もあったわ。やっと出会えた自分の小太刀を直せる職人、しかも姫様が興味を持つに値する剣士としての腕前。
でも伊東様は主に弥五郎さんの『強さ』に目を付けたんだろうね。恐らく姫様の正義感の強さと先頭に立って戦うあの気質は変わらない。だったら少しでも腕の立つ人間を近くに置いて、姫様を守ろうとするのが残された道。
姫様は、あからさまに護衛を付けられる事を嫌がるんだよね。自信過剰っていう訳じゃないんだけど、子ども扱いされたくないっていうか、そんな感じ?
その点、弥五郎さんがいつもお側にいれば、私の仕事も楽になるってもんだわ! あの子、多分私より強いもの。もちろん姫様よりもね。
でも、どうして自分を弱いと思ってるのか、そこが謎なのよね……
「さて、儂の屋敷を鍛冶場にでもしてやるかの」
ほら、伊東様も、なんだかんだで気に入ってるんだから。




