桃姫様からの初仕事(いわくつき)
「あなたの太刀の事をお聞かせください」
桃色の鞘、桃色の柄糸、そしてなぜか黒鉄の鍔。だが鍔は桃の実を模したもので、明らかに桃姫様の為に拵えたものだと分かる一振り。それを目の前に翳しながら桃姫様が俺に問うのは俺の太刀の事。
まあ、隠すような話でもないし、こんぺいとうも美味かったからな。聞かれた事は全部話すさ。
「これはさっきも言った通り、俺の師匠からの餞別です。あの砂浜で桃姫様とお会いした二日前、俺は師匠から独立するよう言われ、島を追い出されたんですよ」
「まぁ……」
なんか桃姫様が同情するような視線を浴びせてくる。うん、悪くないな。はっはっは。
「では、弥五郎の師匠とは剣士なのですか?」
「いや、主に刀を打つ鍛冶職人ですよ。俺の太刀は師匠が打ったものです」
その話をした時、桃姫様の綺麗な瞳が輝いた。頬も薄っすらと上気している。
やめてくれ、可愛いからホントやめてくれ……所詮お姫様と身寄りもない流れ者の俺が釣り合う訳もねえんだから、初恋の思い出をそっとしまって城から出るんだからさ……
「私の小太刀は、私が生まれる際に祖父から守り刀として頂いたものだと聞いています」
聞けば、桃姫様のお爺さんが三河時代にどこからか入手したものだが、銘もなく長さも中途半端な小太刀だった為、見事な刃文を愛でるだけだったらしい。そこへ姫が生まれるという事で、今のような拵えにして与えたそうだ。
だが、その見事な刃文ゆえに手入れをしたがる者がおらず、桃姫様も困惑していたらしい。
まあ、銘も打たねえような師匠だからな。この小太刀も誰が打ったのか分からなかったんだろう。
「では、弥五郎もこの刃文の刀を打てるのですか?」
「無理です!」
俺はきっぱり答える。あんなモン、師匠にしか打てやしねえよ。
あ。桃姫様があからさまに落胆してる。
そこで桃姫様がスラリと小太刀を抜いた。
「見て下さい」
「拝見します」
差し出してきた小太刀を丁重に受け取り、目を凝らす。
すると、遠目には見えなかったが、小さく細かい刃毀れが数か所あった。
だが待てよ? 師匠の打ったヤツが少しばかり他の刀と打ち合ったところで、こんな刃毀れなんてする訳がねえんだ。
……って事はだ。
「失礼ですが、桃姫様はこの小太刀で、幾度も実戦を潜り抜けてこられたのですね?」
俺の問いに桃姫様はコクリと頷く。
「あの日弥五郎とあった時も、盗賊討伐の帰りだったのです」
なるほど。姫様自らが前線に立って敵と斬り結んできた訳か。こりゃあとんだじゃじゃ馬だ。
それで、刃毀れした愛刀をどうにかしたいが、当てもなく困ってた所に、その刀を打ったヤツと所縁のある俺が現れたと。
ふむ。手入れくらいなら出来るんだがな。果たして桃姫様がそれを望んでいるかどうか。だがその前に。
「ありがとうございます、姫様」
そう言って頭を下げた後、桃姫様に小太刀をお返しした。
桃姫様はきょとんとしている。
うわぁ! やめてくれ! その、小首を傾げてきょとんとするのやめてくれ! 可愛いから! 可愛いから!
「あの……? 弥五郎?」
頭を抱えてのけ反る俺に、桃姫様が心配そうに声をかけてきた。
「ゴホン! 取り乱しました。師匠は常々言っておりました。刀は人斬りの道具であって飾りモンじゃねえと。姫様のように刃毀れするまで実戦で使っていただけたのならば、師匠も喜んでいると思います」
俺の言葉を聞いた桃姫様は一瞬ホッとした表情を浮かべたが、すぐに沈んだ表情になる。おいやめてくれ。物憂げな表情も俺にとっては眩しくて目がつぶれる。
「ですが、この小太刀はこのままでは……私はこの小太刀でなくてはダメなのです!」
んー、しゃーねえなぁ。
「あの、俺で良ければやりましょうか? っていうか、刃毀れ直すのに刃文とか関係ないんですよね……」
「え?」
要は研げばいいって話なんだが、研ぎ師や鍛冶師がその事知らねえ訳じゃねえだろうに……
なんか胡散くさいな。
「まあ、姫様がよければ、ですが」
「是非!」
桃姫様がキラッキラの笑顔で俺の両手を握ってきた。なぜか遠くから桃姫様が俺を呼ぶ声がするが……俺の記憶はここで途絶えた。
△▼△
「あれ?」
見慣れない天井だ。つーか、目覚めた時に天井が見えるこの安心感な。島じゃあヘタをこくと小屋からほっぽり出されてよお。星空が天井なんて事も多々あった。
で、なぜか綺麗な布団に寝ていた俺は、なんだか幸せな夢を見ていた気がするが、なんだっけな?
「おお、目覚めたか」
布団から上体を起こした俺に気付いたのか、隣の部屋から伊東の爺さんが顔を覗かせる。そうか、爺さんの屋敷で俺は……
「ふぉふぉふぉ。姫様が手を握っただけで昇天するとは、お主も初心じゃな」
やかましいわ。
「……島から出るまで、師匠しか見た事なかったんですよ。女の子に手を握られるなんて生まれて初めてだったんで」
というかだな、昇天ってなんだよ。俺はまだそこまでの粗相はしてねえ!
……してねえよな?
こっそり確認したけど大丈夫だったぜ!
「ところでお主。すぐに城から逃げて身をくらませよ」
「は?」
なんで?
伊東の爺さんは真顔だ。冗談で言ってねえのは分かる。でもなんで逃げて身を隠す必要がある?
「今までなぜ、姫様の小太刀に手を掛ける職人がいなかったか分かるか?」
さあ?
俺は首を傾げるしか出来ない。
「殿のご意向だからじゃ」
伊東の爺さんの話では、戸田のお殿様は、娘の桃姫様が危険を冒す事を望んでいないらしい。まあ、そりゃそうだろうな。
元来正義感が強く、剣術の才もあった桃姫様は、自ら先頭に立って賊の討伐を進めるようになったが、戸田様はそれを危なっかしい思いで見ていたし、何度も諫めたが桃姫様は聞き入れなかった。
それで、小太刀に固執している桃姫様の、その小太刀そのものが使い物にならなければ桃姫様もそのうち諦めるだろうと考えているらしい。
「なるほど。それで職人達に裏から手を回し、桃姫様の依頼を受けさせねえようにしてたって事か」
「左様。お主が小太刀の修復をするとなれば、お主にも圧力がかかるやもしれん。そうなれば、もはやこの伊豆下田ではやっては行けぬだろう」
なるほど。俺の身を案じてくれてるのか。いい爺さんだな。
「だが断る!」
「何故じゃ?」
「俺は鍛冶職人だ。しかも一流の刀匠に従事してた刀鍛冶でもある。俺は、逸品がこのまま朽ちていくのは耐えられない」
正直、戸田様の娘を思う気持ちは分かるつもりだ。けど、それよりも俺の職人としての自尊心が小太刀を生き返らせろと言っている。
「心は変わらんようじゃな……仕方ない。何かあったら儂を頼るがいい」
俺の燃える瞳を見た伊東の爺さんは、深く息を吐いていろんな事を諦めたような顔をしていた。




