第3話<i>
シュウが終人になることを諦めて、鈴のように屋敷で仕事をしながら2人が帰ってくるのを待ち続けると決めた夜から一夜明けて。
「今日は随分と寝坊しましたね、鈴」
あろうことかメイドとして一番してはいけない失敗を何年ぶりかにしてしまった鈴は着替えるのも忘れ、シュウの寝顔を名残惜しそうに一分間見続けたのちに部屋を飛び出した。
自分の欲に忠実なのは私のチャームポイント、それにシュウ君と一緒に寝れるなんてことはこれから何度あるか分からない。メイドとしての矜持と姉としての欲の間で揺れ動きながら妥協点を探したまでだ。
「ええっと、諒一...さんでよろしいでしょうか?」
昨日もそうなのだが、3ヶ月ぶりに出会う同居人の姿が変わりすぎているせいで声が上擦ってしまう。
目の前の男性の声は勿論知っている。だが、鈴の知るその声の主の姿と口調が記憶と現実とであまりにも相反していて、それを受け入れるには時間がまだ足りないようだ。
「昨日も同じ反応をされたけど。そこまで変わったかな?確かに今まで眼鏡はかけていなかったけれど」
「姿形もさることながら、その喋り方の変わりように一番驚いてます。昔の諒一君が出会ったら即刺し殺されていてもおかしくない程に常識人過ぎます」
「いや、それは言い過ぎじゃないかい...。それにイメージチェンジは少しずつしてただろう?それがようやく完成したっていう訳だよ」
「イメチェンどころか全くの別人ですよ。あの何人も人を殺していそうな目付きはどこに置いてきたんですか?」
「僕...そんなに目付き悪かったかな」
リアが終人を引退し、彼女が当時率いていた部隊をリアに変わりその息子である諒一が率いるようになってからかつてのような刺々しさも抜けていき、次第に人の上に立つ人間の理想像に近づいていった彼はようやく常識的な人間として多くの人間から畏怖ではなく尊敬の眼差しで見られるようになっていた。
「ここまで来るのに鈴の性格や振る舞いを参考にさせて貰ったよ。その点、鈴は僕の師匠ってことになるね」
「人間、やれば出来るもんですね~。私、諒一君はずっと狂犬ポジで生きてくと思ってました」
「犬じゃなくて狼ね」
「細かいですよ」
「細かくない。犬と狼じゃ、抱くイメージが違いすぎるだろう」
鈴がこの屋敷でリアに雇われるようになってから同年代の諒一とは良好な関係を築いていたこともあり、こんな軽口を言い合えるのも彼くらいなものだ。
「さっきの言葉で思い出したけれど、シュウ君はどうだった?君のことだ、良い報せをしてくれると期待しながら昨日は眠りについたよ」
「期待通り、の解答ではないと思いますよ」
「構わないよ。彼が少しでも成長したのならそれも十分果報だ」
諒一は基本的に家を留守にしていることの方が多く、鈴のように毎日シュウと接している訳ではない。それでもシュウが頑固者で一度決めたことを諦めるような人間ではないことくらい分かっていた。
―――驚く顔を見るのが、本当に楽しみだ。
「シュー君、終人になるのはやめたそうです」
「そうかそうか。シュウ君が終人になるのを諦め......え?」
期待していた通りの諒一の困惑した顔を見て吹き出しそうになるのを堪えながらもう一度、少しだけ晴れ晴れとした気持ちで言う。
「私と同じようにこの屋敷で業務をこなしながら皆さんが帰ってくるのを待ってるそうです」
「ま、まま待て!!諦めたのかい!?あの子が!?」
終人になることを決める上で、一度この屋敷の全員で家族会議をしておりその時に3人とも終人になるということを決めている。その時にシュウは自身の置かれている状況を知っていながらも終人になると言って譲らなかった。
3人のなかで唯一烙印が出現しなかったシュウにはその時一般人として生きることも一つの選択肢だと話したが、それでも彼は諦めず今日まで稽古やトレーニングを欠かしたことは無かった。
「シュウ君が本当に言ったのかい!?寝言とかではなく!?」
「はい。私のワガママを聞いてくれて、私を悲しませるくらいなら終人にはならないで私のお嫁さんになってくれるって...」
「シュウ君はそんなこと絶対に言わないし、彼はお嫁さんじゃなくてお婿さんだ!!」
真実に織り混ぜた虚実を見事、ではなく当たり前のように気付いた諒一が突っ込みを入れながら有り得ないといった顔で味噌汁を作っていた鍋の火を消す。
諒一のそんな絶叫が聞こえたのか、調理室に珍しくリアが入ってくる。
「こんな朝っぱらからうるさいね。ゴキブリでも出たのかい」
「母さん、聞いてくださいよ。あのシュウ君が終人になるのを諦めたんですよ!!」
「......そうかい」
特に驚く素振りも見せなくリアは表情を一切変えることなくドアノブに手をかけて――――――。
「おばあ様、それは冷蔵庫です。扉じゃありませんよ」
いいや、表情に出さないだけで内心は何を言っているのか分からないと言った感じだ。リアらしからぬ動揺の仕方につい笑みが溢れてしまうが、それを咎められる程リアの心情は落ち着いてはいないようだった。
「あんた、とうとう一線を越えたね。既成事実を作ることであの子を屋敷に閉じ込めておく。成る程、それなら終人にさせなくて済むっていうわけだ」
「一線を越えたいのは山々ですがまだ子供ですよ。私もそこまでバカじゃありません」
「母さん、そのやり方が咄嗟に出てくるのはどうかと思います。そんな事を思い付くような人だとは思っていませんでした」
驚愕の事実に動揺する人間が一人増え、朝の調理室が賑やかな雰囲気に包まれる。すると次は朝御飯が出来るのを待ち兼ねていたアルが隣の部屋から調理室へ訪れる。
「こんな朝っぱらから大人で悪巧みかよ。何を話してるか知らねぇが早く朝御飯を食いてぇんだけど」
「アル君おはようございます。シュウ君は起きてきましたか?」
「いいや、まだ来てねぇよ。てか、アイツが先に来てねぇのは珍しいな。流石に疲れてっか」
「そう、その事なんだけど。アル、シュウが終人になるのを諦めたんだよ!!本当に頑固なあの子が諦めると思うかい!?」
諒一の言葉を聞いて信じられないといったような目でアルは何度か瞬きした後、何かを思い付いたように笑って見せた。
「はっ。俺を騙そうたってそうはいかねぇよ。俺を驚かせてぇならもう少しマシな嘘を用意しろよ、諒にぃ」
確かに彼との付き合いが長ければ長いほど信じられないという気持ちは大きくなるだろう。それほどまでにシュウは終人になることに固執していたし、それを隣で見てきたアルはとてもではないがシュウが諦めるなどとは思えない。
だが、リアの方を見ても真面目な顔で返され、諒一はまだ有り得ないと言った表情であたふたしている、そして最後に鈴のにやけた顔を見て確信する。
「マジ...?」
「大マジです。シュー君は今日からこの屋敷の専属メイドです」
「男がメイドになれるわけねぇだろうが!!いや、今はそんな事気にしてる場合じゃねぇ!!シュウの野郎が本当に諦めやがったってのか!?」
「ちょっと、アル。廊下まで叫び声聞こえたけど何を叫んでるの」
雫も合流したことでこの場の全員を納得させられる証拠を鈴は提示する。手に持った機械からシュウの声で確かに終人になるのを諦めるという声が聞こえ、一分程の静寂が訪れ、最初に静寂を破ったのは最後に調理室へ訪れた雫だった。
「お腹減った」
何とも、彼女らしいマイペースな発言だった。
――――――その日は珍しく、シュウが起きてくる前に屋敷に済むシュウを除いた住人の全員が食事を取る部屋で椅子に座っていた。
「おはようございます~。すみません、つい寝過ぎちゃって...」
そこに満を持して現れたシュウがいつもと違う雰囲気の部屋に当然の反応を示す。
「あ、あの...。もしかして、これから僕は怒られたりしますか?」
鈴を除いた全員が普段見せることのない真面目な顔でシュウを見つめ、それに不安を覚えたシュウをパジャマ姿の鈴が自分の隣の席に座るよう誘導する。
誘われるままにシュウが席についたのを確認すると一拍置いて鈴が「いただきます」と言い、それぞれ無言のまま食事に手をつけ始める。
実に3ヶ月ぶりの全員が揃っての食事。いつもならアルが諒一から終人として何をやってきたかを事細かに聞き出そうとするが民間人に話せる情報には限りがあると一蹴されて、そこから話題が展開されていく。といったことになるのだが、誰一人何も話すことなく静寂の時が流れていく。
「鈴、おかわり」
誰よりも早く茶碗に寄せられた白米を食べ終えたアルがおかわりを要求し、鈴が立ち上がり炊飯器のある隣の調理室へ向かう。
「アル君、どれくらい食べますか?」
「いっぱい」
簡素な情報伝達が目の前で行われ、それを皮切りにようやくリアが口を開く。
「雫、アル。今日は稽古を休みにする。各々好きなように過ごしな」
「マジか、まぁ丁度やりてぇ事があったしな。諒にぃ、また仕事に行く前に手合わせしてくれよ、そろそろ俺が成長したとこ見せてやるぜ」
「それは楽しみだね。次の任務が言い渡されるまで屋敷には居るし、良い運動になりそうだ」
「何だい、それなら稽古を任せて私はゆっくり出来るじゃないか」
基本的に稽古はどれだけ暑かろうと寒かろうと毎日行われる。現実世界での気候変動でへばっているようでは何が起きても不思議ではない夢想域内で終人として活動していくことは出来ないから、という理由らしい。
それでも息抜きは必要であり、月に2回休日を用意してくれている。それをハードスケジュールと思ったことは一切なく、むしろそれくらい頑張らなければ終人になんてなれないとシュウ達は知っている。
しかし、その設定された休日以外にリアがどうしても外せない用事が出来た時は休みとなる。そして今回、その外さない用事とは。
「シュウ、お前は食事を終わって一息ついたら諒一の部屋に行きな。私は行く場所があるから同席できないがそこでしっかりと諒一と話をしなよ」
「は、はい。分かりました」
やはり、鈴から朝の内に昨日の話を聞いていたらしい。終人になるのを諦めた、その事を隠そうとは思っていなかったが、それでも話をするにはきっともう少し時間が必要だった筈だ。
そう選択したことは後悔していない。むしろ吹っ切れるきっかけを鈴が用意してくれたことに感謝すらしている。届かないと分かっているものを惨めったらしく追いかける事ほど無駄なことは無い。
一度決めたことは最後までやり通して欲しいが、それでも人には向き不向きがあり自分では絶対に出来ないと分かったら諦めることが重要だとあれほど言われてきたというのに、今の今まで諦めることが出来なくて次第に体も心もボロボロになっていた。
だからこれは正しい選択をようやく選べたに過ぎない。それでもここまで稽古をつけてくれた師匠に対する後ろめたさがあったのも事実だ。
「はい、アル君。よそってきましたよ」
「いっぱいとは言ったけど多すぎたろ!!」
茶碗から溢れるほどに盛り付けられた白米の山にアルが糾弾し、その糾弾を受けた鈴が当たり前といった顔で返答する。
「育ち盛りなんですからいっぱい食べなきゃ駄目ですよ?」
「いや、全部食うけどよ。それでもこれは多すぎだって思わなかったのかよ...」
「まぁ、ぶっちゃけるとどれくらい盛れるのかなーって試してたらこんなになっちゃいました」
「百歩譲って限界まで盛ったのは許すけどよ、それを人に出すのはどうかと思うぜ?」
「反省してます」と本当に反省しているのかは分からないが目を伏せて申し訳なさそうにしているアピールをする鈴の姿を見てアルはそれ以上問い詰めることはしなかった。
「ちょろいですね」
隣にいる僕だけにしか聞こえない声で呟いた言葉を聞いて、本当にこの人は大人なんだろうか、と思いながら食事を続ける。それからは最初のように静まりかえった中での食事になることは無く、いつものような賑やかな食事の風景がそこにはあった。
―――とても幸せそうな風景が。
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「それじゃあ雫、屋敷の事は頼んだよ。あとはシュウの奴に今日からもう夜更かしはしないようちゃんと言っておいてくれ」
基本的に外出することの無いリアの、それも5年ぶりの終人として活躍していた時代の服を見に纏った姿を見て鈴は懐かしさと同時に不安も覚えてしまう。
「賢者様の所へ?」
「別にあの方は気にはしないだろうが報告はしとかなきゃならないからね。そんなに心配することはないさ、明日には帰ってくる」
リアが賢者と対談をしにいくことに不安を覚える原因は無いが問題なのは賢者が在留している場所の方にある。終人に任務を与え、夢想域攻略の際に指揮官を務める、いわゆる上層部と言われる人間の集う組織の中核。そこでは上へのしあがろうとする人間達の陰謀が常日頃から渦巻いている。そんな所に一人で行くのは鈴の生い立ちを考えれば心配したくなるのも当然だろう。
「どうかお気をつけて」
「あぁ、それじゃあ行ってくるよ」
出来ることであれば鈴もリアと共に組織へと出向きたいが仮にも世界を救った三賢者が本拠地とする、人類の砦とも言っていい場所に立ち入る為の権利を鈴は持っていない。だから、ここでリアを見送ることしか彼女には出来なかった。
屋敷の前に止まる組織の手配した車に乗り込むリアを見届けて、鈴は一抹の不安を抱えながらも本来の仕事に勤しむため、屋敷へと戻る。
屋敷の中に入り、掃除をしようと廊下を歩いていると屋敷の濡れ縁で座りながらボーっとしている雫の姿が見え、鈴が近付いてくるのに気付き振り返る。
「あ、鈴。おばあちゃんの見送り終わったの?」
「うん。雫ちゃんはこんなに寒いのにここで何をしてるのかな」
掃除をしようと思ったが珍しく―――ではないが屋敷でのんびりとしている雫と話をしたくて、彼女の横に座り一緒に庭の景色を眺める。
ちらほらと雪が降り始め、連日の雪で真っ白になった庭を見ながら雫は白い息を吐き、それが空へ昇っていくのを見上げながら口を開いた。
「待ってたの。鈴と話がしたくて」
「それは奇遇ですね。私も雫ちゃんと丁度お話がしたい気分でした」
「そうなの?やっぱり気が合うね、私達。鈴は働き者で私は怠け者なのに」
「今はこの屋敷でメイドとして仕事をするのが当たり前になって、働き者に見えるかもしれませんが私も昔はよくお父様の言いつけを破って怒られたり、勉強なんかもやりたくなくて逃げたりしてました。だから私も雫ちゃんと同じ怠け者ですよ」
今はこうしてメイドの仕事をするのが当たり前になっているが基本的にはマイペースに生きるのが鈴の生き方だ。
「鈴の昔話、初めて聞いた気がする」
「あれ、そうでしたか?...言われてみればおばあ様や諒一君以外に昔の事は話した記憶がありませんね」
「うん。だから聞かない方がいいのかなって思ってた」
雫は面倒くさがりで自分は怠け者だと言いいながら、何も考えていないように見せてはいるが周囲の事がよく見えている。それだけでなく周りへの配慮も欠かさず、何年もシュウをアルと二人で見守ってこれたのも彼女の性格あってのものだ。
何も見えていないという印象を周囲の人間に抱かせやすく、その一方で普通の人間以上に周りをよく見ている。些細な変化でも一番最初に気付いたのはいつだって雫だった。
「私、雫ちゃんのそういう所が大好きですよ」
「私も鈴のお節介焼きなところ好きだよ」
...もしかしてこれは愛情表現なのだろうか。それに口調もいつものように面倒くさげではなく、どこか優しげで―――。そうだ、これは私の事が好きになってしまったに違いない。
「もしかして...私の事が好きに」
「それは無いかな」
鈴が最後まで言い切る前にバッサリと否定され、口元を押さえながら床に手をつく鈴の姿を見ながら「でも」とその先の偽りでない本当の気持ちを告げた。
「鈴はお姉ちゃんみたいに思ってるよ」
「雫ちゃん...!!」
「シュウに甘々で、でもアルにも私にも優しくて。時々さっきみたいに変なことを言うけど、場を盛り上げるのも上手いし。それに―――シュウを本気で幸せにしようとしてくれてる」
最後の言葉だけが今までのどの言葉よりも感情が込められていた。とても安心したように、けれどちょっぴり悲しそうに。
「私達じゃ言えないことも鈴は言えるんだもんね。もう、私とアルが側に居なくても鈴が居ればきっとシュウは幸せになれる。それくらい本気でシュウのことを思ってくれてる」
「雫ちゃん...?」
「だから、これからシュウの事をお願い。私とアルでシュウが頑張ろうとした分まで頑張るから、いつか家族を殺した夢人を倒せるくらいに」
そう、もうシュウが終人になろうとしなくなった時点でアルと雫はこの屋敷に残る必要が無くなった。決してシュウが足手まといだった訳ではなく、どんなことがあっても終人になるのならば全員が同時に終人になり、一緒にこの世界を災厄から守り抜こうとこの屋敷に来たときに話し合っている。
その約束をシュウが覚えており、既に二人が終人になる実力と資格を持っていながら自分が満足に成長できないせいで、いつまで経ってもアルと雫が終人になれないと思い、焦ってしまう要因になっていた。
「烙印が出現せず、夢想が使えない人間は終人になることは出来ても、その殆んどが一年以内に命を落とす。おばあちゃんが言っていた言葉だよ」
それを承知でシュウは烙印を持たず、夢人を滅する為に必要不可欠と言っていい夢想を使えないまま終人になろうとしていた。
「だから、鈴はシュウの命の恩人だよ。鈴が居なかったら、シュウは終人になって...死んでいただろうから」
たとえ子供の頃からの付き合いであろうと雫は評価を間違えるようなことはしない。シュウの体質も考えれば、終人になっても成長をすることは殆んど出来ず、きっとどこかで確実に死んでいた。
夢想域内での夢人との戦闘は実力だけが物を言う世界。力を持たない人間が長く生き残れるほど甘くもなく、優しくもない。
「シュー君はそれでも終人になりたかったんだ」
死すら恐れないシュウの覚悟をずっと側に居た一人である雫の口から聞いて、鈴の中に夢を諦めさせてしまったことによる罪悪感が募る。
「そんなに悲しまなくて大丈夫だよ、鈴。私はこの選択が一番シュウを幸せに出来る選択だと思っているから。誰も鈴のことを責めないし、シュウだって諦めがついて楽になれたと思う」
「それでも、シュー君の夢を諦めさせてしまった事は変わりません。だから、私は少しでもシュー君が幸せになれるように手を尽くしたいと思います」
「うん。お願いね」
雫と鈴、お互いに自分に出来ること、しなければいけない事を確認しあう。どちらもシュウの為に出来る限りの手を尽くし、決してシュウが終人にならなかった事を後悔しないように。
「寒くなってきましたね。戻りましょうか」
「うん。そうだね」
次第に空から落ちる雪の粒が大きくなり、風も強くなり始める。濡れ縁で談話をしていた二人は屋敷へと戻り、いつもと変わらぬ日々に戻っていく。
それが少しでもシュウの為になると信じて。
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「やぁ、待ってたよ。わざわざ済まないね。けど、この部屋でなら誰にも聞かれず二人で話が出来る。さ、座ってくれ」
「失礼します」
鈴と雫が庭先で話をしていた同時刻、防音を徹底した執務室で諒一とシュウが二人。
何を言われなくてもシュウがここに呼ばれた理由は分かっている。自分がこの選択をした時にこうなることも予想できていたから。
「ごめんなさい。鈴さんから聞いていると思いますが、僕の口から言うべきでした。僕は――――――終人になることを諦めてしまいました」
まず初めに言わなければいけないのは謝罪の言葉。こういう大事な事はたとえ親しい間柄であっても本人の口から言わなければいけない。それが、ここまで育ててくれた人達への礼儀であり、最低限シュウが通せるケジメだ。
「いや、謝らなくても大丈夫さ、シュウ君。終人になるのを諦めるなんてこと言い辛くて当たり前だ、特に君ならば尚更、ね」
この屋敷で誰よりも終人になることを強く願い、その思いに恥じないだけの彼なりに厳しいトレーニングと稽古に努めてきた。だというのに、諦めてしまった。そんなこと子供でなくても言い辛くて当然だ。
「僕と母さんが気にしてるのはそんなことじゃない。―――本当にこれでシュウ君はいいのか、後悔はしていないのか。これが一番重要なことなんだ」
礼儀も何も関係ない。シュウにとって人生の目標でもあった終人になるという夢を諦める。これが本当にシュウの意思で決められたのか、その事に後悔をしていないのか。仮に鈴に迫られやむ無く諦めてしまったのだとしたら――――――。
「ここには鈴もアルも雫も居ない。嘘偽りなくシュウ君の本心を聞かせてほしい」
誰かに気を使う必要のないようにわざわざこの部屋を選び、二人きりになったのだ。
「僕は...才能がありません。どれだけ練習しても、トレーニングをしても成長を実感できなかった」
「あぁ、知っているとも。僕もその異変を母さんから聞いて、独自に調べていたからね。けれど、それでも諦めなかったんだろう?」
「はい。それで諦められる程、簡単には捨てられる夢じゃありませんでした」
たとえ、才能がなくても、終人になって死んでしまうと分かっていても―――諦められなかった。諦めることを許さなかった。
「だったら...!!」
「僕は少しでも多くの人を救いたかったんです。僕達のように家族を奪われることの無いように。――――――これが建前です。シュウという人間が終人を目指すために後から考えた都合の良い綺麗事」
もう隠す必要はない。誰にも知られたくなった僕が終人になりたい本当に理由。
あの時、僕達は目の前で家族同然の人間が殺される様子を小さな穴の隙間から覗くことしか出来なかった。目を反らして声を出して叫んでしまいたい衝動を子供ながらに押し殺しながら、その瞳で大事な人達が殺される様子を最後まで見ていた僕はその小さな胸の内にある感情を芽生えさせた。
「家族を殺した夢人への復讐、そんなものじゃ物足りない。僕は少しでも多くの夢人をこの手で殺したい。誰かが救われるのだって本音を言えば知ったことじゃない」
家族の仇を取る、そんな言葉ではこの心に燻る憎しみの炎を現すことは出来ないだろう。より過激に、熱烈にシュウという人間の本心を晒しだす。
「家族を殺したアイツもそこら中で沸いてる夢人も元を辿れば同じ存在だ。人を殺すためだけに生まれてきた化物に生きている価値なんて高尚なもの必要ない。死んで当然の屑以下の集まり、苦しんで死ぬべきなんですよ」
シュウの黒い瞳に灯る憎しみの炎、それは終人になることを諦めた今ですらこれほどまでに激しく燃えている。
終人になることを目指す者達のなかにも当然復讐が目的の人間も存在するが、少なくとも諒一はシュウがそこまで深い憎しみを夢人に対して抱いているとは思えなかった。
気弱で、誰にでも優しく。脆くとも諦めない強い心を持った少年――――――そう思っていた。
けれど、そうか。彼がどうしていつまでも終人になることに固執していたのか、ようやく今の話を聞いて理解できた気がする。
「シュウ君は家族を殺した夢人は勿論、それと同一の存在である他の夢人を文字通り、殺したい程憎んでいた。夢人を殺すことで結果的に他人が救われることも――――――自分が死ぬことすらその復讐の前であれば些細なことに過ぎない、と」
「はい、そうです。これが生みの親に捨てられ、ようやく得た家族を夢人に殺された小さな子供が夢人を目指した本当の理由。そして――――――名捨て人、シュウという人間の全てでした」
シュウは自分が終人を目指した本当の理由を包み隠さず全てを言葉にし、シュウという人間がいかに醜いか、今の大事な家族の前に示して見せた。そうして、落ち着きを取り戻す為に一呼吸置いて悲しそうに微笑む。
「ごめんなさい。今まで隠していて。こんなんじゃ、神様に見放されても当然です。こんな自分勝手で歪な願いを叶えるために終人になろうとした僕には資格なんて与えられる訳がなかった」
人を救いたいだとか人の前で謳っておきながら、心の底ではそんなことも微塵も思わずに自分の為だけにやってきて、いざ終人になれないと分かると、何かのせいにし始める。
それは―――見放されても文句なんて言えるわけない。
「...夢人に家族を殺されて復讐の為だけに終人になる、そんな人間は組織にいっぱいいるよ。けれど、今のシュウ君は違うんだろう?それ以上に大事なものに気付き、君は夢を諦めた。自分の為だけの復讐ではなく、誰かの為の幸せを選んだ」
「はい。昨日の夜、鈴さんの泣く姿を初めて見ました」
いつも明るくて、何にも悩みなんてないと思っていた人がシュウという1人の人間の為だけに涙を流した。
「その姿を見て...もうワガママはここまでだと思いました。自分のやりたいことをしたいんだから辛いのも苦しいのも当たり前です。けど――――――それで鈴ねぇが泣いているのは、耐えきれなかった」
屋敷に居るからこそ、普通の子供のように見えるがシュウは基本的に感情を表に出すことの少ない。そんな彼でも耐えられない時は一人になって密かに涙を流していた。
だから、傷つくのも、辛いのも慣れてしまった。そう思っていたけれど。
「涙が出なくても、今まで一番辛かった」
こんなに心が痛むのはもう無いんじゃないかと思うくらい胸が締め付けられて、この人を泣かせたくないと思ってしまった。
「だから、諦めました。僕が終人になるのを諦めたのは鈴ねぇのせいじゃなくて僕の自分勝手な都合です」
今すぐにでもこの辛い気持ちから逃げてしまいたかった。それと同時に二度とこんなに苦しくて、耐え難い心の痛みを味わいたくないと思った。
「きっと僕はずっと言い訳が欲しかったんです。諦めたくても諦めさせてくれない矛盾したこの気持ちから逃げるための言い訳を」
頑張って、血反吐を吐くのも躊躇わないくらいに頑張って駄目なら誰かが止めてくれると心のどこかで思っていた。終人になるのを諦めたくないと言っておきながらも、自分に才能が無いと分かれば逃げ道を作るために必死に努力をしてきた。
どこまでも、シュウという人間は自分勝手でワガママな人間だった。それは昔も、今も変わらない。けど、一つだけ変わったとすれば。
「僕のワガママで傷つく人が居ました。その人は誰よりも僕を愛してくれて、自分のことのように悩んだり泣いたりしてくれるそんな人が」
「うん。それで、シュウ君はどうしたいと思ったんだい」
「――――――その人がもう僕なんかのことで泣いてしまわないように側にいたい。あれほどまでに胸を焦がしてきた復讐を忘れて、その人の為に僕は生きていたい」
これがシュウという人間の目に選んだ最後の選択だ。一生をその人と共に過ごし、大事なその人の太陽のような笑顔を側で見ていたい。
「そんなワガママな幸せを僕は選んでもいいでしょうか」
「...それを決めるのはシュウ君自身だ。君の人生は君だけのもの、君のしたいことを僕達は応援し続けるよ、これからもね」
そうして、かつて復讐を胸に誓った少年は身を焦がす程の復讐心 を忘れ、大事な人の側に居続けたいと願い、同じように身を焦がす程の愛を望み、小さな歩みで未来へと突き進んでいくことを決意した。