第2話<決心>
誰も居ない暗い廊下を進む。冷えきった床に触れる素足が痛みと冷たさで悲鳴をあげているが、その少年の心に刻まれている痛みがその痛みを上回る。
胸をチクチクと突き刺す人間の醜い感情。このような境遇を強いる運命を恨む少年は虚ろな表情で食事をする部屋へと足を向ける。
常時であれば誰もが眠りについている深夜2時。同居人を起こさない為に極力足音を立てずに、少しでも体力を取り戻すための栄養を取りに向かう。
辿り着いた一室の扉をゆっくりと開き、暗闇に埋め尽くされた部屋を明るくするために電気をつける。
2回、3回と点滅して蛍光灯が光を放つ。そうしてまだ湯気の立っている暖かいご飯を食べに――――――。
「え?」
この屋敷では夕飯を食べるのは基本的に夕方の6時。それから8時間も経過していると言うのに、何故湯気が立っているのか。そのことに疑問を持った瞬間だった。
「シュー君!!おかえりー!」
扉が備え付けられている壁側の部屋の隅、そこで潜伏していたメイド服姿の女性が少年に飛び付き、咄嗟に身構えて躱そうとするも疲弊している体が上手く動かずにそのまま抱き付かれ、床に押し倒される。
「鈴さん!?ど、どうして僕がこの時間に帰ってくるって...」
別にこうして押し倒されることはいつものことだから驚かないとしても、こんな深夜になってから自分が帰ってくると知っていたのか質問するとメイド服姿の女性は「当たり前でしょ?」とでも言いたげな顔で首を傾げ。
「シュー君の事を一番知ってるのはお姉ちゃんだよ?どこで何をして、何時くらいに帰ってくるかなんて分かるに決まってるよね」
軽くホラー染みた言葉に一体いつから尾行されていたのか、どこで何かをされてたのかまで把握されていたことに背筋を僅かに悪寒が走る。
「あ、お姉ちゃんのこと怖いって思ったでしょ。傷ついちゃうなー女の子を傷つけていいのかなー」
「あ、えぇと。ごめんなさい、そんなつもりじゃ...」
シュウの僅かな表情の変化に気付き、からかい気味の軽口を本気だと思ってしまった少年はあたふたと慌てながら謝罪と弁明をし始める。
―――こんな可愛い顔をするものだから、毎回からかってしまう。
「あはは、嘘だよ。嘘なんですよー」
「...ぁ。また、からかいましたね」
毎度のことなのに律儀に心配して、相手が自分を騙そうとしてるなんて疑いもしない。その純粋さが愛おしくもあり、同時に怖くもある。
いつか、この屋敷を出て終人として現実を蝕む厄災から、産まれ落ちる夢人と相対する時も、狡猾な夢人に言葉巧みに騙されて、情に流されてしまったとしたらその後にあるのは間違いなく『死』だ。
その優しさは人として素晴らしくはあっても、終人としては致命的なまでに終わっている。
彼が終人になりたがっていることは知っている。それが今は亡き、孤児院で過ごしていたたくさんの家族達の為の敵討ちであることも。
だったら、その甘さは断ち切るべきだ。―――そう、言えたら楽なのに。
「それがシュー君の良いところなんですから、そういうところも大好きですよ」
我が儘なのは知っている。その優しさを否定してあげなければ終人になった時、夢半ばで倒れてしまうと分かっていて黙っている。
「...そう、ですか。これは悪い癖じゃないんですよね」
「.........」
一瞬。その言葉は言うな、と理性が止める。それを言ってしまったらお前はずっと嘘を言い続けることになると。
「はい。人を信じる気持ちは大事なものですよ。それに救われる人だって居るんですよ」
―――――――――。
「そうですよね!僕みたいに何の取り柄もない人間にも...救える人はいる」
「はい。シュー君の優しさにきっと救われる筈です」
―――――――――。
「...良かった。少しだけ、自信が取り戻せた気がします」
「何てことはありませんよ。私はシュー君のお姉ちゃんなんですから」
―――――――――ふざけるな。
少年の疲れきっていた目に僅かな光が灯る。その僅かな光が私の嘘の言葉で灯ってしまったことに対する罪悪感と、自分に対する嫌悪感を覚えずにはいられない。
ふざけるな。ふざけるな、ふざけるな。それは紛れもない彼への裏切りだ。彼を終人にしたいと願うなら、その嘘は言ってはいけなかった。
「シュー君は大変じゃないですか?毎日夜遅くまで稽古して、稽古がない日も休まず努力して、疲れませんか」
「これも終人になって、たくさんの人を助ける為です。だから、辛くはあっても途中で諦めたくないんです」
真っ直ぐな瞳が見ているのはきっと未来の自分の姿だろう。そんな大切な人の輝かしい未来を―――私は否定しようとしている。
「ご飯、覚めちゃうから食べよっか」
シュウの背中に回していた手をほどいて、鈴はそのまま目の前の純朴な少年の手を取り、夕食の用意されたテーブルへと向かう。
「シュウ君は食べててね。私はお風呂沸かしてくるから」
「あ、はい。ありがとうごさいます」
何か、気に障ることでも言ってしまったのだろうか。自分に背を向けて部屋を後にする時に見せた鈴さんの横顔がどこか悲しそうで―――。
「後で、謝らないと」
静かに部屋の扉が閉められ、シュウは暖かな部屋で美味しいご飯を晴れない気持ちで食べる。
そんなシュウの様子を部屋を出る時に見てしまい、鈴はまた自分の不甲斐なさを自覚する。
「私のバカ」
いつも通り明るく振る舞っていればいい。私が出来るのはそれくらいのものであの小さくて優しい少年の為を支えようと決心したのだから。
両の頬を強く叩き、自分に渇を入れる。今はもう昔のように心の殻に閉じ籠る必要もなく、昔の自分と同じように自分の意思を人に上手く伝えられないあの子を幸せにしてあげる為に私は今日も頑張るのだ。
「もう大人なんだから、シャキッとする私」
暗い心に自ら明かりを灯して鈴は大浴場へと向かう。
~~~~~~
「ごちそうさまでした」
こんな夜遅くまで自分の為に用意してくれていた姉のような優しい女性と、空腹で疲れきった体を少しだけ癒してくれた料理へ向けてしっかりと挨拶をして食器を隣の部屋の調理室にある台所へ運ぶ。
そうして一通り食後の片付けを済ませるとタイミング良く部屋の扉が開かれ、鈴がやってくる。
「あ、鈴さん。食器は片付けておきました。今日もご飯美味しかったです」
それに付け加えてさっき悲しい顔をさせてしまったことを謝ろうとしたシュウを遮って鈴は笑顔で目の前の小さな少年を抱き締めた。
「ありがと、シュー君!ご飯美味しかったですなんて言ってくれるのは今はシュー君ぐらいだよ」
「そ、そうですか。皆もきっと言葉にしてないだけでそう思ってますよ」
「そうかなー。皆私のお料理の味に馴れて、それが普通だと思ってるかもよ?」
何年もこの屋敷で何年も毎日のように美味しい料理を食べていれば、次第にその味が当たり前になり、以前のように美味しくは感じられない。確かにその可能性も無くはないが、決して飽きられることのないような献立にしようと毎日のように考えている鈴の努力は決して無駄ではないだろう。
ただ、言葉にするのを恥ずかしがってたりするだけだったりするのではないだろうか。
「丁度お風呂も沸いたし、行こっか」
そう言ってシュウの手を引きながら鈴は浴場へと向かおうとするが流石にこの広い屋敷のどこに浴場があるのかなんて今更シュウでも分かっている。わざわざ手綱を握って心配するようなことは無いだろう。
「流石に5年も住んでるんですから平気ですよ。最初は確かに迷ってましたけど...」
「うん?シュウ君が大浴場のある場所を知ってるのはお姉ちゃんも分かるよ?」
「だったら――――――。ぁ、嫌ですよ。そんな、もう子供みたいな!」
シュウが無事にこの大きな屋敷のどこかにある大浴場は辿り着けることは分かっている。だとしたら何故わざわざ二人で行く必要があるのか、この屋敷で5年過ごしたように自分を姉のように慕ってくれと言う鈴との付き合いも実に5年。
いつも突拍子のないことを言ったりしたりする鈴の考えていることも分かる時がある。今回も何を考えているのか、珍しくすぐに察しがついたシュウはそれを猛烈に拒否する。
「ダーメーでーすー。これはもう決まったことなのでシュー君が何を言っても変わりません」
その年頃の男の子として持つ当たり前の拒否反応を包み込むのが鈴のあまりにも大きな愛だ。姉として当然、そんな事を恥ずかしげもなく言えるのは彼女くらいなものだろう。
当然、シュウもこれ以上になくその提案を否定するが、当の鈴がそれを意にも介さない。
「さ、着きましたよ。私もまだお風呂に入っていないんですから、早く入りましょう。―――2人で、ね」
「だ、だったら!!僕は後から入りますからお先にどうぞ、それまで待ってますか...」
「何を恥ずかしがる必要があるんですか、そ・れ・に。これはおばあ様からも許可は取っているんですよ。3日前、お風呂で寝てたのを見つけて、それを心配していると言ったら、一緒に入ったらどうか、って。だから、これで私のワガママも大義名分を得たっていう訳です!!」
「師匠がそんなこと言うわけ...」
「言いましたよ。諒一様からもシュー君のことを宜しくと頼まれてるんですから、これは私のお仕事の一つです。さぁ、無駄な抵抗はやめるんですね、もう逃げられませんよ」
鈴はシュウを逃がさぬように唯一の出口である着衣室の扉の前に立ち塞がり、内側から錠の鍵をかける。
退路をを完全に塞がれ、引きつった顔のシュウにジリジリと鈴が近付き、その肩を掴んでにこやかに笑った。
「さ、行きましょうか。―――シュー君」
その見慣れた鈴の優しい笑顔にこれまで以上の不安と恐怖を覚えながら、シュウは為す術なく服を脱がされて大浴場へと連れていかれる。
「.........」
そうして連れていかれた先の大浴場でタオル姿のシュウは珍しく怒ったような顔で同じくタオル姿の鈴に背中を流されていた。
「今日はシュウ君の色んな顔が見れてお姉ちゃんは幸せだよ」
「鈴ねぇに謝ろうとした僕がバカでした。こんな子供みたいな、って。どうしてそんなニヤニヤしてるんで...す?」
鏡越しに見える鈴の顔がこれまで以上に嬉しそうなことに気付いたシュウはまた何かされるのかと言葉を詰まらせたが、その次の鈴が言った言葉を聞いて顔を真っ赤にさせた。
「いやー?シュー君がそう呼んでくれるのはひさしぶりだなーって。あれ、どうしちゃったのかなー。15歳になったシュー君がそんな恥ずかしそうな顔して、男の子らしくないなー」
ついつい気が緩んで昔、鈴にベッタリ甘えていた頃の呼び方に戻ってしまったシュウは真っ赤になった顔を手で覆い、あまりの恥ずかしさに悶える。
「僕のバカバカバカ!!折角言わないようにしてきたのに...」
「へぇー。子供に見られたくなくてそんな風にしてたんだー。もぅ~可愛いなシュー君はぁ~」
表情が悪戯っぽい顔から笑顔へと変わり、鈴はいつものようにシュウに抱き付く。
抱き付かれたシュウは顔を覆っていた手を離し、赤面したまま鈴の手を引き剥がそうとする。
「...シュー君?」
言葉にするよりも早く手が出るのを珍しく思った鈴がシュウの肩に顔を乗せて、耳元でボソリと呟くとそれにもシュウは過剰な反応を見せる。
「も、もう少し離れてください。いくら親しい間柄でも、その、これはちょっと...」
「あ――――――」
そう、相手はまだ子供であったとしても年は15、長年の付き合いである鈴でもこれは少し触りすぎだ。それにいつものようなメイド服ならまだしも、今はお互いを隔てるものはタオル一枚。
―――年頃の子供にこれは意識をするなと言うのはあまりにも酷すぎる。
「ご、ごめんね。つい、嬉しくて」
「い、いえ。僕の失言が招いたことです。元はと言えば、ここに連れてこられたのが原因ですけど」
これはあまりにも過剰に触れすぎた。明るく振る舞うにしてもこの空気は―――。
「(気まずい)」
心の中で自分の犯したミスを恨み、それでも恥ずかしさに流されてしまわないように鈴は少しだけ申し訳なさそうに微笑んでシュウの手をもう一度取り。
「髪、洗うから座ってくれない...かな?」
「もう、さっきみたいなことはしないなら...」
「勿論、そこまでお姉ちゃんはバカじゃありません」
そこまでしてしまう程のバカだが、今はそう言って何とかこの何とも言えない雰囲気を変えなければいけない。取り敢えずは世間話などでお茶を濁すか。
「(って、子供はそんなのに興味ないから)」
だとしたたらゲームなどだろうか。いいや、一日中稽古などに励むシュウが屋敷の中でゲームをしてる姿を見たことはない。この話題も違うとなれば。
「(な、何を話せばいいんだろ)」
シャンプーをしながら何とかこの沈黙を打ち破ろうと画策する鈴はなかなかシュウが興味を持つような話題を思い付くことが出来ない。
「鈴ねぇ」
「は...はい?」
「さっきはごめんなさい」
「ええっと。さっきていうのは?」
こちらから謝ることは多々あれど、謝られるようなことをシュウにされていただろうか。そんなことを思っていた鈴にシュウは申し訳なさそうにしながら言葉を続ける。
「鈴ねぇが部屋を出てお風呂掃除に行った時、悲しそうな顔をしてたから、もしかしてまた何か悪いことしちゃったのかなって」
あぁ、そのことだったのかと鈴は思う。それこそ謝らなくてはいけないのは鈴の方だと言うのに、自分が何か気に障るようなことを言ってしまっていたかも...なんて考えていたのだろうか。
本当に、これから終人になると言うのにシュウは優しすぎる。自分に非がない時も、もしかして、なんて考えて一人で落ち込んで。
だけど、その優しさを捨ててまで終人になることが果たしてシュウの為になることなのだろうか。
「シュー君は何も悪いことしてないよ。あれは...私が勝手に悲しくなってただけだから」
そう、シュウが気に病むようなようなことではなく、鈴が勝手に傷付いて、勝手に悲しくなっていただけだ。
「鈴ねぇも悩んでるんだね」
「そ。シュー君と同じようにいーっぱい悩んでるんだよ」
どれだけ悩めども、答えを出すことはおろか終人になるというシュウの夢を遠ざけてばかり。
終人になるという夢を応援したい私と、応援したくない私。相反する思いが何度も何度も入れ替わっては選びきれず歪な気持ちだけが心に積もっていく。
「僕が言えたことじゃないんですけど、話してみると楽になるかもしれません。それが僕にも相談できるような内容だったら...ですけど」
「そう、かな」
シュウに相談できるような内容どころか、シュウにしか相談の出来ない1人の女の醜い悩みだ。きっとこれを聞いたとしても彼がどう答えるかなんて分かりきっている。
そうしてしまったら、怒られてしまうだろうということも。
―――だけど。私らしくもなく、いつまでも悩んでるようなら、もう後腐れなく話してしまった方が良いかもしれない。
「私ね、シュウ君には幸せになって欲しいんだ」
「......?」
何を言っているのか分からない、とでも言いたげな顔だ。それもそうだろう、私らしくもない真面目な話だ。唐突に自分の事が話題になるなんてこと彼は思ってもいないはずで。
「それが...悩みなんですか?僕の将来の事が?」
そう、彼はいつだってそうだ。これだけ熱烈にアピールしても自分が誰かに心配されていること、自分以上にシュウという人間のことを悩んでくれていることに気付いていない。いいや、そんなことは無いと勝手に決めつけている。
あまりにも自分の評価が低すぎるが故の無関心、5年という月日が流れても彼はその根底が変わることはなかった。本当の家族が居なくとも、家族とも言える人達と10年過ごして来たというのに彼は自分を心配してくれる人なんて居ないと思っている。
「そうだよ。シュウ君はきっと思ったことも無いだろうけど、私はシュウ君の事をシュウ君以上に心配してる」
本当ならもっと自信を持って生きていていい筈だ。シュウ達は孤児院で過ごしていた時のことを話したことは一度もなかったが、そうであっても劣悪な環境で育ってきた訳ではない筈だ。
だったら、こんなにも優しい子供に育ってはいないだろうから。
「だから毎日思ってるんだ。――――――シュウ君が終人になる必要はあるのかなって」
湯気で鏡が曇ってしまい、さっきのようにシュウの顔が後ろからでは確認できないがピタリと時が止まったように動きが停止した事から何も言えなくなるくらい怒っているのかな、と一人で勝手に思っている。それでも、話を終わらせるつもりは無いが。
「シュウ君が終人になる為に精一杯頑張ってるのは知ってる。ううん、頑張りすぎだよ、シュウ君は」
毎日のように稽古とトレーニングに打ち込み、それ以外のことは寝るか、食べるか、勉強をするぐらいで時折居間で雫やアルがゲームをしてるのを見たことはあるが、シュウがゲームをしている姿を見たこと居間でも、自室でも無かった。
お菓子を運びに行ってもいつも机の上に置かれた資料と睨み合って、部屋には最低限必要なものしか置かれていない。
最近では屋敷に居る時間が殆んど無くなって、帰ってくる時間も日に日に遅くなり、リア達も心配をしているが努力をし続けるシュウの姿を見て、とてもではないが止めろなんて言うことは出来なかった。
人の何倍も努力をしていることが悪いことかと言われたら、そうとは言えない。彼の努力を決して無駄なものなどと言える人間はこの屋敷に居ない。
「頑張るのは良いことなんだよ。けどね、皆心配してるの。あの雫ちゃんですら私にシュウの面倒を見てあげてくださいって言うくらいだもの」
「雫ちゃんが?」
「うん。雫ちゃんだけじゃないよ、アル君だって、おばあ様だって、諒一さんも、この屋敷に居る人は皆シュウ君を心配してる」
「皆、僕に終人になって...欲しくない?」
言葉に絶望がこもる。シュウがどれだけ憧れても、身が焦げるほど願っても手に入らない烙印を持っている家族に否定されしまった。
資格を持っている人達にとって、資格を持たざる僕は邪魔なものでしかない。そういうことなのだろうか?
「だったら...そう言ってくれればいいのに」
震える程に手を強く握り締めて、シュウが顔を俯かせたまま悲しそうに呟いた。隠し事はするタイプだけれど元々シュウは感情を隠し通せるような人間ではない。
だから、今考えてることも手に取るように分かってしまう。
「邪魔なんて思ってないよ。言ったでしょ。―――心配してるだけだって。それに皆悩んでいるけれどシュウ君が頑張ってる限り応援してくれる。だからね、これは私のワガママ」
この屋敷に住む人達はシュウが終人になりたいと言えば、力を貸してくれるし、シュウが普通に生きたいと願えばたとえ賢者からの頼みであろうとシュウの意思を尊重し、普通の生活を送らせてくれるだろう。
だから今は必死に頑張るシュウにリアは夜遅くまで稽古をつけ、終人になって夢現という災厄に立ち向かい、戦場で生き残る為の術を叩き込んでいる。
「それでもね、最近夜遅くに帰ってくるシュウ君の顔がどんどん苦しそうになってるのを見ると、本当にこれでいいのかなぁって思っちゃうの。皆は応援してるし、私も応援したいけど」
シュウの背中に鈴の額が押し当てられてその後に今まで聞いたこともない涙声で。
「――――――無理なの。シュウ君が苦しそうにしてるのを見ると私も苦しくって、そこまでして終人になるのが本当にシュウ君の幸せになるなんて、私には思えない」
「...そう、だったんですか」
いつも太陽のように明るくて、朝も早いっていうのに夜遅くまで自分の帰りを待ってくれている姉のような優しい女性。
悩んでいる時は親身に寄り添ってくれて、毎日見せてくれる笑顔がいつか心の支えになっていた。
その笑顔が自分のせいで曇ってしまっていた事に気付けなかった自分が恥ずかしくてしょうがない。
「――――――やっぱり、僕は謝るべきでした」
だから、向かい合おう。いつまでも子供のままで居たくないのなら自分の弱さに向き合うように、自分に期待して、心配してくれる人が居るということに向き合うべきだ。
その期待に答えられるのか怖くて仕方ないし、僕が誰かに心配をしてもらうような人間だなんて今は思えないけど、そう言ってくれた人が居た。
シュウ、という人間以上にシュウの事を考えてくれて悩んでくれる優しい人が。
「鈴ねぇ」
「なに、シュー君」
「ごめんなさい。言い訳かもしれないんですけど、自分の事に手一杯で周りの事を何も見れてなかったんです。自分さえ頑張ればそれでいい、なんてずーっと思ってた」
それが間違いだとようやく気付いた。――――――気付かせてくれた。
「僕は終人になりたかった。それは家族の仇を取りたいっていうのも勿論あります。けど、一番はたくさんの人を助けたいからです。あの時、孤児院から僕達を助けてくれた師匠や諒一さんのように」
独り善がりな思い込みも今から治していこう。自分が期待されてないなんて考えも捨ててしまおう。
――――――そして自分が終人になることを悲しんでしまう人が居るなら。
「――――――僕は諦めます。終人になろうとするのは、今日までです」
そうして、1人の少年はどれだけ頑張っても届かないと思っていた夢を諦めて前へ進むことを決心した。