不思議
「エアリル、姉さんを助けられるか?」
「傷を治すだけならできるよパパ」
エアリルは俺の手を取るとそのままロング姉の傷口に当てた。
「世界に、エアリルに起こさせたい現象を思い浮かべて、そして問うのではなく願って、命令して。魔女の様に特別な言葉も発音もリズムも音程も必要ないよ。ただ願い、言い放つだけ。それがパパだけの魔法になるから」
エアリルの言葉に従い、俺は願い<治せ>と唱えた。
嘘のようにその傷は消え、抉れた部位は元の様に白い腹部に戻った。それでも姉は、呼吸をしている様子はなかった。
肩に抱えた姉を地面にそっと寝かすと、ビュッ!っと風を切る音が響く。俺は視線も送らずに、ただ一言<拒め>と呟く。乳白色の足から生えた黒色の鋭い大爪が、ロング姉の眼前で金属同士がぶつかるようなガン!という音と共に弾かれた。俺は立ち上がりびゅぎゃっぎゃっぎゃ!と煩く喚く蜘蛛に目をやると片手を翳した。俺ではなく執拗に姉を狙ったコイツに対し腹の底で何かが蠢いているような感覚を覚えた。
蜘蛛はまた足を振り上げ、何度も何度も振り下ろしてくる。
<爪を剥げ>
爪がまたロング姉の眼前で弾かれると、それは縦に裂けながら奴の足から剥がれ落ちる。びゅぎゃあああああ!と顔の形をした目が一斉に叫んだ。
<煩い。抉り出し絞り潰せ>
蜘蛛の人面を模した複眼の輪郭からもまた体液が噴き出したかと思うと、頭から人面眼は抉り出され、雑巾を絞るように回転すると断末魔を上げながら潰れて体液をまき散らす。
<首を捥ぎ取れ>
そして本体の頭がぐるりと回転を始め、そのまま胴体から首が毟り取られた。
<切り刻みながら掻き混ぜろ>
最後に全ての部位はミキサーにかけたようにぐちゃぐちゃな肉片となり混ぜられた。
当てつけの様に怒りをぶつけた相手の末路を見届けると、俺は肩で息をしていた。
「ガハッ!ゴホッ!」
足元で咳が聞こえた。視線を落とすと姉さんが血を吐き出し、胸部がゆっくりと上下している。
体から力が一気に抜け落ち脱力した。
「エアリル・・・ありがとう」
エアリルは隣でお尻を地面に着けずに膝を抱えて姉を覗き込みながら座っていた。俺は姉が息を吹き返した嬉しさのあまりに感情的に彼女を抱きしめてお礼を言った。
「・・・う・・・うん」
何処か釈然としない口調でエアリルは答えた。
「どうした?魔法を使うとやっぱり体に影響が出るのか?」
「んーん。これくらいの魔法はくすぐったくもないよ?エアリルはパパのあんな姿を見る方が辛かったくらいなの」
俺はありがとうと呟いてエアリルの頭を撫でた。彼女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「なあエアリル、俺がこれは魔法だと判断しても消さないように出来るかな?」
「出来るし、そのつもりだよ。必要な嘘もあるよね。だからこれからは消したいときは<嘘だ!>とか<異議あり!>とか唱えるようにしてね」
エアリルは何が気になるのか、言い終えるとすぐにまた姉を覗き込み、自分の膝に両手を当て首を傾げた。
「どうしたんだ?」
「わかんない。なんかこの娘に干渉できなくなってる。そもそも完全に死んでると思ってた。でも生きてる。不思議」
世界も解らない不思議か。それは奇跡かもしれないな。・・・奇跡か、神様が何かしてくれたのかな?
「エアリル、俺の事が分かったみたいに神様の事も分かる?」
それを聞いた途端、エアリルは目を座らせた。辺りの空気がどんよりと澱んだ気がした。
「わかるよ。分体が誰かも分かってるよ。でもねエアリルはこっちの世界じゃ新しいママが欲しいな・・・」
「え・・・どうしたエアリル?神様が何かしたのか?」
「・・・あのねパパ。ママはね、パパが思っているよりずっとね・・・その、バカだったの。探さない方が良いし、エアリルも教えないよ・・・」