帰還
もう夜も遅い。リオはできるだけ音を立てないように自分とレオンの部屋に走った。
寝ているレオンを起こしたら申し訳ない。でも、早く会いたい。ドンドンではなくトントンくらいの控えめなノックをすると、ドアの向こうから足音が聞こえた。
(レオン様だ!)
どきどきしながらドアの前で待つリオ。ゆっくり扉が開き、そこに立っていたのは・・・
信じられないという顔をしてリオを見つめるレオンだった。
レオンの顔を見た途端、どれだけレオンがリオを心配していたかが分かった。偽レオンは全然窶れていなかった。目の下のクマもなかった。げっそり頬もこけていなかった。顔色も土気色ではなかった。何より、目に涙なんて浮かんでいなかった。
(あんな偽物をレオン様と間違えるなんて、一生の不覚!)
リオは溢れる涙を拭うこともせずにレオンの首に飛びつき胸にしがみついた。嗚咽が止まらない。
「・・・リオ、リオか?本物・・か?」
「・・・うん・・・うん」
「・・・・夜怖い夢を見て目が覚めた時、君はいつも何て言ってくれた?」
「丸坊主!」
と正しい合言葉を発すると、レオンが思いっきりリオを抱きしめた。
レオンはリオを抱きしめながら号泣していた。
(大人の男の人でもこんなに泣くんだな。それだけ心配してくれてたんだ。すごくすごく嬉しい。無事に帰ってこられて良かった)
幾筋もの涙がリオの頬を伝う。言葉も出てこない。
ただただ二人で抱き合って泣き続けた。
レオンがリオに口づけするとお互いの涙の味がする。
「・・・しょっぱい・・」
とキスの合間に呟くとレオンが噴き出した。
「確かに」
と言いつつ、更にキスを続ける。
ようやく唇を離してリオの顔をまじまじと見つめ、愛おしそうに頬を撫でた。でも、レオンの涙は止まらない。泣き顔が子供みたいでヒックヒックとしゃくりあげている。
この人は優秀で何でもできて完璧な大人の男性に見えるけど、実はそれだけじゃないことを知っている。カッコよくて、頼りになって、優しくて、面白くて、でもちょっと残念なレオンを心から愛おしいと思った。
(私は絶対にこの人を置いていけない)
リオは何があってもこの愛しい人を守り通すと誓いを新たにした。
レオンはリオを抱き上げてベッドに連れていく。寝台にリオをそっと横たえると、まだ信じられないというように「リオ・・リオ・・・」と呟きながらリオの髪や頬を撫でた。
リオが泣き止んだ後もレオンの涙は溢れ続け、最終的にリオがレオンの頭を撫でながら慰めていたら二人はそのまま寝入ってしまったらしい。
***
窓から差し込む朝の日差しを感じてリオの意識は徐々に覚醒していく。ハッと目が覚めると、瞼が腫れ上がっているレオンの寝顔が目の前にあった。久しぶりの温もりが嬉しくてレオンの胸に顔を寄せる。
穏やかな寝息をたてていたレオンが身じろぎをした。
「・・・ん・・んん・」
と色っぽい声を出しながら、レオンの瞼が微かに震える。腫れぼったい瞼が開いて金色の瞳がリオを捉えた。
リオの姿を見るとレオンがガバッと跳ね起きてリオの顔や体をペタペタ触る。
「・・・本物かどうか確認してるんですか?」
「やっぱり本物のリオだね!・・・くぅ・・・良かった。夢だったら怒りでこの世界を破壊しているところだ」
レオンはリオの両肩に自分の腕を掛けて、リオと自分の額を軽くごっつんこさせた。
「・・・会いたかった。無事に帰って来てくれて本当に良かった」
「うん」
レオンの瞳に再び涙が滲む。
軽いノックの音がして「レオン様?起きていらっしゃいますか?」というアニーの声が聞こえた。リオは走って扉を開ける。やっぱりアニーだ!
口をポカンと開けてリオを見るアニーの瞳に、みるみるうちに涙が膨らんだ。
ポロポロと涙をこぼしながらリオに抱きついて
「り、リオ様・・・本当にリオ様ですか・・・?」
と泣き続ける。
レオンも頷いて「ああ、ちゃんとリオだと確認した」と嬉しそうだ。
アニーはひたすら泣きながら「良かった・・・ご無事で良かった」と繰り返していた。
*****
無事に戻ったことを知らせるために、リオとレオンはリュシアンとセリーヌの部屋を訪れた。扉をノックすると不機嫌そうな声が聞こえて、リュシアンが扉を開ける。目の前に泣き笑いのリオが立っているのを見て、リュシアンは呆然と立ち尽くした。しかし、すぐに瞳の表面に涙の膜ができてポロリと目尻から一滴が零れ落ちる。
「・・・リオっ!」
と叫んでリュシアンがリオを抱きしめた。
その声を聞いてセリーヌも駆けつける。
「リオ?!リオなの?!」
とセリーヌもリオを抱きしめる。美しい瞳から幾筋も涙がこぼれた。
セリーヌも酷く窶れている。どれだけ心配かけてしまったのか。リオは申し訳ない気持ちで一杯だ。二人は何度もリオの頭を撫でて「無事で良かった・・本当に良かった」と嗚咽する。
(ああ、ウチに帰ってこられて良かった)
リオの瞳もなかなか乾きそうになかった。
リオは、パスカル、マルセル、イチ、サン、カール、ルイーズ、アベルにも会いにいった。全員が帰還を喜び、無事で良かったと泣きながら喜んでくれた。アベルは「もうどこにも行かないで・・・」とリオにしがみついたまま号泣した。
サンにだけは
「お前が居ない間、どれだけ大変だったか分かるか」
と額にデコピンされたけれど、顔を背けた時にサンの目尻が少し光っているのが見えた。
*****
久しぶりに全員で和やかな朝食を取った後、リュシアンは緊急会議を招集した。そこでリオは何が起こったのかを順序立てて報告していく。
エラの鬼畜ぶり、ミハイルの壮絶な死、偽レオンなど何度も驚愕ポイントがあり、聞き手は何度も息を呑み、大きな溜息を吐いた。たった数日とは思えない修羅場を生き残ったリオを皆が褒め称える。
特にオリハルコンとスタニスラフの縁を聞いてセリーヌは憂いを帯びた表情で「因縁って不思議ね・・・」と独り言ちた。
リュシアンは帝国のアントン皇子に興味があるようだ。
「帝国は既に国境付近に帝国軍を配備して軍事演習も行われている。フォンテーヌへの明らかな示威行為だ。何とか戦争を回避したいが、無理な場合は迎撃できるよう準備しなくてはならない」
切羽詰まった状況は分かるが戦争で一番苦しむのは一般庶民だ。回避することを最優先したい。リオの気持ちを汲んだようにリュシアンは頷いた。
「アントン皇子が反ポレモス派で戦争に反対であれば、皇宮内で協力者ができるかもしれない。連携すれば戦争を止められる可能性もある。それに万が一の時は大使公邸にいるアンドレ達を避難させなければならない。アントン皇子が協力してくれれば助かるのだが・・・」
リュシアンの宰相としての顔を見ると、やっぱりカッコよくて頼りになるとリオは感心した。そこでリオは一つ言い忘れたことを思い出した。
「あ、あの、そういえば村長が私を転移させてくれた時に、今度保護者の皆さんと話し合いに来ると言っていました。多分、魔王復活について知りたいのだと思います」
リュシアンが「魔王復活か・・・」と呟いでカールを見た。カールの表情が曇る。
「シュヴァルツ大公は元々病弱な方で・・・。戦争にせよ、魔王復活にせよ、積極的に関与できるかどうか分かりません」
リュシアンがため息をついた。
「シュヴァルツ大公国とは長年同盟関係にある。帝国との戦争が勃発した場合、一蓮托生の運命共同体だ。できたら、効果のある軍事同盟を期待したい。スミス共和国にも同盟の使者を出したが、正直期待はしていない。共和国は王政・貴族制度に反対しているし、中立の不可侵条約だけでも結べたら満足すべきだろう。だからこそ、シュヴァルツ大公にはしっかりしてもらわないといけないのだが・・・。テオの後継ぎはまだ幼かったな?」
「はい、ジークフリート大公世子はまだ十歳です。英邁な御子息であらせられますが、やはり国を率いるのには幼過ぎるでしょう」
病弱と聞いてやはりリオは黙っていられなかった。
「・・あの、シュヴァルツ大公はお年を召した方なんですか?」
「いや、現大公はまだ三十代後半ですよ」
「え、それで病弱って・・?何が原因か分かっているんですか?」
「・・・いや、それが、食欲不振とか倦怠感とか・・・。体重も減っているようです。医師団は匙を投げていて、生まれつき病弱だから、で済ませているようですね」
(一国の大公がそんな状況で何も対策を講じないのかしら・・?糖尿病の可能性もあり?)
リオが考えを巡らせていると、レオンがハラハラと自分を見ていることに気がついた。
「大丈夫ですよ。シュヴァルツに行くなんて言いませんから」
と笑顔を向けるがレオンは益々不安そうだ。
「リオ、大公が健康を取り戻す可能性はあると思うか?」
リュシアンの言葉に周囲がザワッとして、レオンが血相を変えた。
「あなた、リオは帰ってきたばかりで・・・」
セリーヌも咎めるように言うがリュシアンは
「すまない。しかし、今は国の危機なんだ。国のトップである大公が壮健であるかどうかで結果が変わる可能性がある」
ときっぱり言う。
「状況は理解できます、でも、あの、実際に患者を診てみないと何とも言えません。ごめんなさい」
レオンは「リュシアン、リオに何があったか、もう忘れたのか?」とリュシアンを睨みつけた。
「分かっている。しかし、宰相として可能性があるなら検討すべきだ。もちろん、大公をリオに診察してもらうとしたら、ポレモスには絶対関与させない」
「一体どうやって・・・?」
とレオンが呆れたように言うと
「村長に協力してもらえばいいんじゃないか?」
とリュシアンは得意気に宣言した。




