レオンの苦悩
「レオン!レオン!大丈夫か?話を聞いているか?」
リュシアンから肩を揺さぶられて、レオンの瞳に焦点が戻る。一瞬だけ意識が飛んだ。
リオが攫われて以来、レオンの中には虚無が広がり続けている。リュシアンとサンが不安そうにレオンを見た。無理もない。ガラス玉のようなレオンの瞳は暗黒しか映していない。
(リオがいない世界では見るべき価値のあるものなんてない)
(リオに万が一のことがあったら、私はもう普通には生きていけない)
(わずかでもリオが生きている可能性があるなら、私はどこへでも走るし何でもする)
*****
レオンとサンは、リオの制服を見つけたことをリュシアンたちに報告した後、再び『転移の間』からミハイルが幽閉されていた屋敷近くへと転移した。二人は黙って走り続ける。
屋敷に入ると先刻と同様、血と死の匂いが凄まじい。リュシアンが王宮に報告すると言っていたので、後ほど王宮から人が来るだろう。その前にリオ捜索の手がかりを掴みたい。
リオの制服のドレスが打ち捨てられていたのは大広間だった。ドレスの裾に血が付着していたが、入り口から大広間に移動する時に血だまりがあったので、それで付いたのだと思う。本人のものではないと思いたい。
今回は大広間だけでなく、屋敷全体を捜索する。階段を上って全ての部屋を探るが、人の気配はない。ミハイルの寝室らしき部屋にもリオの痕跡はない。そこにリオの痕跡がないことに少しだけ安堵する。しかし、やはりミハイルを殺しておくべきだった、と後悔する。
一階から大きな音がして、サンの呼ぶ声がした。レオンが急いで階下に降りると、サンが年老いた侍女の腕を捕まえていた。
「アンナ」
とレオンは呼びかける。昔、フィオナ(リオ)が監禁されていた頃、世話係だった侍女だ。アンナはのろのろとレオンと目を合わせた。
「・・・ああ、アレックス様、ですか?!随分若くおなりで・・・」
アンナに若返っていることがバレても、もうどうでも良かった。
「フィオナはどこだ?」
と聞くがアンナは黙っている。
「フィオナがここに来ただろう。知っていることを全て話せ。後で王宮の兵士らが来る。黙っているとためにならないぞ」
多少のハッタリをかまして脅しをかける。アンナは怯えた様子は見せなかったが、重い口が開き始めたので、多少は効果があったのかもしれない。
「ミハイル様たちがどこへ行ったかなんて私には分かりません。私にはどうせ何も知らされませんから」
自嘲気味にアンナが話し始めた。
「あの小娘が来ることだって、私は全然知りませんでしたよ。ミハイル様はゆっくりご静養されるべきでした。それなのに変な魔術師やら面妖なフードを被った男達やら卑しい獣人やらが、入れ代わり立ち代わりこの屋敷に出入りしだして・・・」
王宮の見張りは何をやっていたんだ、とレオンは憤懣やるかたない。
「今日だって突然、フードを被った男たちが騎士を攻撃し始めて・・・。特にメフィストとか呼ばれている男、顔も何も分かりませんが、アレは異常です。蛇のような・・邪悪な奴ですよ。アレがほとんどみんな殺しちまいましたよ。私は恐ろしくて隠れていたんです。そしたら、空から大きな獣があの小娘を連れて降りてきました。ちょうどエラ様もご到着されて・・」
「エラ?エラもここに居たんだな?」
レオンはつい口を挟んでしまった。
「はい。魔術師や卑しい獣人なんかもいましたが」
その時、リオが感じたであろう恐怖を考えると胸が苦しくなる。
「何を話していた?」
「・・・良く分かりません。なんか若返りがどうとか・・」
(やはり・・・エラの考えそうなことだ)
「あの小娘が不遜にもエラ様に言い返して。エラ様がミハイル様に小娘を調教しろと命じられました」
「何だと!」
レオンは怒りに我を忘れてアンナに掴みかかろうとした。しかし、冷静なサンが止める。
「気持ちは分かる。でも、今は情報を得ることが先決だ」
サンが耳元で囁く。分かっている。レオンは何とか怒りを抑えて質問を続けた。アンナはしばらくレオンの剣幕に怯えていたが、サンが上手く宥めすかした。
「その後、エラ様がお帰りになりました。続いて他の者たちも立ち去ろうとしたんです。でも、小娘が着ていたドレスに追跡子が付いていることを魔術師が気づいて、剣でドレスを破きました」
レオンは怒りで体中の血管が沸騰しそうだった。
(リオ・・・可哀想に。怖かったろう)
握った拳がブルブルと震える。
「ミハイル様に着替えを持ってこいと言われて、私は着替えを渡しました。小娘がその服に着替えた後、全員でどこかに転移していったんです。私が知っているのはそれだけです!本当です!」
アンナはブルブル震えながら、懇願する。嘘をついているようには見えない。レオンとサンはアンナを解放して、ひとまず公爵邸に戻ることに決めた。
アンナはミハイルとセルゲイの帰りを待つという。後始末は王宮に任せよう。
とりあえず、リオが生きていることは確認できた。
エラがリオの力を使って若返ろうとしているなら、少なくともそれが済むまではリオを殺すことはない。
しかし、リオがミハイルの手の内にいるという事実が耐えがたかった。ミハイルがリオに何をするかを想像したら、気違いじみた怒りに全身が震え、息ができなくなる。
また過呼吸になるかもしれない。リオから言われたことを思い出して、口を閉じて鼻から少しずつ呼吸するように気をつける。今倒れる訳にはいかない。
リオが恋しくて堪らない。何故あの時もっと近くに居なかったのか、何故間に合わなかったのか、後悔ばかりが頭に浮かぶ。
サンと並んで走りながら、レオンはひたすらリオへの想いに身を焦がしていた。
***
公爵邸に戻ると、ちょうどリュシアンも王宮から戻って来たところだった。
全員で情報の共有をする。リオがまだ生きているという報告には安堵したが、今後どうやってリオを捜すかについての妙案は出ない。
エディは再び男装して旅支度を整えていた。今夜にも出発するらしい。イチが護衛として付いていくという。
「レオン様、絶対にリオは戻ります。私は帝国側から探ります。それに、村長にリオを守る加護が欲しいとお願いしたら、村長は既にリオにはそれがある、と仰ったのですよね?」
レオンは頷いた。全く頼りにならない加護だ、と思ったが、口には出さなかった。
「村長の加護は完璧ではないかもしれませんが嘘はつきません。リオはオリハルコンを持っているんですよね。だったらリオは大丈夫だと思います」
確かにリオのブーツには常にオリハルコンが入っている。ポレモスが侵入した時にそれがバレた可能性は薄い。リオがオリハルコンで偽パスカルを脅した時も、リオはドレスで隠しながらオリハルコンを取り出していた。偽パスカルがそれに気づいた可能性は低いだろう。
エディの言葉に少し救われる部分はあった。今夜ミハイルに襲われてもオリハルコンが守ってくれる・・・なんてことはあるだろうか?
・・・・ないだろうな。レオンはどんどん悲観的になるのを止められない。ナイフは所詮ナイフだ。結局使い手の腕がものを言う。リオにはほとんど攻撃力がない。
奇跡が起こらないだろうか、と祈るしかできない無力な自分が堪らなく情けなかった。
**
リュシアンの報告によると、ジュリアン王太子がデュボア伯爵家に行啓したことは無い。やはりポレモスが化けていたのだ。
トリスタン国王はすぐに人員を手配して、ミハイルが幽閉されていた屋敷に派遣した。報告を聞いてトリスタンは激怒し、ミハイルとセルゲイを捕まえたら今度は牢獄に入れると息巻いている。
また、王家の影の報告によるとコズイレフ帝国に不穏な動きがあるらしい。フォンテーヌ王国に対して宣戦布告する可能性もあるという。有事に備えて、トリスタンはシュヴァルツ大公国とスミス共和国に使者を送り、三国同盟を提案することを決めたそうだ。
更にジフテリアらしい伝染病がフォンテーヌで散発的に発生していると報告があった。王宮医師団に感染症対策を指導して欲しいそうだと聞いて、レオンは今夜中に対策をまとめると答えた。リュシアンは黙ってレオンの肩に手を置いた。
「レオン、酷い顔色だ。休んだ方がいいんじゃないか?」
「リオが見つからなければ眠れるはずがない。やることがあった方がいい。それに感染症対策は急務だ。リオがいたら同じことをするだろう」
痛ましいものを見るような周囲の視線にレオンは苛立ちを覚えたが、それは八つ当たりだと分かっている。誰もそれ以上は口を挟まなかった。
カールはエレオノーラに手紙を出してみると言う。エレオノーラはエラに一番近しい存在だ。何か知っているかもしれない。
しかし、それ以外にリオの行方を探るための打開策は誰も思いつかない。やるせない雰囲気の中、話し合いが終わった。
その夜エディとイチが旅立ち、サンもリュシアンから命を受けてどこかに出発した。恐らく帝国の動きを探るのだろう。リュシアンは国の宰相として有事に備える必要がある。リオのことだけに構っていられないのは理解できるし、非難するつもりもない。
しかし、レオンはただ一途にリオのことを考え続けた。感染症対策の報告書を纏めながら、リオだったら何と言うだろうと考えるだけで涙が滲む。
リオに無事でいて欲しい。生きて自分の元に帰ってきて欲しい。リオが恋しくて堪らない。報告書を書きながら、ポツリと水滴が紙の上に落ちる。気がついたら涙が溢れていた。
(リオ、どうか早く帰って来てくれ。私の心が壊れる前に)




