オリハルコンの秘密
転移した先はどこかの屋敷だった。
ポレモスは、リオを逃がさないようミハイルたちに再度念押しした後、フードを被った男たちと共に転移して消えた。
ミハイルはリオを縄で縛るように獣人に命じた。獣人の中でもリーダーらしき「ベルトランド」と呼ばれる獣人が「痛くないか?」と尋ねながら、リオを縛り上げた。会話から判断するとこの屋敷はベルトランドの家らしい。
獣人たちはリオに同情しているようだった。彼らは紳士的でミハイルのようにリオを馬鹿にする態度は取らない。
夕食の時も、ちゃんと座って食べられるように縄を解いてくれた。見張りはいるが、浴室やトイレの中にまで付いてくるような真似はしない。
ボリスやスタニスラフの時代に、ブーニン地方の獣人はブーニン侯爵家への忠誠を誓ったとセリーヌが話していた。忠誠も代々受け継がれていくそうだ。それで、あんなゲスの言いなりになっているのかもしれない。リオは獣人たちに対して悪感情は抱けなかった。
それよりもリオの恐怖は夜だ。ゲスが何度もリオを上から下までなめまわすように見つめて下卑た嗤いを浮かべる。真剣に鳥肌が立つ。吐きそうだ。ゲスに襲われるくらいなら死んだ方がましだ。いや、死んだらレオンが悲しむ。不安と葛藤が止まらない。
(でも・・私はレオン様の心を守らないといけない。何があっても、ゲスを傷つけてでも生き延びて逃げてみせる)
誰かを傷つけてまでもという覚悟は、前世含めて生まれて初めてのことだ。ブーツの中に隠し持ったオリハルコンの感触を確かめる。『どうか私を守って』と祈る。オリハルコンを触っていると不思議と気持ちが落ち着いた。
その日の夜、縄を解かれたリオはミハイルの寝室に連れて行かれた。
ゲスは満足そうにリオを眺める。
(マジで顔に嘔吐してやりたい)
ゲスがリオに近づきベッドに押し倒そうとした瞬間、リオはもう我慢ができなくなった。ブーツに隠していたオリハルコンを取り出しミハイルに切りつける。思いっきり振ったオリハルコンがミハイルの頬を掠めた。ジュっと肉が焼けるような音がする。
「っつ・・・・くそっ、なんだこれは?!この女!」
ミハイルがリオの頬を思いっきり殴りつけた。その勢いでリオは床に転がる。口の中が切れた感触があり、血の味が口一杯に広がった。
(やっぱり私は非力だ・・・。武器を取って戦うなんて無理・・・せめて戦闘訓練を受けておけば良かった。でもこんな男に犯されるなんて耐えられない)
もうここで自害しようとリオはオリハルコンを自分の心臓に突き立てようとした。しかし、ミハイルに無理矢理ナイフを取り上げられる。
「もしや、これがオリハルコンか・・・。お前が持っているなんて信じられなかったが、わざわざここまで届けてくれるとはな」
と高笑いするミハイルに心底殺意が湧いた。嫌悪と絶望に頭を掻きむしりたくなる。
ミハイルは扉を開いてベルトランドと数人の獣人を呼び出した。部屋に入ってきたベルトランドはリオの殴られた顔を見て眉を顰める。
ミハイルは獣人たちにリオをベッドの上で押さえつけるよう命じた。
(うわ・・・詰んだ)
獣人たちは嫌な顔をして「やりたくない」と抗弁したが、ミハイルに「おい!お前たちは我が祖父スタニスラフの恩を忘れたのか!恩知らずめ!」と怒鳴りつけられて、仕方なくミハイルの指示に従った。
獣人たちはリオをベッドに寝かせると手足を抑えつけた。どれだけ抵抗しても、全く動かない。
ミハイルはニヤニヤ嗤いを浮かべてベッドにゆっくり近づいてきた。手にはオリハルコンのナイフを持っている。脅かすようにオリハルコンの刃をリオの肌ギリギリのところに近づけて舌舐めずりをした。
(キモ、キモイ、最悪だ。悔しい)
いっそのこと殺せと叫びそうになった時に、突然オリハルコンの刃から閃光が四方に放たれた。強烈な眩しい光がミハイルの目を直撃する。閃光に目を貫かれてミハイルは「目が・・・目が・・」と呻いた。
そして、輝きを失わないオリハルコンのナイフは空中に浮かんだ。
(独りでに動いた・・・オリハルコンが・・・どういうこと?)
その場にいた全員が呆然と宙に浮かぶナイフを見つめる。ようやく目を開けられるようになったミハイルが「っ・・・な、なんだ!?これは・・・」とオリハルコンを見上げると、そこから白い霞が立ち上ってきた。
(・・・・え、これ見たことある。かつてのルイーズと同じ霊魂・・・いや人間の意識だ)
白い霞が人の形になった。中年くらいの男性だ・・・。誰?
ミハイルは口をポカンと開けたまま、腰を抜かしたように床に這い蹲っている。
白い影が口を開いた。
「ベルトランド、今お前がしていることを見たらコルラードはどう思うだろうな?」
リオの右手を押さえていたベルトランドが慌てて、その手を離す。他の獣人にも手を離すように命じた。リオは自由になった手足を擦る。
「何故?!私の祖父のことを・・・?」
ベルトランドは愕然としている。
「私はスタニスラフ・ブーニンだ」
(・・・・えぇぇっ?!あの?あの噂のスタニスラフ?善人なのに悪妻に苦労した!?なんでオリハルコンに!?)
白い影の台詞を聞いて獣人たちは衝撃を受けている。特にベルトランドの動揺は激しい。
「スタニスラフ様・・・・?祖父コルラードが生涯変わらぬ忠誠を誓言したスタニスラフ様・・・ですか?」
ベルトランドの問いにスタニスラフは頷いて、床に這い蹲っているミハイルを睨みつけた。
「ベルトランド、お前たちの忠誠心は誤ったところに置かれている。こんなゲスではなく、現ブーニン侯爵はマキシムだ。はき違えるな」
獣人たちは全員床に平伏した。
「・・・も、申し訳ありません。ボリス様、スタニスラフ様のことを忘れるなと祖父らからずっと言い伝えられて参りました。ブーニン侯爵家に従うことがお二人の御心に叶うものと勘違いしておりました。誠に申し訳ありません!」
ベルトランドは心から謝罪しているようだ。
「ブーニン侯爵家の名を汚すゲスに従う必要はない。むしろ殺してしまった方がいいくらいだ」
ベルトランドはスタニスラフの言葉を聞いてしばらく沈黙した後、少し微笑みを浮かべた。
「正直、こんなゲスの言いなりになるのは獣人のプライドが許さなかったんですが、先祖の誇りを守るためと我慢しておりました」
「こんなゲスの言いなりになる方が先祖の名前を汚す行為だろう。真の忠誠心とは主君が誤った道に入った時に命を懸けてそれを止めるもの。お前たちは何をやっているのかと呆れ果てていた」
ベルトランドは恥ずかしそうに頭を掻いて、もう一度床に額を擦りつけた。
「誠に申し訳ありません」
その後、リオの方に向きなおり
「リオ嬢にも本当に酷いことをしてしまった。すまなかった。この償いは何でもする」
と頭を下げる。
(ゲスの連呼が多少気になるが・・・よ、よかった・・・。なんか助かりそう・・な雰囲気なの・・かな?)
スタニスラフはミハイルに向かって呼びかけた。
「ミハイル。お前は何度も更正する機会を貰った。それなのにその機会に感謝することもせず、反省もせず、日々他人を羨み、妬み、嫉む。それが醜い行為だと自覚しているか?何の罪もない少女を監禁し、今また大きな罪を犯そうとしていた。自分の血を引いているとは信じがたい。子孫がこのように醜悪になるとは・・父ボリスが知ったらどれだけ嘆くだろう。お前は自分のしたことをきちんと省みろ」
スタニスラフの叱責の言葉もミハイルに届かないらしい。口の中で何かブツブツ呟いていたかと思うと、空中に浮かんでいたオリハルコンを掴み取り、突然リオに襲いかかった。
「・・・お前が、お前が悪いんだ。僕をいつも馬鹿にして、コケにして、お前のせいで、僕は閉じ込められて・・。本来なら帝国で皇族扱いされるはずだったのに!全部お前が悪いんだ!」
と叫んでオリハルコンのナイフをリオの心臓に突き立てた瞬間、リオはもう死んだと思った。しかし、痛くない。ナイフはミハイルの力に抵抗してリオから数センチ離れたところに浮いていた。ミハイルの手がぶるぶる震える。リオの皮膚には傷一つついていない。
「お前はそこまで愚か者だったのかっ!」
スタニスラフの恫喝と同時にオリハルコンから真っ白い光が発生した。眩しすぎて目を開けていられない。
「ぎゃ――――――――――!」
突然ミハイルの悲鳴が辺りに響き渡った。ナイフを握っていたミハイルの手が真っ黒にブスブスと燃えている。
「・・・た、た助けてくれ・・・い、痛い・・う・・痛い・・いた・・」
と言われてもリオにはどうすることもできない。
手から炭化が始まり、急速にそれが体中に広がっていく。全身がブスブスと消し炭のようになり、最終的にはわずかばかりの灰が床に残っているだけだった。
ミハイルの断末魔の声が脳裏に響く。あまりの衝撃にリオの意識は遠のいた。
スタニスラフは苦渋の表情を浮かべ、
「あの愚か者は、最後まで学ぶことができなかった。機会は与えられていたのに自業自得だ」
と呟いた。
リオはその台詞を聞きながら、完全に意識を失った。




