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感染症

翌朝、リオの瞼は驚くほど腫れ上がっていた。アニーが気を遣って氷と冷たいおしぼりを持ってきてくれる。


眼を冷やしながら溜息をつく。


(我ながら夕べの態度は酷かった。レオン様に何て言って謝ろう・・。いくら心が広いレオン様でもきっと怒ってるよね)


再び溜息をつくと、控えめなノックの音が聞こえた。


「はい」と返事をすると、恐る恐るレオンが入ってくる。


レオンは酷い状態だった。目の下のクマは真っ黒で顔色も悪い。全身が擦り切れたぼろ雑巾のような有様だ。


(夕べ何があったんだろう?私が部屋を追い出したから・・・私のせいだ、ごめんなさい・・)


それなのにレオンは「リオ、大丈夫か?」といつものように気遣ってくれる。その優しさが身に沁みて、また涙が出てきた。涙腺がガバガバだ。


レオンは「ど、どうしたリオ」と焦りまくっている。リオは思いっきりレオンに抱きついて、わんわん泣きながら昨夜のことを謝った。


「・・・ごめんなさい、ごめんなさい、私のこと嫌いにならないで」


レオンがホッとした顔でリオをギュッと抱きしめる。


「嫌いになんてなるはずないだろう」


と甘く頬にキスをした。


「夕べはどこに泊まったんですか?」


と聞くと気まずそうにサンのところだと教えてくれる。


(え、サンの?!よりにもよって?)


話を聞くと男二人で朝まで飲んだくれて完全な二日酔だという。


レオンは辛そうなので、浴室で体を洗った後ベッドに横になってもらう。レオンの今日の診療は午後からにするようアニーにすぐ連絡した。


今日は自分が頑張れねば、とリオは気合を入れる。


でも、その前にまず二日酔いを何とかしよう。


アルコールが肝臓で分解されるとアセトアルデヒドという成分が産生される。それが全身にまわって神経細胞に影響し、倦怠感や頭痛が起こるのだ。


アセトアルデヒドの作用を減らせないかと適当に魔法をかけてみた。


「アセトアルデヒド、消えろ」と無茶ぶりしてみる。


驚いたことにレオンの体が淡く光った。効いたのだろうか?


ついでに首、肩、背中も凝っていたのでマッサージ魔法で筋肉を解す。


レオンが「ん・・あぁ、気持ちいい・・・」と呻いた。この人はどんな声を出しても色っぽい。ちょっとドキドキしながら今度は目のクマを何とかしようと思う。


眼の下のクマは静脈血貯留だ。細い毛細血管が集まっているところだから、静脈血が鬱血すると黒く見えてしまう。血行を良くすれば治るかな、と目の下と頭蓋全体に少し魔法を入れてみる。


「・・・・ああ・・・気持ち・・いい。天国だ・・」


とレオンは呟いて、そのまま大きな寝息を立てて眠ってしまった。


良かった。このまま眠れば午後には回復するだろう。


リオは急いで誕生日プレゼントの制服に着替えて療法所に出勤した。侍女にレオンを昼過ぎに起こすようお願いする。


療法所に行くとサンがいつも通り受付に座っていた。


ちょっと緊張しながら「おはよう」と言うと


「夕べはあんたのダンナがひどかったんだから。しつこくて朝まで寝かせてくれなくてさぁ」


と色っぽく宣った。


「だから、いかがわしい言い方はやめてよ」

「お、いつもの調子が出てきたじゃん。レオン様、大分飲んでたけど大丈夫?」

「午前中は休んでもらうわ。サンは大丈夫なの?」

「俺は笊だからさ」


ホントに元気そうだ。


「それにしても、今日は暇そうだな」


確かに、その日は珍しく待っている患者がいない。まあ、病人が少ないということは良いことだ。調剤室からアベル、マルセル、パスカルの賑やかな声が聞こえてくる。あまり邪魔したくはない。


いい機会なので、アニーの看護師研修をすることにした。


(よし、今日は止血のやり方を教えよう!)


アニーは嬉しそうにリオの診療室にやってきた。分厚いノートを持って準備万端だ。


「あのね。出血というのは外出血と内出血があるの。内出血は重症だと治癒魔法が必要になるわ。外出血は、皮膚と血管が傷ついて血がそこから出てくることよ。傷がある時に血管が拡張すると血が出やすくなるの。暑いと人間の血管は拡張するから出来るだけ冷やす方が良いわ。冷やすと血管が収縮するから血が出にくくなる。怪我人が厚着をしていたら薄着にしてあげて。止血の一番の基本は出血箇所に清潔なガーゼをしばらく押し当てて圧迫してみること。強すぎはダメよ。しばらく圧迫してから、そっとガーゼを外して血が止まったか確認してみて」


アニーはフンフンと頷きながら、ノートに書き込んでいる。


前世日本には止血の方法なんて山ほどあったけど、ここでは限られるからね。


「それでも血が止まらない時はお茶を使うといいのよ。お茶に含まれるタンニンという成分に止血効果があるの。濃い目のお茶に清潔なガーゼを浸した後、固く絞って出血箇所にしばらく押しつけてみると良いと思う」


アニーの目は真剣で、それでいてキラキラ輝いている。彼女は素晴らしい看護師になるだろう。


「治癒魔法には限界があるから、魔法を使わずに止血する方法も覚えておいた方がいいわね」


というとアニーは満足気に頷いた。


***


その時、受付のサンが慌てて診療室に駆け込んできた。


「急患!重症よ」


リオとアニーは慌てて立ち上がり待合室に走る。


待合室の長椅子に若い女性が横になっていた。ひっきりなしに甲高い犬の鳴き声のような咳をしていて熱も高そうだ。若い男性が隣で必死に声をかけている。


リオは男性に患者を診療室に運んで欲しいとお願いした。マルセルが顔を出して「手伝おうか?」と言ってくれたけどリオは首を横に振った。嫌な予感がする。接触する人は少ない方がいい。


アニーにも診療室に入らないよう指示を出す。


自分も気をつけないと危ない。これは感染症だ。医療従事者の感染予防は治療の基本中の基本。リオは自分の体の全表面に薄い膜が張れないかと魔法を試してみた。


全身を淡い光が覆う。


(あ、やった。魔法、かかったかも)


息も吸えるがマスクをしているような感覚がある。面白い。


男性は苦しむ女性をベッドに寝かせた後、所在無げに立っている。彼も感染している可能性大だ。歩き回って欲しくないので診療室の隅にある椅子に座って待っているようお願いした。


男性はホッとしたように椅子に腰かけて心配そうに女性を見つめる。女性は咳がひどく、話ができる状態ではないので、男性から症状を聞く。


初期症状は鼻水から始まり、発熱、喉の痛み。咳が出て、食べ物が飲み込みづらいと言い出したのが昨日。今朝は呼吸がしにくいと言って、犬の鳴き声のようなひどい咳が始まった。


犬の鳴き声に似た咳は、犬吠様咳嗽けんばいようがいそうと呼ばれる。


犬吠様咳嗽はクループでも起こるが小児患者がほとんどだし、この場合はジフテリアで間違いないと思う。ジフテリア菌の細菌感染だ。前世日本では予防接種のおかげで患者はこの数十年間存在していない。この世界では予防接種の概念がない。感染症が発生した場合の対策が難しい。次の課題は予防接種だなと考えながら、治療法を考えた。


リオは手に殺菌消毒魔法を掛けながら、女性に近づく。


ジフテリアは、喉に膜ができて食べ物が飲み込みにくくなり、気道も狭くなるので呼吸困難になる場合が多い。前世日本だったら、まず血清。そして、抗生剤で治療だろう。血清はさすがに作れないから、まず喉の膜を取り除こう。喉に手を当てて魔法をかける。


女性の咳が弱まった。


(ジフテリア菌だけ殺すことってできないかな・・・?)


ジフテリア菌のイメージが浮かばないけど、取りあえず『死ね!ジフテリア菌!』と心の中で叫んでみた。


すると女性の体が淡く光った。


(お、まさか魔法が効いたのかな?)


光が消えた後、女性の咳は完全に止まった。喉の腫れも無くなった。疲れているようでちょっとウトウトしているが、さっきまであんなに苦しんでいたのが嘘のようだ。おでこを触ってみると熱も下がっていて、うつらうつらしながら眠ってしまった。


(まじで!?村長スゲ―――!一体どんだけチートな力を貰ってしまったんだろうか。ちょっと・・でなく、すごく怖い)


男性はポカンと口を開けてそれを見ていたが、ハッと気を取り直して女性に駆け寄る。寝息が落ち着いていることを確認して安堵したようだ。


リオは男性にも感染のリスクがあることを説明し予防治療させてもらう。症状が出ていなくても潜伏期間があるから重要だ。


先刻の女性と同様に『死ね!ジフテリア菌!』と心の中で叫び、男性に魔法をかける。体が淡く光って、しばらくして消えた。


(た‥多分だけど、これで感染していたとしてもジフテリア菌は死んだから大丈夫なはず)


リオは感覚的な判断を信じることにした。男性は涙ながらにリオにお礼を言うと、深くお辞儀をした。


「姉を助けて下さって、本当にありがとうございます」


「いえいえ、そんな・・」といつものコミュ障を発揮していたら、診療室の扉がノックされてレオンが入ってきた。朝より随分元気そうだ。


「リオ、重症患者がいるって聞いたんだけど・・」

「あ、大丈夫です。もう治りました。ジフテリア菌の感染症なので、もう一度待合室の殺菌消毒をするようにアニーに伝えて頂けますか?」

「ああ、それはもう済んだ。アニーは優秀だね」


(さすがアニー!誇らしいわ)


患者は回復したがまだ眠っているので、男性がおんぶして帰るという。「もう少し休んでいけば?」と尋ねると、家の方が休めると言われた。確かにその通りなので再度チェックした後、帰宅してもらうことにした。


患者と濃厚接触した人や似たような症状のある人がいたら、すぐに療法所に来るよう伝えて欲しいと頼むと、男性は快諾してくれた。お姉さんを軽々とおんぶして、男性は嬉しそうに手を振りながら去っていく。


二人とも無事でホッとした。それに他の患者がいない時でタイミングも助かった。院内感染なんてたまったものじゃない。


念のため診療室の椅子やベッドをもう一度丁寧に殺菌消毒して、スタッフ全員に『死ね!ジフテリア菌』攻撃を仕掛けた。飛沫感染する感染症だし、患者はひどい咳をしていた。特にアベルには念入りに三回かけた。


レオンが興味津々だったので、ジフテリア菌と予防接種の話をする。


以前、予防接種の話はしたことがあるが、細かい種類までは伝えていなかった。レオンにフォンテーヌでも予防接種を導入したらどうかと提案したが、少し迷信深いこの国でわざと弱毒化した菌を入れるという考えはすぐには受け入れられないかもしれないと言われた。


(うーん、今後の課題だな)


日本に居た頃はジフテリアの心配なんてしたことなかった。患者も聞いたことない。


でも、発展途上国など世界にはまだジフテリアが発生する国が存在した。異世界でもジフテリアが蔓延する可能性はあるのだろうか?予防策は?リオの脳は目まぐるしく働いていた。


午後は多くの患者が来たので、リオとレオンは結局いつも通り忙しく診療に励んだのであった。



***



その日の夜、レオンは腕枕をしているリオの短い髪を指に絡ませて遊んでいた。気怠げな雰囲気のレオンはいつにも増して色っぽい。リオと目が合うと嬉しそうに笑う。少年っぽい表情が可愛くてドキドキする。リオは自分がレオンに夢中なことを再認識した。


「夕べはごめんね」


リオはもう一度謝った。


「いいよ。リオの気持ちが大切だから。それに、ちゃんと私の元に帰ってきてくれたし」


リオの背中に手を回して抱きしめる。リオもレオンの背中に恐る恐る手を伸ばす。


「もっと強く抱きしめてくれるかい?」


と言われて思いっきり抱きしめるが、全然効いていない。非力だ・・・。


「そういえば、今朝私に魔法をかけてくれたろう?あれは素晴らしく気持ち良かった。またお願いしたいくらいだ」

「いつでも言って下さい。私もマッサージ魔法は楽しいですから」

「楽しいのかい?」

「はい、皆の気持ち良さそうな様子がとても嬉しいんです」

「それ以外にも魔法をかけたろう?」


リオはアセトアルデヒドや目のクマを消そうと魔法をかけたことを説明する。


昼間、療法所に来た時にレオンのクマは完全に消えていたので効果はあったと思うが、二日酔いはどうだったのだろうか?


「二日酔いも完全に治っていた。リオが居たら私は何をしても癒してもらえるな。でも、私がリオを好きなのは魔法のせいじゃない。君の人を思いやる気持ちが私を癒してくれるんだ。だから、私も人に優しくなろうと思う。でなかったら、サンと踊らせることなんて絶対に認めなかったと思うよ。村長の言う通りだ。君の善意は人に感染する。それはリオの気持ちに打算や下心がないからだと思う。私の自慢の奥さんだ」


(は、はずかしい・・・)


「褒め過ぎです・・」というリオにレオンは優しく口づけした。


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