生誕祭
話し合うことが多いため、リオとレオンはずっと公爵邸に滞在して、療法所には公爵邸から通っている。
リオは公爵邸の殺菌消毒活動にも積極的に関わっている。転移の間にはテーブルを置いて、転移して来た人は全員まず殺菌消毒剤で手を消毒してもらう。消毒薬をミスト状にスプレー出来る消毒噴霧器の魔道具も用意した。ポレモスが細菌に化けていたとしても、絶対に殺菌してやる。当然ながら建物の入り口でも訪問者は必ず消毒してもらうようにした。
虫用の燻蒸殺菌も定期的に行うが、清掃中に虫を見つけたらすぐに殺すことをリュシアンが使用人に徹底させた。徹底した対策を講じ、取りあえずは平穏な日々が続いている。
***
そうこうするうちに生誕祭の日がやってきた。
リオはリュシアン、セリーヌ、パスカル、マルセル、エディと共に王宮に転移する。サンは既に王都入りして警護の任についているそうだ。会場に到着するとリュシアンとセリーヌはすぐにトリスタン国王に呼ばれて去っていった。相変わらず頼りにされている。
生誕祭とは完全に前世のクリスマスと一致していた。クリスマスのようなツリーがあり、街はクリスマスデコレーションで華やかに飾りつけられている。教会から聖歌隊の讃美歌が聴こえてきて、歩いているだけで気分が高揚する。みんな楽しそうだ。
違うのは本物の神様がいることくらいだろう。村長は本当に来るのだろうか?
国王主催の舞踏会は想像を絶する華やかさだった。煌びやかな王宮に、色とりどりのドレスを着た美しい令嬢達が花を添えている。鮮やかな光景に溜息が出る。
『レオン様がここにいたらな』と寂しい気持ちになると、エディが腕を絡めて「レオン様がここにいればいいのにね」と言った。
(私の表情はそんなに読みやすいのだろうか?)
王都にはアレックス・エヴァンスを知っている人間がいるので、レオンは今日はお留守番なのだ。
出発直前までレオンはリオに「してはいけない」注意事項を繰り返した。
1.エディから離れてはいけない
2.サンと一曲踊る以外は他の誰とも踊ってはいけない
3.男性と目を合わせてはいけない
4.男性から話しかけられても返事をしてはいけない
5.人目に触れてはいけない
6.宿木に近づいてはいけない
「いけないこと」のてんこ盛りだ。
伝説によると宿木は「不死・活力・肉体の再生」を表すシンボルで、生誕祭でも多く飾りつけられている。問題は、宿木の下では女性はキスを拒むことができないとされていることだ。多くの男性が女性にキスするために宿木近辺をウロついているらしい。決して決して宿木に近づくな、というレオンの目は心配で血走っていた。
リオは絶対に注意を守ると固く誓って、ようやく出発することができたのだ。
エディは面白そうに
「レオン様は本当にあなたに夢中ね。あんなに溺愛されるなんて羨ましいわ」
とリオを揶揄う。
リオは恥ずかしくて
「アンドレ兄さまはエディに夢中だって聞いたわ。兄さまではやっぱりダメ?」
と反撃する。
エディは申し訳なさそうに首を横に振った。
「ごめんね。アンドレは本当にいい人。信頼できるし素敵な人だと思う。でも、私にはクリストフがいるから。彼以外の人はどうしても考えられないの」
(そっか・・・、残念だけどそれは仕方ないね。アンドレ兄さま、戻ってきたら励ます会をやろう)
リオの背後にはパスカルとマルセルが随行している。二人が睨みを利かせているのでリオたちに話しかける剛の者はいない。
生誕祭の舞踏会は他の舞踏会に比べるととてもカジュアルらしい。あちこちに談笑の輪ができているが、リオは人目につかずひっそりと過ごす予定だ。大人しく食事だけ楽しもう。リオとエディは真っ直ぐに豪華な御馳走が並ぶテーブルへと突進した。
「リオ、これ食べて御覧なさい。このキャビアの粒の大きさ。んん、堪らないわ・・・」
エディは小さなクレープにキャビアとクリームを包んで口に頬張っている。
リオもピカピカで粒のそろった山盛りのキャビアに手を伸ばす。
(何て贅沢なのかしら?食べ放題?)
と夢中で幸せを貪る。すると背後からクスクス笑い声が聞こえた。振り返るとジュリアン王太子が楽しそうに笑っていた。
リオとエディは慌てて淑女の礼をする。
「いや、どうか今日は無礼講で。久しぶりだね。リオ。こちらの令嬢を紹介してもらえるかな?」
「ジュリアン殿下、こちらはエディです。エディ、こちらはジュリアン殿下です」
詮索されると困るので、お互いの名前だけ紹介する。
普通は爵位や家名を名乗るので、ジュリアン王太子は名前だけの紹介に戸惑っているようだが、エディも
「エディです。殿下に御目文字する機会に恵まれ光栄に存じます」
としか言わなかったので、ジュリアンも「こちらこそ光栄です」というようなことをモゴモゴと口にするだけだった。
しかし、気を取り直すとリオに向かってキラキラした瞳で話しかける。
「久しぶりにリオに会えると聞いて楽しみにしていたんだ。療法所はどうだい?新しい疾患を発見したんだよね?国家療法士として活躍している噂を聞いたよ。王宮医師団もリオに講義に来てほしいって。その若さで本当にすごいよ。それに益々綺麗になった」
ジュリアンは相変わらず開けっぴろげで自由だ。声も大きいので周囲の注目を集めている。そこに豪奢なドレスをまとった令嬢軍団がすかさずジュリアンに話しかけた。
「王太子殿下、どなたとお話になっていらっしゃいますの?どうか私どもにもご紹介下さいまし?」
リオは本能的に「やばい!」と思った。自分は社交が絶望的に下手だ。それに令嬢方はジュリアンと話がしたいだけで、リオたちと話がしたいはずがない。
泣きそうな顔でエディに助けを求めるとエディが頷いた。
「殿下・・・恐れながら少し疲れてしまって・・。外の空気に当たって参ります。どうかごゆっくりご歓談をお続けください」
堂々とそう告げるとエディはリオの手を取って歩き出した。ジュリアンは気にする風もなく「そうか、気をつけてな。気分が良くなったら楽しんでいってくれ」と爽やかに手を振る。
外につながるバルコニーに出るとリオは安堵で息を吐いた。さすがエディ、頼りになる。タイミングよくパスカルとマルセルが大量の食べ物と飲み物を持って現れた。
バルコニーにもテーブルとイスが置いてあったので、そこに座ってみんなで一緒に食べ始める。
(はぁ、快適・・。人目にもつかないし)
さっきのジュリアンとの会話は『男性に話しかけられても返事をしてはいけない』の違反になるのかしら?と心配になったけど、まさか王太子を無視する訳にはいかない。ギリギリセーフとしよう。
内部ではダンスが始まったようで、管弦楽団が演奏を始めた。
リオは舞踏会で踊ったことはないけれど、レオンからダンスはちゃんと習っている。一度も公の場で踊る機会はなかったけど今日は少なくとも一曲だけは踊れるはず・・・。
しかし、肝心のサンが見当たらない。いつどうやって踊るんだろう?
疑問符が脳内をグルグル回っているが考えても仕方がないので忘れることにする。そのまま楽しく談笑していると、不意に誰かがテーブルに近寄ってきた。
ふと見上げるとさっき王太子に話しかけていたご令嬢だ。金髪碧眼の美人だけど少し高慢な印象を受ける。今も決して好意的ではない視線をリオに向けている。エディがリオの手をギュッと握った。
「ジュリアン殿下が仰っていたけど、あなたが国家療法士だって本当?殿下の気を引くために嘘までつくなんて、人間として最低ね。しかも、新しい疾患を発見したなんてほら吹きもいいところだわ」
と妄想チックな悪口が始まった。リオはこういう攻撃に滅法弱い。メンタルが絹ごし豆腐より柔いのだ。心臓の動悸が激しくなり血圧が上がる。うぅ、怖い。
エディが「気にするな」と声を出さずに口を動かした。パスカルとマルセルもすかさず盾になってくれるが、ご令嬢は負けていない。
「何よ。私はただ話しかけているだけじゃない。ろくに返事もできない育ちの悪い方なんでしょうけど。私は伯爵令嬢よ。私にきちんと挨拶もできないくせに王太子殿下に話しかけられるなんて生意気なのよ」
と言い募る。
すると彼女の後ろから咳払いが聞こえて、ご令嬢が慌てて振り返った。そこには難しい顔をしたトリスタン国王が立っていた。
「こっ、ここ国王陛下。今宵はご招待賜りまして心より御礼申し上げます。素晴らしい舞踏会ですわね」
とご令嬢は慌てて笑顔を取り繕って挨拶をする。
「イヴェット・デュボア伯爵令嬢か。君は先ほどから私の姪に話しかけているのを自覚しておいでかね?」
「・・・・へ、陛下の・・姪・・・?」
ご令嬢の顔色が真っ白になった。
「ジュリアンにとっては従妹だ。親しく話をしても当然だろう。また、国家療法士試験で満点の成績で合格したのも本当だ。私の姪だからといって不正などありはしない。まさか私の判断を疑っているのかね?」
ご令嬢は息も絶え絶えという雰囲気で俯き、蚊の鳴くような声で返答する。
「・・・い、いえ、まさかそんな・・・も、申し訳ございません」
「謝罪するのは私に対してではないだろう。新しい疾患と治療法を発見したのも事実だ。たとえ姪でなかったとしても、我が国自慢の国家療法士を侮辱することは私が許さない」
トリスタンは厳しい口調で言い切った。
「っ・・・誠に申し訳ございませんでした!」
ご令嬢はリオに向かって謝罪し頭を下げたが、リオの方が居たたまれなくなってきた。
「あの、陛下、私は、その・・そんなに気にしておりませんので・・」
ととりなすとトリスタンは
「イヴェット嬢、これからは相手を侮って話しかけるようなことは控えるように。品性が疑われる。さがりたまえ」
と冷たく言い放った。
ご令嬢は青褪めてブルブル震えながらトリスタンに深く頭を下げる。しかし最後にリオをキッと睨みつけて早足で去っていった。
トリスタンはふぅっとため息をついてリオに笑顔を向ける。いつもの馴染みの笑顔にホッとする。あんな怖いトリスタン国王は初めて見た。
「怖がらせてしまってすまないね。ジュリアンの縁談をそろそろ決めないといけないので、ジュリアンに近づこうと躍起になっている令嬢が多いんだ。ジュリアンもうんざりするほど強引な令嬢が多い。令嬢同士の争いも苛烈を極める。しかし、そのせいで他人を貶めるような行為は絶対に認めてはならない。どんどんエスカレートする危険性もある。だから、敢えて厳しくした部分もあるんだよ」
(そうだったんだ・・・。なるほど、王家の縁談は大変そうだな・・・)
「それよりもリオの近況を知りたいと思っていたんだ。最近はどうだい?」
と話しながらトリスタンがリオの隣に椅子に座る。
(・・えーと、これは男性から話しかけられてるけど、国王だからセーフだよね?)
「リュシアンは最近ずっと殺気立っていてね。以前の倍のスピードで仕事を終わらせて、すぐに家に帰っていく。何かあったのか心配しているんだ」
(・・やばい、私はここで何をどこまで言っていいのか分からない)
エディが気を利かせて
「陛下、初にお目にかかれて光栄です。私はシュヴァルツ大公国から参りましたエディと申します。私がシモン公爵邸に滞在させて頂いているせいで、シモン公爵もお忙しいのかもしれませんわ」
「ほぅ、挨拶が遅れて失礼した。確かにシュヴァルツのシュナイダー伯爵の親戚が滞在しているという話は聞いているよ。フォンテーヌでの滞在はどうかね?」
トリスタンはエディににこやかに笑いかけた。
(エディ、ナイスアシスト!)
「はい、道の駅など素晴らしい施策が多く、人々も幸せそうに見えます。陛下の治政のおかげかと感心しておりました」
「そうか、嬉しいことを言ってくれる」
とトリスタンが言った時、一陣の風が吹いた。
「なんだ!?いきなり突風が・・・」
パスカルとマルセルがトリスタンたちの盾になる。しかし、風はすぐにおさまり、全員が顔を上げると、そこに村長が立っていた。変装しようという気もないのだろう。銀髪で赤い瞳の堂々たる神の姿だ。
トリスタンは呆気にとられた。しかし、村長の威圧感と荘厳さにただ者ではないと悟ったに違いない。物問いたげにリオを見る。
リオは小声で
「神様です」
と伝えた。
トリスタンはポカンと口を開けてリオの顔を見つめたが、冗談を言っているのではないことが分かったのだろう、慌てて椅子から立ち上がり村長の前に跪く。リオたちもそれに続いて跪いた。
「神よ、フォンテーヌ王国の生誕祭にご光臨賜りましたこと、王として生涯忘れぬ栄誉となることでしょう」
とトリスタンが丁寧に挨拶をする。
村長は面倒くさそうに
「面を上げよ」
と言った。
リオたちがおずおずと顔を上げると
「我はリオとの約束を果たすためにこの生誕祭に来た。リオ、楽しんでいるか?」
リオは微笑みながら「はい、ありがとうございます」と返事をする。
村長はエディの方も見て「エデルガルト、息災か?」と聞いた。
エディも優雅に淑女の礼を取り「はい。お陰様で。村長のご尊顔を拝し恐悦至極に存じます」と挨拶した。
村長は満足そうに頷くと
「ポレモスはいないが、奴の仲間は入りこんでいる。気をつけるように」
と言い残し、再び指一つで消えた。あっという間だった。
トリスタンは立ち上がると呆然とリオを見つめる。
「り、リオは神と知り合いなのか・・・?エディ嬢も・・・?エデルガルト嬢、と仰っていたが・・・?」
「・・・・えーと、長い話になりまして・・・あの、父に聞いて頂けますか?私ではどうお話して良いか分からないのです。申し訳ありません」
トリスタンはまだ衝撃から立ち直れないようだったが
「リュシアンを探してくる。皆ゆっくり楽しむように・・・」
と言い残してよろよろと去っていった。
(なんか、嵐が過ぎ去った後のようだ。・・・疲れた)
リオが溜息をつくとエディも同様の溜息をついていた。何だかおかしくなって二人で噴き出してしまう。
気を利かせたパスカルとマルセルが新しい食べ物を運んで来てくれた。せっかくの機会だから、とお腹が一杯になるまでご馳走を詰め込んだ。
舞踏会も終盤に近づき
(結局サンは来なかったなぁ・・・)
と考えていたら、一人の男性がバルコニーに出てきた。外の空気を吸いに来たのかもしれない。
鮮やかな赤毛に緑の瞳。髪は襟足くらいまでだが、前髪が少し長めだ。髪の隙間から見える若草色の瞳が強く印象に残る。透き通るように色が白くて儚げなイケメンだ。やっぱりこの世界のイケメン率はどうかしているとしか思えない。
ボーッとしているリオの前で、いきなりそのイケメンが跪いた。
「何ぼーっとしてんだよ。もうすぐ最後のダンスだ」
と言われても、リオはまだ事態が把握できずにいた。
マルセルに「サンですよ」と耳打ちされてようやく認識する。
(うそぉーーーー!)
ピョンと立ち上がると
「ご、ごめんなさい。サンだと気がつかなくて・・・、え、えーと、じゃ、じゃあ参りましょうか」
と手を差し出した。
サンはいつものようにブフっと噴き出した後、恭しくリオの手を取った。
エディたちも事情を知っているのだろう。笑顔で口々に「いってらっしゃい」「楽しんでいらっしゃい」と声をかける。
意外なことにサンはエスコートが上手だった。とても歩きやすい。歩幅もスピードもリオに合わせてくれているのが良く分かる。
いつものサンとあまりに違うので、変に心臓がドキドキして止まらない。ちらっとサンを見上げると「ん?」というように微笑んでくれる。
(なんだ、このイケメンは・・)
動揺が激しくてちゃんとダンスを踊れるか自信がない。
サンは心配そうに私を見る。
「・・・大丈夫か?悪かったな。無理言って。どうしても嫌だったら踊らなくても・・」
と言いかけたので
「嫌じゃないの」
ときっぱり言い切った。
サンの目がまん丸になる。あぁ、やっぱり新緑のような若草色の瞳には不思議な魅力がある。綺麗だな、と見惚れてしまった。
「ホントに?」
リオは頷いた。
「嫌じゃないんだけど、失敗したらどうしよう・・って。私、舞踏会でダンスするの初めてだから・・」
というとサンが満足気な笑みを浮かべた。
「じゃあ、リオの初めてを俺がもらうってことだな。興奮すんなー」
というので
「ちょっと、いかがわしい言い方しないでよ」
と文句を言う。
(あ、なんかいつものやり取りに戻ってきた?ちょっとリラックスできたかも)
サンは見事なウインクを決めて、リオをダンスの輪の中に連れ出した。
最後の音楽が始まる。
軽やかなワルツのリズムに体が上手く乗るようにサンがリードしてくれる。
(大丈夫だ。ちゃんと踊れる)
ふぅっと息をつくとサンが
「安心した?」
と耳元で囁いた。
声もいつもと全く違う低音ボイスで、ちょっと焦る。低音に弱いのだ。
気恥ずかしくてサンの顔をまともに見られなかったが、
「俺を意識してるから顔を見れないの?」
と言われて、悔しいので思いっきり顔を上げてサンを睨みつける。
(くぅ、やっぱりイケメンだ)
サンが嬉しそうに破顔した。
「ようやくちゃんと顔が見れた。すげー可愛いよ」
と言われて耳を疑った。
(こんな素直なことをサンが言うなんて・・・)
「今だけだからさ。明日からはちゃんと影に戻るから」
ちょっと言い訳がましくサンが言う。
「俺はさ・・、ずっと影で生きて、影として死んでいくと思ってたんだ。影は普通の人生が許されねーからな。女と遊んだことはあるけど、真剣になったことはなかった。・・その、リオと会うまでは」
サンは照れくさいのか、顔を背けたまま早口で言い募った。顔だけじゃなくて、耳から首元まで真っ赤だ。色が白いから余計に赤いのが際立つ。
赤面がうつったのかリオの顔も紅潮しているのが分かる。
(・・ああ、いかん。踊りに集中しよう)
「俺はさ、こんな気持ちになったこと初めてで、すげー最初は戸惑った。どうしていいか分からなくて。レオン様に嫉妬したこともあるし」
返事に困って黙ったままだったが、サンはリオの返事を期待してはいないようだった。
「でも、俺は影としてお前を守る役目が貰えてすげーラッキーだと思ってる。なんつーか、惚れた女を守るって、カッコいいじゃん。その・・思いが届かなくてもさ」
最後の言葉は少し声が小さくなった。胸が苦しくなる。踊りながら、サンの気持ちが痛いほど伝わってくる。サンが壊れ物のように優しく手に触れるから泣きたくなった。
「・・・あの、ごめん、その、私は」
と言いかけると、サンは泣きそうな笑顔で言った。
「謝るなよ。俺が惨めになるだろうが。ひどい女だな」
我慢できなくて、目尻からポロリと涙が伝った。サンは指先で器用にその涙をすくうとぺろりと舐めた。
「俺はさ、今夜のことだけで一生満足して生きていけるからさ。お前が罪悪感を持つ必要はないんだ。明日からはいつも通りだからな。結婚もちゃんとお祝いする」
「・・・でも・・その・・いいの?このままで?」
「俺をお前の人生から追い出そうとしても無駄だからな。俺は生涯影からお前を守ると決めた。しかも、今夜お前は俺を男として意識して、俺のために涙を流した。俺はそれで満足だからさ」
レオンがサンは健気だって言ってた。すごく分かる。健気過ぎて泣けてくる。『なんで私なんか?』って思うけど、それを言うと失礼になるから、ただ感謝の言葉だけ伝えることにした。
「サンが私たちを守ってくれて、すごくラッキーだと思ってる。心から感謝しているよ。誠実だし、頼りになるし、優しいし。女の趣味だけ悪いのが残念だったね」
サンは笑いながら
「全くだ。女の趣味だけは最悪だと自分でも思うよ」
とリオの腰を抱き寄せた。
もうすぐ曲が終わる。お互いを見つめ合って、瞳の奥に暗い感情がないことを確認する。
(きっと大丈夫、私たちは明日からも大丈夫)
そう自分に言い聞かせる。
曲が終わると、サンはまた宝物でも扱うようにリオの手をそっと握り、エディたちの元へエスコートしていった。
「ホントはさ、宿木の下に連れて行こうかと思ってたんだ」
サンが悪戯っぽく耳元で囁く。
リオが慌てて
「そ、それは『してはいけないリスト』に、ははは入ってましゅ!」
と噛みながら言うと
「分かってるよ」
とサンがブホッと噴き出した。良かった。いつものサンだ。
リオは「ありがとう」と想いを込めて、サンの目を真っ直ぐ見つめた。
(こんな私を好きになってくれてありがとう。いつも守ってくれてありがとう)
サンにはその想いが伝わったんだと思う。
「分かってるよ」
と再び言いながら、リオの額に軽くデコピンをすると片手を上げて去っていった。
パスカルとマルセルは複雑そうにサンの背中を見送るが、何も言わない。エディも黙ってリオを抱きしめた。
***
リュシアンとセリーヌは急遽王宮に泊まることになったのでリオたちだけで公爵邸に戻った。
(きっと国王陛下に村長のことを追求されているんだろうなぁ。頑張れ、お父さま)
公爵邸に戻ると、転移の間にレオンが待っていた。エディたちは言葉少なに「おやすみ」とだけ言って立ち去っていく。リオとレオンは何となく気まずくて、部屋までずっと黙ったままだった。
部屋で二人きりになるとレオンがリオを抱きしめようとした。リオは体が強張ってしまうのを止められない。いつもと違う反応にレオンは傷ついた顔をした。
「・・あの、ごめんなさい。今夜だけ・・今夜だけは独りにしてもらえませんか?」
レオンの声は冷たい。
「サンのせいか?サンに心奪われた?」
リオは滅茶苦茶に首を振った。涙が零れ落ちるのを止められない。
「・・・違う、違うの。そうじゃないけど、今夜だけはサンにとって大切な夜だから、私も誠実でいたいの。今夜だけサンのことを考えるのを許してください」
嗚咽が止まらない。
「今夜だけお願い」と繰り返すリオを見て、レオンは哀し気に溜息をついた。
「分かった。今夜私は別な部屋で眠るよ。私のことは心配いらない。いいかい。君もゆっくり休むんだよ」
レオンは優しくリオを諭すように言い、そのまま部屋を出ていった。
***
リオはもう何も考えられなくなって、床に座り込んで子供みたいに泣きじゃくった。
泣きたいだけ泣いた後、鼻水をすすりながら浴室で体を洗って寝間着に着替える。
(一人で寝るのは久しぶりだ。ベッドが冷たい。レオン様を追い出して申し訳ないな。でも今夜レオン様と寝るのはやっぱり無理だ。私が出ていけば良かった。こんな我儘・・普通だったら許されないよね。やっぱりレオン様は大人だ・・・)
リオは泣き疲れて眠りに落ちた。




