フィオナの秘密
ポレモスは村長を憎悪していた。ポレモスは村長に負けないほどの才能を持ち、努力を重ねてきたはずなのに、全く報われることがなかった。
皆、村長ばかりを優先する。皆、村長の歓心ばかり得たがる。ポレモスは顧みられることのなかった自分の人生を思い返し、村長を破滅させるためならどんなことでもすると心に誓った。しかし、村長は強大で正面から勝負したら敵うはずもない。
どうしたら村長を傷つけられるだろう。彼は考え続けた。村長が好む人間を殺してみたらどうか。しかし、大きな影響はなかった。村長の関心は管理者としての役割を果たすことのみに向けられていたからだ。
やはり世界のルールを崩壊させることが村長への一番の復讐になる。村長はとりわけ『魔法の無い世界』を維持することに注力している。実験の鍵を握ると考えているからだ。『魔法の無い世界』へ魔法を持ち込んだらどうなるだろうか?恐らく実験は失敗し、村長は責任を問われることになるだろう。
それはとても良い考えに思えたが、ポレモス自身が魔法を持ち込むことはできない。世界に属していないからだ。ポレモス自身はどの世界にも行くことができるが、影響を与えられるのは『混沌の世界』だけだ。『魔法の無い世界』に魔法を持ち込むには、実験世界に属する者を行かせるしかない。
『混沌の世界』から『魔法の無い世界』へのゲートは百年以上前に一度開いたことがある。しかし村長に見つかり、それ以降『魔法の無い世界』へのゲートは作れなくなってしまった。当然、ポレモスが開いたゲートも閉じられたが、一度開いたものは完全に閉じることができない。ポレモスは自分が作った古いゲートを再利用することを考えた。ゲートが再起動したら村長は気づくだろうが、邪魔される前に急げば間に合うかもしれない。
百年以上前に、そのゲートからやって来たのがナオミだ。『魔法の無い世界』のはずなのに魔法が使えると聞いて、ポレモスは興奮した。これは村長の管理者としての失点になると期待したが、全くの見込み違いだった。
また、ポレモスは大きな戦争を引き起こして、世界を破壊するつもりだった。検証前に『混沌の世界』が崩壊してしまえば、村長の管理能力が問われる。責任問題に発展するだろう。しかし、ナオミは世界の崩壊を食い止め、平和な時代を構築してしまった。全くの計算違いだった。
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次にポレモスが狙ったのはセイレーンの村人たちであった。ポレモスには特殊な能力があり、どこにでも忍び込むことができる。
こっそりと村に忍び込み様子を伺っていると、ある夫婦の妊娠が判明し、皇帝から赤ん坊が産まれたら帝国に差し出すようにと命令がきた。村長はそれを夫婦に伝えたが、彼らは村長を恐れ敬っているので異議を唱えることはできなかった。
ただ、村長に我が子が危機を避けることができる加護を望み、それは叶えられた。
しかし、その夫婦は明らかに赤ん坊を差し出すことに不満を抱いていた。ポレモスはその心の隙を狙った。こっそりとその夫婦に近づき、別な世界に逃げたらいいと唆した。
別な世界なら追っ手もかからない。そこはとても豊かな世界で、親子三人で安全に暮らせると嘘をついた。魔法の無い世界なので、魔法が使えるセイレーンは貴重な人間として尊敬され大切にされるだろうと誑かしたのだ。
夫婦はこの村のことしか知らない。別な世界に行くことへの不安は大きかった。ポレモスは無作為に『魔法の無い世界』の住人を選び、その記憶を複写して夫婦に与えることにした。住人の記憶の複写は世界に影響を与えるものではないので村長も気づかない。ナオミから日本という国は平和だと聞いていたので、特に日本の住民の記憶を夫婦の脳に植えつけた。それにより別世界の常識や生活習慣の知識を得ることができる。確かに平和で豊かな世界らしいと夫婦は徐々に乗り気になった。
その時に誤って胎児にも記憶の一部が複写されてしまったが、記憶を刺激されない限り赤ん坊に影響はないと夫婦を安心させた。
その夫婦を別世界に送り、その世界で魔法の力を振るってもらう予定だった。『魔法の無い世界』に魔法が使える存在が現れたら、間違いなく世界は混乱する。村長の能力不足の証になるだろうと考えたのだ。
しかし、夫婦をゲートから別世界に送る直前に皇帝に動きが漏れてしまう。赤ん坊を手に入れるつもりだった皇帝はセイレーンの逃亡計画に激怒した。ポレモスは夫婦をブーニン地方に避難させた。ポレモスは獣人たちを下僕として扱っていたからだ。
獣人たちは逃げてきたセイレーンの夫婦を匿うが、赤ん坊が産まれてすぐに皇帝の追っ手に夫婦は殺されてしまった。ポレモスはまた独りで逃げた。獣人は赤ん坊を守り、フォンテーヌ王国への保護を願いでた。
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ポレモスは時を待った。
そして再度セイレーンの村に忍び込み、機会を伺っていた。村の若夫婦が妊娠し、歴史は繰り返される。未熟でやや愚かなこの夫婦を騙すのは赤子の手をひねるようなものだった。
この若夫婦も赤ん坊を渡したくないくせに、それを村長に伝える勇気がなかった。ポレモスは若夫婦に近づき、赤ん坊が産まれたら、旧きセイレーンの技を使い赤ん坊の血から複製を作れと助言した。そして複製された赤ん坊を皇帝に渡すが良いと。そうすれば本物の子供は守ることができる。
夫婦はポレモスの指示通り、赤ん坊から一滴の血を採取して複製を試みた。複製作りにはポレモスが協力し大量の魔力を供給した。それは成功し複製はフィオナと名づけられた。
しかし、意識の入っていない赤ん坊は単なる肉の塊だった。心臓は動き、呼吸もし、乳も飲むがまるで人形だ。夫婦は焦った。こんな赤ん坊を皇帝に渡すわけにはいかない。ポレモスはニヤリと笑い、意識を別な世界から持ってくればいいと唆した。
生憎、セイレーンの村では死者が出ない。愚かな夫婦は、わざわざ別世界に行かなくても意識を手に入れられることを知らなかった。
セイレーンには意識を保存できる技がある。ポレモスはそのやり方を夫婦に教えた。今回は皇帝に邪魔をされたくない。しかし、昔作った『魔法の無い世界』へのゲートは皇宮内にある。ポレモス一人ならいつでも出入りできるが、夫婦がゲートに近づくのは困難だった。引き渡しの期限は三年。夫婦の焦りは高まった。
引き渡し直前、夫婦は皇宮に滞在させて欲しいと村長に懇願した。皇帝はそれを認めた。夫婦が皇宮に宿泊したその夜、夫婦はフィオナの体を抱えポレモスと一緒に古いゲートのある場所に忍び込んだ。
ポレモスはゲートが再びつながるよう準備をしていた。その夜、ゲートの再起動は成功しフィオナの父親は『魔法の無い世界』へと渡ったのだ。
ポレモスはニンマリと笑い、できるだけ早く戻ってくるよう指示を出した。村長にバレる前に男に魔法を使わせる必要がある。ポレモスの目的は彼に『魔法の無い世界』で魔法を使わせることであった。
別世界に送られた男は見慣れぬ風景に恐れ戦き、早く人間の意識を捕まえて戻りたいと必死だった。ポレモスから渡された容器を握りしめて男は彷徨った。
ポレモスによると、人は死ぬと意識が白い影となって宙に浮かんでくる。それを捕まえろと教えられた。だから、そのために誰かを殺さないといけない。男は焦った。誰をどうやって殺せばいいのか?四角い建物が立ち並ぶ街を彷徨ううちに男は広い空間に出た。その真ん中を車輪の付いた多くの箱がものすごい速さで走り回っている。
端の方に一群れの人間がいた。男は魔法を使い人間を目がけて大きな箱をぶつけてみる。上手くいけば誰か死ぬだろう。ちょうど二人の人間に当たるところだった。しかし、一人がもう一人を突き飛ばしたので、結局ぶつかったのは一人だけだった。
ぐしゃり、という音がして、倒れた人間から白い霞が立ち上る。男は人の形をした白い影を素早く魔法で集め、ポレモスから渡された容器に詰めた。そして、元の世界に戻るための魔法陣に向かって全速力で走る。光る魔法陣に飛び込むと無事に皇宮に帰って来られた。しかし、戻ってみると妻は床に平伏し、顔面蒼白になってガタガタ震えている。
村長が怒りを露わにしてその場に立っていた。ポレモスはもう居ない。
「お前は自分が何をしたか分かっているのか?魔法が存在しない世界で魔法を使い、無辜の良民を殺害し、魂を奪い取ったのだ。自分たちさえ良ければいいのか?殺されたものの意識はどうなる?もう戻る体もないのだぞ!」
夫は言い訳がましく
「か、体はこちらで用意しましたから、この体にこの意識を入れれば、この魂は蘇ることができます」
とフィオナの体を指さした。本物の娘であるキーヴァは家に置いてきたから安全だ。
村長の怒気は凄まじかった。
「貴様があの世界で魔法を使ったせいで、これまでの我々の努力が灰塵と化す可能性がある。我の怒りを受ける覚悟があるのだな」
夫と妻は平伏するばかりだ。
「め、滅相もありません。私たちは・・その、どうしても娘と離れがたくっ・・・。お許し下さい!」
と額を床に擦りつける。
「そうであれば、直接我にそう言えば良かったものを。一番愚かな選択をするものだな。自分さえ良ければいいという利己的で欲深い人間には飽き飽きする」
「・・・あ、あの・・・これから私たちはどうすれば宜しいでしょうか・・?あの、この魂をフィオナの体に入れても・・?それとも魂を解放した方が良いですか?」
夫が恐る恐る村長にお伺いをたてる。村長は難しい顔で夫が握りしめていた容器を見つめた。
「その魂と話をしてみる。蓋を開けろ」
急いで夫が蓋を開けると白い女性の影がフワリと降り立った。白い影は眠っているようだ。
それでも村長は白い影に向かって話しかける。
「お前の望みは何だ?」
白い影は少し沈黙した後、抑揚のない声で
「世界中の人々が健康でありますように」
と答えた。
村長は口の端を少し上げた。
「お前は我の旧友に似ている。これほど利他的な価値のある人間を、愚かな利己主義の人間が害するとはな」
すると平伏していた妻が我慢できなくなったように反駁した。
「お、恐れながら・・・私共のように苛烈な運命にあるものは、まず自分たちの身を守ることを考えても当然だと思うのです。利己的と仰いますが、自分たちの安全を確保するためには必要なことだと思います。セイレーンのような特別な種族に生まれた私たちと違って平凡な人生しか知らず、苦労を知らないその魂が多少利他的であるのは当然ではないでしょうか?」
村長は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「小賢しい理屈ばかりを並べ立てる。この娘も苛烈な運命に遭えば自分さえ良ければ良いという利己的な考えになる、とそう言っているんだな?」
妻はコクコクと頷く。夫はその様子を心配そうに眺めていた。
村長はしばらく熟考する。
「この娘が苛烈な運命に遭っても利他的な心を失わずにいられるか試すことも、文明存続の研究知見につながる可能性はある。我の知っている娘は過酷な運命の中でなお他人を思いやる心を忘れずにいた。お前たちのような利己的な人間は、自分の娘さえいれば良いのだろう。無理矢理奪う趣味はない。村へ帰るがいい」
村長はもう夫婦に注意を払わない。
そして白い影にフィオナの体に入るように指示を出した。白い霞がすぅーっとフィオナの口から吸いこまれていく。フィオナの体が白く光った。
「加護をやろう。世界中の人間を健康にするための魔法と世界中の人間と意思疎通するための言語能力だ」
村長の言葉に合わせて、フィオナの体が淡い光に包まれる。
その場から離れなかった妻は村長に縋った。
「あ、あの、うちの娘にも加護を頂けないでしょうか?」
村長は夫婦のことを見もせずに指を鳴らすと二人の姿は消えた。
村長はフィオナを抱きかかえると
「さて、どうするか・・」
とため息をついた。




