サンの報告
サンがフォンテーヌ王国のシモン国家療法所に戻ってくるまでには数週間を要した。
ようやくサンが帰ってきた時、サンはボロボロな状態だった。とにかく休養が必要だ。体を清め滋養たっぷり野菜ポタージュを摂取すると、サンはボロキレのようにベッドに倒れ込んだ。
心配するリオに「体中が痛くて眠れねー」と文句を言うので、背中と首を触診するとゴリゴリに凝っていた。旅の間ずっと緊張していたのだろう。
リオはマッサージセラピーをイメージした。全身の筋肉や筋膜へ筋繊維にそって流れるように魔法で軽い圧力をかけていく。攣縮している筋肉をリラックスさせるイメージを描く。
「・・・うぅ、ヤバい。気持ちいい」
とサンが呻くのでリオは調子に乗ってマッサージ魔法を続けた。
数分でサンは大きな寝息をたてて熟睡していた。サンに軽い毛布をかけて部屋を出るとレオンが待っている。
不機嫌そうなレオンに「サンが疲れていたから」と言い訳する。
(何も疚しいことなんてなかったのに、何を言い訳しているんだろう?)
レオンはため息をついてリオを抱き上げた。そのまま一気に階段を上り、寝室のベッドにリオをそっと置くとその手首をつかんでベッドに固定した。
「君はサンの気持ちに気づいていないのか?」
(サンの気持ち・・・?)
レオンの顔がすぐ目の前にあって切なげにリオを見つめている。金色の瞳は射るようにリオを貫く。リオは焦れるような息苦しさを感じた。
レオンはリオに深く口づけをしながら背中に手を回して力いっぱい掻き抱いた。リオが痛みに呻くとほんの少しだけ腕の力を弱める。
「たまに君がこんなに優しくなければいいのに、と思うよ」
「え?!私はそんなに優しくないですけど・・・それより、サンの気持ちって・・・?」
サンの気持ちって何だろう?と考えていると
「いや・・。君は考えなくていい。考えて欲しくないから、私がさっき言ったことは忘れてくれ」
ともう一度リオを抱きしめる。
「どうか私だけを見て、私のことだけを考えていて欲しい」
レオンの声が切実だったのでリオも彼の背中に手を回す。
「私が見ているのはレオン様だけですよ」
レオンは疑い深そうにリオを見て首を振った。ため息までついてる。
(何故だ?)
***
翌日サンは完全復活していた。
「やっぱすげーなー。神の力の持ち主は」
と訳の分からないことを言うので「揶揄うな」と言うと、
「揶揄ってねーよ。昨日まで全身が凝っててホント辛かったんだ。マジで楽になった。助かったよ。ありがとう」
と笑う。
その日はいつもと変わらぬ四十代美女姿で元気に見える。ちなみに前日に戻ってきた時は五十代くらいのおじさんの姿だった。リオはいまだにイチとサンの素顔を見たことがない。レオンはあるらしい。ずるい。
***
そしてサンの調査報告会が始まった。
リュシアンとセリーヌ、チーム療法所が勢ぞろいだ。パスカルも参加している。今日は急患以外休診という張り紙をしておいた。
サンはエデルガルトの台詞を一言一句再現してくれた。
(さすがサンだ。でも、サンの報告は色々な意味で衝撃だ。頭が情報を処理しきれない・・・)
アンドレの友人エディが実はエデルガルトだった、という事実だけでも大きな衝撃なのにアンドレはエディに恋して激しく口説いたらしい。
しかし、あっという間に失恋して、夫だったクリストフに比べたら絨毯のシミだと言われたが、アンドレはそれで満足しているという。
リオは複雑な心境だった。
(お兄さまには幸せになって欲しい。絨毯のシミなんて言われて傷ついてないかしら・・・?)
一方でセリーヌとアニーは目をウルウルさせて喜んでいる。
「あの子も立派になって・・・」
「さすが奥様のご子息でいらっしゃいますわ!」
リュシアンも感慨深そうに腕を組んで頷いている。リオはたまにシモン家の人々の感情の動きが理解できない。
レオンは村長の『我は神の力を与えた。存分にその力を振るうが良い』という台詞とリオと同じ顔を持つ少女のことで頭が一杯らしい。頭を抱えたまま同じ姿勢でずっと座っている。
リュシアンが難しい顔で口火を切った。
「村長が呼び出した男女と少女はリオ、いやフィオナの家族だと思うか?」
レオンが頷きながらようやく顔を上げる。
「ああ。おそらくそうだろうな。双子・・・だったのか?」
「双子の片方を差し出したということか・・?一人を助けて一人を犠牲にすることが身勝手だと村長の怒りをかったのかもしれないな。明らかにリオ、つまりフィオナには加護があるのに、もう一人には全く加護がないという。『加護無し』とまで呼ばれているというのは相当だろう」
リュシアンの言葉にレオンも賛同する。
「ただ、フィオナに何故リオの意識が入ってきたのかはいまだに謎だな・・・。しかも『神の力を存分にふるえ』?どういう意味だ?」
「リオの持つ力は神が与えたものだから好きなように使えってことよね。普通に考えると」
セリーヌが思案顔で言う。
「だから、こないだ話してたみたいな血の一滴から人間を作るような能力でも、遠慮せずに使えって神様からお墨付きをもらったんじゃないかしら?」
(お母さまは天使の顔で恐ろしいことを言う・・)
「・・・・神の考えることは分からん」
というリュシアンの言葉に
「やはり村長と直接会って話を聞くしかないな」
と、レオンは諦めたようにため息をついた。
(まあ、それしかないですよね・・・)
「ところで・・」とリュシアンが口を開いた。
「エデルガルトをフォンテーヌの公爵邸に呼び寄せたいと思う」
それには全員がうんうんと頷いた。
「できたらカールとアベルに会わせてやりたいと思うのだが、あの悪魔大帝エラにバレたら大変なことになる」
(悪魔大帝エラ・・・・。すごいネーミングだ)
「エラとエレオノーラの裏をかく方法があればいいのだが・・・」というリュシアンに、サンが応える。
「今度コズイレフ帝国で大規模な舞踏会が開かれるらしいです。現イヴァン皇帝の生誕六十周年記念だかなんだかの。面白いことにエラとエレオノーラが招待されているらしいっすよ」
リュシアンが凄みのある笑みを浮かべる。
「ほぉ、確かに面白い。ミハイル・ブーニン元侯爵もその舞踏会に参加したいと王宮に許可を求める書状が来ていた。当然、即却下したがな」
リュシアンがニヤリと嗤う。ゲス元侯爵の監視体制はこれまでにないほど厳格になったそうだ。
(まあ、当然よね)
セリーヌが手を打って
「舞踏会の日に合わせて、エデルガルト様とカールとアベルを会わせるようにしたらいいんじゃない?その日、エラとエレオノーラは確実に帝国にいるってことでしょ?」
と提案するが、レオンは慎重だ。
「罠かもしれんぞ」
リュシアンは唸りながら腕を組む。
「確かにな・・・ただ、敵にエデルガルト嬢のことはまだ知られていないはずだ。昔みたいにカールの影武者をシュヴァルツに残して、こちらにカールを呼び寄せられないだろうか?」
昔、恋人のルイーズと密会する時は、公爵家の影がカールのフリをしてシュナイダー伯爵邸で留守番をしていたらしい。でも、結局エラにバレてしまったそうだが・・。
リュシアンは腕を組んで対応を検討してみると言う。セリーヌも熱心に頷いた。
「ところで村への行き方は村長を探すのが一番近道じゃないかってエディは言ってたぜ」
サンがあっさり話題を変える。
「エディから村長を見かけた道の駅の場所は聞いてきたよ。ただ、全ての道の駅に斥候を忍ばせる訳にはいかないしな・・・。偶然に期待するしかないってことだけど、皇帝の居室に忍び込むよりは確率が高いと思う。ま、そもそも村長に会うために村に行きたかったんだから、最初から村長に会えたらそれで問題解決じゃね?」
レオン以外の全員が頷く。レオンだけがまた頭を抱えている。
「レオン、どうした?」
リュシアンが訊ねる。レオンはゆっくりと顔を上げた。ひどく動揺しているようだ。
「村長が道の駅にいた理由は『人を捜して』いたんだろう?人探しの情報収集のためだと推測できる」
「そうだな」
とリュシアンが相槌を打つ。
「村長は一方で『ずっと魔術師を追っている』と言っていた。探しているのがエラの魔術師である可能性はないか?」
皆に動揺が走った。
「どういうことだ?」
というリュシアンの質問にレオンは首を振りながら答える。
「いや、何も根拠はない。あくまで想像だ。だが、エラには胡散臭い魔術師がついている。エレオノーラは『最近雇った』と言っていたが、彼女はエラが正確に何をしているかを把握している訳じゃない。もし、エラが魔術師を雇ったのが最近でなかったとしたら?」
リュシアンは混乱した様子だ。レオンが焦って続ける。
「もし、エラが魔術師を使ってルイーズを殺させていたとしたら?帝国のクーデタの黒幕も魔術師だった。その魔術師がセイレーンの可能性もあると思う」
(あ・・そういえばクーデタについてはお母さまがそう言ってた。ナオミがオリハルコンで撃退した魔術師だ)
「理由は分からないが村長はその魔術師を追っていて、まだ捕まえられていない。だから、情報収集のために道の駅に出没していたんじゃないか?『エラ・シュナイダー』の名前を聞いた村長は笑ったとエデルガルトは言っていた。その情報を得て笑ったということは、それこそが欲しい情報だったんじゃないか?魔術師を使役する者の名前だから」
リュシアンの声は少し震えている。
「つまりどういうことだ・・・?」
「エラの魔術師の周辺に村長は現れると思う」
レオンは早口で言った後、慌てて言い訳をした。
「・・すまない。これはあくまで私の想像だ。妄想と言ってもいい。全く何の根拠もないんだ。そもそもこの世界で万能のはずの村長が何故その魔術師を捕まえられないのか疑問だ。全くの別人を捜している可能性もあるし・・」
セリーヌが口を開いた。
「私は満更的外れとも言えないと思うわ。『永遠の女神』の中でナオミが最後にオリハルコンで魔術師と闘うの。左肩に重傷を負わせるけど、結局逃げられてしまうのよ。その時駆けつけた村長が『また逃したか』って言ったの。『また』ってことは何回も逃がしてるってことよね?何故か魔術師は村長から逃げるのがすごく上手いんじゃない?」
リュシアンが苦虫を嚙み潰したような顔で
「うちの影たちもエラの魔術師については何の情報も見つけられていない。本当に存在するのか疑問に思っていたところだ」
と呻いた。
「公爵家の影が何も見つけられないって相当っすね」
サンの呑気な声が響く。
「村長探しと同様に、エラの魔術師捜索に力を入れよう」
とリュシアンが声に出した。
「エラはシュヴァルツの首都にあるシュナイダー伯爵邸で暮らしている。カールは首都から離れたシュナイダー領から動かないので二十年以上別居状態だ。しかし、エラの怪しげな密偵や間諜はシュナイダー領で暗躍していると聞く。シュナイダー領はフォンテーヌとの国境に接している。その国境に近い道の駅にはシュナイダー領の情報も入ってくるから村長が現れる可能性がある」
とレオンが提案すると、サンが「エディが村長を見かけたのもその辺らしいよ」と答えた。
「シュヴァルツとフォンテーヌは同盟国だから、国境を越えるのもそれほど厳しくはない。シュヴァルツには道の駅がないので、シュヴァルツ側の人間がフォンテーヌ側の道の駅に来る可能性もあるだろうな。情報は得やすいと言えるだろう」
リュシアンは独り言ちた後、皆に向かって言った。
「シュヴァルツに近い道の駅をしばらく張り込んでみよう。エラの魔術師についても引き続き捜索させる。エラの動きが分かれば、安全にカールをこちらに呼べるかどうかが分かるかもしれない」
リュシアンの言葉に全員が頷いた。




