アンドレの事情 その4
ジョルジュはアンドレの手を握り、励ますように強く振った。
「アンドレ様、恋には障害がつきものですが、今回はお勧め致しません。時には諦める勇気も必要かと思います」
「・・・諦めることなんてできないよ」
「しかし、エディ様はアンドレ様の顔を見るのが辛いと仰っておりました。何があってもアンドレ様の気持ちに応えることはできない。会わないのがお互いのために一番良いと」
「自分の気持ちを隠して友達のフリを続けられれば一緒にいられるのか?」
「私には何とも言いかねます」
こんなに困った様子のジョルジュは初めて見る。
アンドレは今までこんな気持ちになったことがない。どちらかというと押しの弱い方だったし、何かに執着することは少なかった。リオに失恋した時は悲しかったけど、短期間で気持ちの切替えが出来た。今回はその切替えができる気がしない。
(僕はどうしてしまったんだろう・・・?)
「確かに表向き恋心を諦めたとエディ様に伝えれば、エディ様は安心してまたアンドレ様にお会いになるとは思いますが・・・」
とジョルジュは呟く。
(でも、それだと彼女に嘘をつくことになる。僕は彼女には誠実でありたい)
アンドレはとりあえずエディと話をさせてくれ、とジョルジュに頼んだが、難色を示された。エディもまだ動揺しているので明日まで待った方が良いという。
「アンドレ様と話をしてもらえるかエディ様に伺っておきますので、どうか焦らずお待ち下さい。焦りは下策中の下でございますよ」
アンドレは不承不承頷いた。
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翌日、アンドレは丸一日公務が入っていたので公邸に戻ったのは深夜に近い。出迎えてくれたジョルジュにエディの様子を尋ねると大分落ち着いたとのことだった。
「エディ様は、今夜はもう遅いので明日時間があればお話しましょうとのことでした」
明日は公務が入っていないので予定を空けられるだろう。
体はクタクタに疲れているのに翌日エディに会えると思うとワクワクして眠れない。子供みたいだなと可笑しくなった。
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翌朝アンドレの部屋にエディがやってきた。相変わらずシンプルなシャツとパンツで男装をしている。やっぱり可愛い、と思う。
ソファに腰かけたエディは、キョロキョロと視線を彷徨わせて落ち着かない様子だった。
アンドレも気まずくて何を言っていいか分からない。
(でも!僕は自分の気持ちを伝えると決めたんだ)
「エディ、どうか聞いて欲しい。僕はこれまでどんな女性にもこんな風に感じたことはなかった。もちろん心惹かれる女性はいた。振られたけど・・・。でも、諦めることができた。今回は諦めるのは無理だと思うんだ。エディ、君を愛している。僕の気持ちに応える必要はない。ただ、僕が君を思う気持ちを許してもらえないか?僕を好きにならなくてもいい。僕が勝手に君を好きなだけなんだ。それだけでも許してもらえないだろうか?」
エディの顔が首の付け根まで真っ赤に染まった。
「な、なんてことを言うの?私がそんなことを許すわけないでしょう。アンドレがそんな気持ちでいるなら、私は一生あなたとは会いません」
「何故?」
「だって、あ、あなたの気持ちに応えることができないから。一生無理よ。私なんかのためにあなたの一生が滅茶苦茶になってしまうわ」
「幸い僕の人生は長いんだ。君のもね。それに君を思い続けていられるなら、僕の人生そう悪いもんじゃない。滅茶苦茶になることはないよ。僕を好きになってくれと頼んでいるわけじゃない。僕が好きでいるのを許してくれと言っているだけなんだ」
エディの顔は熟れ過ぎたトマトみたいな色になった。
「だ、だめ。嫌よ。私は一生クリストフの思い出を抱えていくの。あなたが傍にいたらその邪魔になるわ」
「なんで邪魔になるんだい?」
「そ、それは・・・その、他の男性に傍にいて欲しくないのよ」
「君が僕に傍に居て欲しくない時は配慮する。君の心にずかずか立ち入るつもりはない。君の御夫君との思い出を邪魔するつもりもない。僕はたまに君の顔が見られれば、それで充分幸せなんだ」
「私は会いたくない」
「それは僕が嫌いだからかい?友達だと思っていたんだが。性別がバレた途端に友情がなくなるんだね」
「それは・・・だって・・あなたの方が、性別がバレた途端に口説き始めたんじゃない?卑怯だし、正直幻滅したわ。だから嫌いと言ってもいいと思う。・・・嫌いよ。だから二度と私の前に姿を現さないで欲しい」
(くっ、心が折れそうだ・・・。負けるな、俺!)
「一昨日もわざと乱暴な口を聞いて、僕が君を嫌いになるよう仕向けたんだね?」
「な、なにを言っているの?あれが私の地なのよ。私を嫌いにさせよう・・とか、そんなことあるわけないじゃない」
「じゃあ、僕が勝手に君を好きでいてもいい?君が僕を嫌いでも構わない」
エディはひどい頭痛がするかのようにこめかみを押さえた。
「私はどうして嫌いな人間と会わないといけないの?あなたと居るのは本当に苦痛だわ」
「僕も君に嫌われるのは辛い。会って嫌な顔をされるのは辛いよ。だからおあいこだ」
「は!?」
「君も嫌な思いをして、僕も辛い思いをするんだ。それでイーブンということにならないかな?」
「・・・・・なるわけないでしょ――――――!!!」
とエディが叫び、そのままそれ以上俯けないほど項垂れた。
(しまった・・・滅茶苦茶だ。さすがに言い過ぎた。嫌いな男に会いたくないのは当然だ。これ以上粘るのは止めよう。僕は永遠に彼女を好きだけど、気持ちの押しつけは良くない。二度と彼女と会えなくても仕方のないことだ。諦めよう)
アンドレはガックリと肩を落とした。
見るとエディの肩と背中が震えている。
(どうしよう・・泣かせてしまった。僕はやることなすこと何も上手くいかない。母上の言う通り、残念男子だ・・)
アンドレが、なすすべもなくエディを見つめていると、
「・・・・・・ふ・ふふ・・・ふふう・・ふは・・はははは!!」
とエディが笑い始めた。目には涙がにじんでいて、指先で涙を拭きとっている。
ポカンとエディを眺めていると
「・・・そんな訳の分からない理屈は初めて聞いたわ。そうね。私とあなたの二人が嫌な思いをするならお互い様ね。イーブンで良い関係だわ」
と明るく言い放つ。
「・・・・・・・・???」
茫然自失としたアンドレを見て、エディは更に爆笑する。
「・・・ははははは。こんなに笑ったのは何十年ぶりかしら?」
ゼイゼイと息切れまでしている。
「・・・エディ?」
「何?」
目尻に残っていた涙をハンカチで拭き取りながら振り返る。何故かすっきりした顔だ。
「あの・・・君を好きでいてもいいかい?」
「うん、あなたがものすごーく身勝手な人だって分かった。だから、あなたを傷つけちゃうんじゃないかなんて気遣いは不要だったわね。はっきり言うわ。私が愛するのはクリストフだけよ。他の男なんて彼の足元にも及ばない。絨毯についたシミくらいに思っているわ。それでもいいなら、好きにすればいいわよ」
「僕は絨毯のシミで十分だ。君を心から愛している絨毯のシミだからね」
とアンドレは満面の笑みで答えた。
すると部屋の隅の方から誰かがぶほっと噴き出す声がした。
「誰だ!」と振り返るとジョルジュと齢四十代くらいの美女が立っていた。美女はお腹を抱えて笑っている。
一方、ジョルジュは目にうっすら涙を浮かべている。
「アンドレ様があんな風に食い下がれるなんて。私はとても感動しました。まるで奥様の若い頃を見ているようで・・・」
美女は相変わらず笑いながら
「いやー、あの二人の息子にしちゃ淡泊だと思ってたけど、やっぱり血は争えねーな。リュシアン様の執着心がここにちゃんと引き継がれているかと思うと安心するね」
と宣った。
アンドレはカッとなって美女を睨みつけた。
「君は誰だ?」
ジョルジュはとりなすように口を挟む。
「彼はリオ様腹心の影です。わざわざフォンテーヌから危険を冒してやってきました。信用できる人物だとリオ様が太鼓判を押しておられます。サンとお呼び下さい。性別は男性です」
(男・・・・?!)
サンは瞬時に体勢を立て直し淑やかな礼を見せた。
「サンでございます。どうか無礼をお許しくださいまし」
どこからどう見ても女性にしか見えない。声も女性そのものだ。しかも完璧な淑女に見える。
「エディ様、御目文字叶って大変光栄に存じます」
とエディにも会釈をする。エディも毒気を抜かれたようにサンを見つめた。
ジョルジュが手を叩いて侍女を呼び、お茶の支度をさせる。
ジョルジュとサンが隣り合って座り、アンドレはエディの隣に恐る恐る腰かけた。できるだけ彼女から離れるようにソファの端っこに座る。
サンがまた爆笑して
「さっきあれだけのこと言っておいて、なんでそんな隅っこで小さくなってんの?」
と揶揄う。
「いや、僕は絨毯のシミだから、あまり近づいたら良くないと・・」
というとサンはまた遠慮なく笑う。
(こいつが本当にリオの腹心の影なのか?)
「突然帝国に行けって言われた時はうんざりしたけど、いやー良いものが見られてラッキーだった」
エディは興味津々でサンを見る。
(何でそんなキラキラした目でこんな奴を見るんだ?!)
「ねえねえ、サンの女装、すごいね。仕草とか動きとかも訓練を受けたの?」
「そりゃね。結構経験は積んでるから」
「私もずっと男装してるんだけど、なかなか上達しないのよね。今回もすぐにバレちゃったし・・・」
「まあ、骨格が違うからなぁ。エディみたいに華奢だと難しいと思うよ」
仲良さそうな二人の会話に益々イライラが募る。アンドレは完全に蚊帳の外だ。
「それで!サンは何でわざわざ帝国まで来たんだい?」
ジョルジュがサンに代わって答える。
「エディ様が見つかったこと、セイレーンの村の情報が入ったことを旦那様と奥様にご連絡しなければと思っていたところにサンが到着しました。エディ様の話を伺いに派遣されたそうです」
「まあ、セリーヌ様の予感が当たったというかね」
サンがはっきり言わないのはセリーヌの預言の能力を隠しておきたいからだろう。
(そうか、お告げがあったのか・・)
そうでなければこんなにタイミング良くは来られない。
微笑んでいたジョルジュが真顔になった。
「エディ様、それではセイレーンの村の話をお願いできますか?」
エディは真剣な顔で頷いた。




