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アンドレの事情 その2

朝起きるとまずエディに挨拶に行くのがアンドレの日課だ。


初めて会った日、アンドレはエディが絵具を片付けるのを手伝って家まで送ると申し出た。


するとエディは『自分は旅人なので家はないから今は野宿している』と黒板に書いた。


「ありえない!」とアンドレは繰り返した。エディは男性だが小柄で華奢だ。これだけの美青年だから彼を狙うむさい男がいてもおかしくない。ダメだ。野宿なんて危険すぎる。


遠慮するエディを粘り強く説得して、ようやくアンドレが住む大使公邸に連れてくることができたのだ。


警備の要である騎士団長は見知らぬ青年を滞在させることに難色を示したが、奇跡的にジョルジュがアンドレの味方をしてくれて、エディはそれ以来この屋敷に住んでいる。


何もせずに居候するのは申し訳ないと掃除や洗濯などをしようとするから、アンドレは自分の肖像画を仕事として描いて欲しいと依頼した。


鼻歌でも歌いたい気分でエディが滞在する部屋に向かっていると、途中でジョルジュに遭遇する。


「エディ様のお部屋に行かれるのですね?」


にこやかにジョルジュに尋ねられ、何となくきまりが悪い。別に何も疚しいことをしている訳でもないのに、何故か言い訳をしたくなる。


「いや、その、エディはまだこの屋敷に慣れないし、できるだけ僕が顔を見せた方が安心するだろうと、その、僕なりの気遣いでね。」


ジョルジュはぶほっと噴き出した。「失礼」と言いながら笑いを堪えているのが丸わかりだ。


「私は何も申しておりませんが」


肩を震わせながらジョルジュが言うのでアンドレは少し拗ねたくなった。


「ジョルジュもエディが客人として滞在することに賛成してくれたじゃないか。客人には礼を尽くすべきだと教えてくれたのはジョルジュだよ」


ジョルジュは深く礼をしながら謝罪する。


「アンドレ様、ご不快に感じられましたら、大変申し訳ありません。さすが奥様だと思っていたのでございます」


「母上がどうかしたのかい?」


「アンドレ様は心惹かれるものや人の話になるとまず言い訳から入ると仰っておられたので」


アンドレは顔面が真っ赤になるのを感じた。


(母上・・・)


「エディ様は素敵な方でございます。アンドレ様が心惹かれるのは無理もないと思いますよ」


「・・・こっ、こっ、ここころ惹かれるなんて、男同士で何かそういう言い方って、どどうかと思うぞ・・・」


ジョルジュは怪訝な顔つきで「男同士・・・?」と呟いたが、アンドレは気がつかない。ジョルジュを置いて、そのままエディの部屋へ足早に向かった。


エディの部屋のドアをノックするとすぐにエディが顔を出す。


「あ、おはよう。エディ。今朝はどうだい?あ、あの良かったら一緒に朝食を取らないかと思って・・」


何となくまだ頬が紅潮している気がして気恥ずかしい。


エディは笑顔で頷いた。少し待っていてというジェスチャーをしてまた部屋に入った。


エディは侍女や他の使用人が部屋に入るのをとても嫌がる。世話は必要ないから一人にしてくれと言い張るので仕方なくそれに従った。


エディはいつも持ち歩いているカバンを持って部屋から出てきた。カジュアルな服装で、シャツとパンツだけなのに何故こんなに可愛いんだろう?と見惚れてしまう。



(・・・いや、可愛いってなんだ!?)



自分で自分に突っ込みを入れつつ、アンドレとエディは食堂に向かった。


「今日僕は皇宮に行かなくちゃいけないんだけど、午後には帰って来るから、そうしたら肖像画の続きをお願いしてもいいかい?」


エディは嬉しそうに頷いた。笑うと幼くなる感じがまた可愛い。



(・・・・いや、可愛いというのは弟みたいな感じだからな!)


(・・・何を言い訳しているんだ。僕は?)



内面の葛藤を表に出さないようにして、エディの隣を歩く。エディの足取りは軽やかで足音もほとんどしない。煙るような長いまつ毛の下に潤んだ茶色い瞳が光る。端整な顔立ちだけでなく、その瞳の輝きに多くの人が魅せられるに違いないと思う。


アンドレの視線を感じてエディが物問いたげな視線を送る。アンドレは焦って声が上擦った。


「こ、この屋敷で何か不自由はないかい?欲しいものとか?」


エディはカバンから黒板を出すと


『不自由なんてありません。皆さんとても良くしてくれます。申し訳ないくらいです』


と書いた。


「そ、そうか。それは良かった」


『アンドレのおかげだ。ありがとう』


アンドレの顔は再び真っ赤になった。



*****



その日の午後、アンドレの部屋でエディは肖像画を描いていた。モデルとしてじっとしていなくてはいけないが、エディの真剣な視線を感じるとふとアンドレの体が熱くなる。


(どうしたんだろう?今までこんな気持ちになったことなんてない・・・)


最近仕事にも手が付かなくなってきている気がする。セリーヌがいたら叱られそうだ。


(そういえば、母上とリオから手紙がきていたな。僕の体調を気遣ってくれる優しい手紙だった・・けど、セイレーンの村の調査を重点的に頑張れって言われても・・・そんなに簡単じゃないんだよなぁ)


セイレーンに関しては帝国に来てから当然情報収集している。影も手伝ってくれるし、アンドレも色々な人に話を聞こうとするがセイレーンの村の話題を出すだけで、すぐに顔色を変えて逃げ出すように離れて行ってしまう。皇宮の蔵書庫にも行ってみたが、セイレーン関連の文献はほとんど見つからなかった。


アンドレがセイレーンの血を引いているのは周知のことなので、自分の話をしている分には大丈夫だが『セイレーンの村』というキーワードを出すと一瞬動きが止まり、みんな顔面蒼白になる。どれだけのタブーなんだって話だ。セリーヌとリオをがっかりさせたくない・・が、どう攻めたらいいか分からない、という状況だ。


ふぅとため息をつくと、エディが心配そうにこちらを見ていた。


黒板に『疲れた?休憩しよう』と書いてある。


アンドレは「大丈夫だ」と言うが、エディは聞かない。早速侍女に頼んでお茶を準備してもらっている。


仕方がないと二人でお茶を飲みながら、筆談も交えて世間話をしていると、エディがアンドレの絵を見せて欲しいと言い出した。


「僕の絵なんて君の絵に比べたら拙くて・・・見せるのが恥ずかしいよ」


『絵は比べるものじゃない。アンドレの絵が見たい』


エディの視線の熱心さに押されて、アンドレはこちらに来てから描きためたスケッチブックを渡した。


エディは嬉しそうにそれを受け取ると、一枚一枚丁寧に見ていく。最初は花や鳥やコズイレフ帝国の景色や建築物が多かったが、最近はフォンテーヌ王国の家族を思い出して描くことが多くなった。


『僕は君の絵が好きだよ。人に安心感を与える絵だ。君の人柄が出ている』


「そ、そうかな・・?エディにそう言ってもらえると嬉しいよ」


アンドレは照れて頭を掻く。


セリーヌの肖像画を見たエディはニヤニヤしながら『恋人?』と訊く。


アンドレは慌てて手を振りながら


「ち、違うよ。母上だ」


と言うと、エディの目がまん丸になった。


「えっと、君は知らなかったかもしれないけど、母上は純血種のセイレーンで僕はセイレーンのハーフなんだ」


『なるほど。ものすごい美人だね』と納得して、次のページをめくる。そこには丸坊主のリオの姿が描かれていた。


『彼女は?』


「妹なんだ」


(うぅ、なんか照れるな)


ふと気づくとエディはリオの肖像画を食い入るように見つめている。リオは可愛いからな。エディが一目惚れでもしたら困るな、などと考えていると、エディはまたページをめくった。そこにはアンドレが初めて会った時のリオが描かれている。髪も長くて、突然天使が降りてきたのかと思った瞬間だ。


エディは声にならない声をあげてスケッチブックを取り落とした。エディの全身が震えている。アンドレは慌ててエディに駆け寄った。


エディの顔を覗き込むと、彼の茶色の目がチラチラと瞬いて、一瞬赤くなった後また茶色になった。


アンドレの頭は真っ白になった。


(今のは・・・母上とリオの目を見てきたから間違いない。目の色を隠す魔法が動揺で一瞬崩れたんだ!そして・・・隠している目の色は・・・赤?!)


「エディ、君もセイレーンだったのか?」


蹲っていたエディは弾かれたように逃げ出した。アンドレは慌てて彼の手をつかむ。


驚くほど華奢で力がない。必死で抵抗しているのだろうが、アンドレの力には全く抗えない。アンドレは彼に必死で話しかけた。


「頼む。逃げないでどうかちゃんと話をさせてくれ。乱暴はしたくないんだ」


エディはしばらく抵抗を続けたがアンドレが諦めないと分かってようやく観念した。


「話をしよう。絶対に君にとって悪いようにはしない。僕もセイレーンだ。隠したくなる気持ちは良く分かる。僕の母上と妹も外に出る時はいつも目の色を変えていた。だから分かったんだ。君もセイレーンなんだろう?」


エディはようやく大人しくソファに座った。


「あと・・・失礼な質問だったらごめん。でも・・君は本当に男性なのかい?」


エディはバッと顔を上げる。その顔は真っ赤だった。


(ああ、これはもう答えたようなものだな。エディは女性だったんだ!)


こみあげてくるのは不思議な喜びだった。


(エディは女の子だった。こんな嬉しいことあるかい?)


「君はセイレーンの女性であることを隠してずっと生きてきたんだね。辛い思いも沢山あったろうに、絵を描き続けた君の勇気を尊敬するよ」


というとエディはじっと俯いた。



***



「・・・・あんたみたいな甘やかされた坊ちゃんにあたしの何が分かるのさ?」


一瞬誰がしゃべったのか分からなくて、周囲をキョロキョロと見回してしまった。


するとエディが眼光鋭くアンドレを睨みつけている。


(やっぱり今のはエディの台詞で間違いないのか?)


「エディ、君は話ができたんだね?」


「ああ、声で女だってバレるからずっと話せないフリしてたのに、やっぱりホイホイついてくるんじゃなかったよ」


エディは、はぁ――――――っと深いため息をつく。


「エディ、君は・・・どこから来たんだい?」


気軽な質問のつもりだったのに、エディの顔は泣きそうに歪んだ。


(しまった、まずい質問だったか・・)


慌てて質問を取り下げる。


「い、いや。ごめん。詮索するつもりはなかったんだ。答える必要はない。気にしないでくれ」


エディは完全にアンドレに背中を向けていて、拒絶を態度で示している。


(どうしよう・・・こんな時に僕は気の利いた言葉一つ言えやしない)


すると扉の外からノックの音がした。


躊躇ったがエディは相変わらずそっぽを向いている。仕方がないので、ドアを開けるとジョルジュが立っていた。


「ジョルジュか?どうした?」


と聞くと


「エディ様は大丈夫ですか?具合が悪そうだと伺いましたが」


とジョルジュがエディを見る。


驚いたことにエディはジョルジュを見て微笑んだ。


「ありがとう。ジョルジュ。私は部屋に戻るから」


「畏まりました。今夜は夕食をお部屋に運ばせます」


「ありがとう」


エディは優雅に言うと、そのままアンドレの部屋から出て行った。


アンドレは放心状態でジョルジュを見た。ジョルジュはエディが話せることも、女性であることも既に知っていたような口ぶりだ。


正直、心から傷ついた。信頼していたジョルジュに裏切られたような気持ちがして、つい睨みつけてしまう。


ジョルジュはばつが悪そうにアンドレを見て謝罪した。『謝るくらいなら、知っていたなら、何故僕に言ってくれなかったんだ』と詰りたくなる。子供みたいな嫉妬だとは分かっていても、感情が止められなかった。


「お怒りはごもっともです。どんな処罰でも受けます。私を視界に入れたくなければ、私はフォンテーヌに帰国致します。誠に申し訳ありませんでした」


ジョルジュが深く頭を下げる。カーっと血が上った頭がようやく冷えてきた。ジョルジュは理由もなく主人に隠し事はしないはずだ。


「いや、僕も頭に血が上って・・・。悪かった」


と頭を下げる。


ジョルジュは目を細めてアンドレを見つめた。


「何?」と聞くと


「アンドレ様は『甘やかされた坊ちゃん』などではありません。公爵家の使用人一同、アンドレ様を立派な主人として尊敬申し上げております。使用人に頭を下げられる主人はめったにいらっしゃいません」


アンドレは一瞬照れるが、すぐにエディと自分の会話は全て聞かれていたということに気がついた。


(・・・恥ずかしい。まあ、影が常についている時点で覚悟しなければいけないことなんだろうけど)


ジョルジュは澄ました顔で


「大切なアンドレ様に万が一のことがあったら旦那様にも奥様にも顔向けが出来ませんから」


と宣う。


「それでエディのことはいつから気づいていたんだ?」


「エディ様について、私は誰にも話さないとお約束をしました。ですので、アンドレ様に事情をお話して良いか、まずエディ様のお許しを得たいと思います」



(・・・う、まあそういう約束であれば、仕方ない・・・の・・か?)



「エディ様から許可を取ってまいりますので、どうかしばしお待ち下さい」


ジョルジュが出て行ってから、アンドレは床に落ちていたスケッチブックを拾ってソファに腰を下ろす。


エディは髪の長いリオの姿を見て明らかに動揺していた。


(何故だろう・・・?)


ぼんやり考えていると、ジョルジュが戻って来た。


ジョルジュは立ったまま報告したいと言ったが、アンドレは無理を言って向かいのソファに座ってもらう。ジョルジュは居心地悪そうにしていたが、最後は諦めたらしい。


「まず、いつ私がエディ様のことに気が付いたかと言うことですが、それは初めてエディ様がこの屋敷に来た日でございます」


(え?!初めて来た日から?何故?)


「エディ様の骨格を見て男性とは思いません。どう見ても女性だと思いました。また、ご尊顔を拝し、やはり面影があると思ったのです」


「面影・・・?誰の?」


「カール・シュナイダー伯爵閣下です」


(は!?)


今度こそ開いた口が塞がらなかった。


(ジョルジュは何の話をしているんだ?)


「カール様は一時期ルイーズ様と密会するために頻繁にシモン公爵家に出入りしておられましたので、私はしょっちゅうご尊顔を拝する機会がございました。アンドレ様は既に子爵として王都にいらしたので、あまりお会いする機会はございませんでしたね」


(・・・だから何の話だ?)


「カール様のお祖母様のエデルガルト様はハーフのセイレーンでいらしてずっと消息不明でした」


また、話が飛んだ。その話は知っている。だから何だというのだろう?


全く要領を得ないアンドレにジョルジュは言い聞かせるように言った。


「あの日アンドレ様はエデルガルト様と一緒にこの屋敷に帰って来られたのですよ」


アンドレは完全に言葉を失った。


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