永遠の女神
第二章 マレードとの出会い
私は本間直美十八歳。両親は二人とも幼い頃に死んだので、一歳年下の妹と一緒に孤児院で育った。私の人生が変わったのは小学生の時だった。プロの手品師が孤児院に慰問にきたのだ。彼の手の中でクルクル回るボールや宙に浮くトランプなど、魔法のような妙技に私は魅せられた。その時以来、私はずっと手品師になることを夢見てきた。その手品師に弟子入りを申し込んだが、全国を回っているので弟子にはできないと断られてしまった。あまりに落胆している私を気の毒に思ったのか、彼は古い手品の本をくれた。私はその本が擦り切れるほど読み込んで、独学で必死に手品を学んだ。
十五歳になったら孤児院を出て自活を始めないといけない。私が孤児院を出る時、院長は弟子入りさせてくれる手品師を探してきてくれた。舞台でのアシスタントも兼ねていたので、水着のような姿でステージに上がるのは恥ずかしかったが、背に腹は代えられなかった。師匠は厳しかったがきちんと手品を教えてくれた。しかし、給金は安く生活は苦しかった。
一年後、妹の里美が同じ孤児院を卒業したので、小さなアパートで一緒に暮らし始めた。里美は近くの食堂で働いていて、私の倍以上の給金を貰っていた。生活費を折半にできず姉として恥ずかしかったが、里美は気にせずいつも大目に生活費を出してくれた。里美は可愛い看板娘として食堂でも人気になった。私達の生活に少し余裕が出来て妹に心から感謝した。里美は私が手品師になることを心から応援してくれていた。
数年後ようやく手品師としてステージデビューが決まった。毎日毎日繰り返し練習した努力がようやく報われたと思った。里美には真面目に交際する素敵な彼氏も出来た。二人でステージを観に来ると言ってくれて、とても嬉しかったのだ。初めての舞台は大成功、歓声の中ステージを降り、楽屋で着替えて帰ろうとしたら見知らぬ男が立っていた。仮装のような変な服装の男にいきなり口を塞がれ首を抑えつけられて、私は意識を失った。
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意識を取り戻すと私は見知らぬ男たちに囲まれていた。その中でも一番年老いて尊大な態度の男が私に向かって指を突き付けた。
「お前は強力な魔法を使うと聞いた。これから私の命令通りに動いてもらう。良いな!」
私は混乱していたが、屈強な男たちに取り囲まれている状況で反抗的な態度は控えた方が良いという判断を下した。魔法と言っていたようだが何の話だろう?手品のことだろうか?意味は分からなかったが、取りあえず俯いて曖昧に頷いた。
尊大な男の隣に立っていた男が指を振ると、宙に光の輪が浮かんだ。その光の輪が私の右手首を囲むとそのまま銀色の金属の輪に変わり、手首にピッタリと嵌まった。なんだこれは?魔法か?と衝撃を受けるが驚きを表情に出さないように気をつける。その男は深いフードを被っていて、顔も表情も見えない。不気味だった。尊大な男が「その腕輪は魔法を封じる。世界最強の魔術師が作ったものだ。しかも、神の道具オリハルコンでできている。それを付けている間、お前は絶対に魔法が使えない」と得意気に言い放つと、男たちは満足そうに部屋から出て行った。もちろん、ガチャンと鍵はかけられた。
そのまま人気が無くなるまで待った。ドアの向こうには見張りもいないようだ。幸い、必死に抱きしめていた手品道具の入ったカバンがベッドの脇に置かれていた。命よりも大切と言ってもいいくらい貴重な手品の道具が入っている。手品では鍵を外す技術も必要だ。カバンから道具を取り出してドアの鍵を開ける。こんな旧式の鍵で大丈夫か?と思うくらい容易かった。
カバンを抱えてとにかく逃げる。薄暗い廊下に出るとどちらに行ったら良いかも分からない。「えーい、ままよ!」と思っていると、足元に小さく暖かな炎が現れた。その炎が廊下の右方向を指している。この炎を信じていいのだろうか?しかし、迷っているヒマはない。炎の方向に走る。炎は道案内をしてくれているようだった。階段を上がり、廊下を走り、複雑な建物の内部を移動したにも関わらず、誰にも会うことはなかった。これも炎のおかげなのだろうか?と思っていると、炎が一つのドアの前で止まり、そのまま消滅した。どうしようか迷ったが、思い切ってドアをノックしてみた。
ドアを開けたのは銀色の髪に赤い瞳の絶世の美女だった。私を見て目をまん丸にしていたが、慌てて周囲を警戒し、私を部屋の中に引き込んだ。美女の部屋は豪奢で、中には若い男性もいた。絵画から抜け出たような美貌の二人だ。男性は目を丸くして近づいてくる。美女はマレード、男性はピョートルと名乗った。私も自分の名前を伝える。
「君は一体どこから来たんだ?」
「あの、日本という国に居たのですが、突然知らない男の人に誘拐されて連れてこられました」
「ああ、パーヴェルの仕業か。最近胡散臭い魔術師を雇って怪しげな業を使っていると思っていたが、まさか別な世界から人間を連れて来るとはな!何故君が連れて来られたか分かるかい?」
私は自分が手品師で、舞台で手品をしているのを見て魔法使いだと勘違いされたのではないかと思うと説明した。信じたくないが、私は日本から全く別な世界に連れて来られたらしい。最初は外国に連れて来られたのかと思ったが、二人の説明によるとここは私が住んでいた世界とは全く違う異世界で本物の魔法使いや魔術師がいるそうだ。彼らは私が住んでいた世界には魔法がないことを既に知っていた。
二人が異世界のことにも私のことにもそれほど驚いていないことを不思議に思った。尋ねてみると、異世界のことは聞いたことがあるという。そういったことに詳しい人物を知っているから、その人のところに連れていってくれるそうだ。その人なら私を元の世界に戻すことが出来るだろうと言われて、希望が湧いてきた。
二人は親切に食事も用意して、私を匿ってくれた。余っている部屋があるのでそこで寝ていいという。私の感覚だと異常に広い部屋だ。どれだけ贅沢なのだと感心する。一体この二人は何者なのだろう?と疑問に思いながら私は眠りに落ちた。
翌朝まだ薄暗いうちに私は起こされて、ピョートルとマレードに部屋の隅にある暖炉の前に連れて行かれた。荷物を全部持つように言われたので、大切なカバンを抱きしめる。ピョートルが何か呪文らしきものを唱えながら暖炉に手をかざすと暖炉が動き出し、小さな扉が現れる。私は内心驚いたが二人が平然としているので、黙っていた。三人でその扉をくぐると内部には大きな空間が広がっていた。家具も何もないコンクリートの打ちっぱなしの空間に見えるが、よく見るとコンクリートではなく大理石のような高級感のある石で出来ていた。
床の真ん中に大きな円が描かれている。これは魔法陣だろう。手品の師匠に習った記憶があった。ピョートルは私とマレードを魔法陣の真ん中に立たせて呪文を唱えた。「既に連絡がいっているから大丈夫だ」とピョートルが言い終わらないうちに、私達はグルグル回る渦のような力に巻き込まれていた。
気がつくと私とマレードは、知らない男性の前に立っていた。マレードと同じ銀髪に真っ赤な瞳。完璧な美貌がかすかに不機嫌そうな表情を見せている。マレードは深く礼をして「My Lord」と呼びかける。その男性は益々不機嫌そうに手を振って「村長と呼べ」と言った。
「村長、この方は・・」と私を指さして説明しようとするマレードを遮って村長は首を振る。既に事情は全て分かっていると言う。私がこの世界に来た瞬間に分かったという。言葉もすぐに分かるようにしてくれて、炎も送ってくれたらしい。そんなことが出来るのだったらすぐに日本に送り返してくれれば良かったのにという不満は言わずに飲み込むが、村長が私の顔を見た瞬間に全ての考えが読み取られているような気持ちになった。
私が無理やり連れて来られたことも日本から来たことも分かっているとのことなので、日本に帰れるようにお願いすると、村長は頷いてくれた。ほっと安堵する。すると村長は送って欲しい場所の座標を言えと要求した。「座標」とは緯度・経度のことらしい。私は自分が住んでいる街の緯度・経度を知らない。というか普通知っていなきゃいけないものなのだろうか?住所ではダメかと聞いてみる。
村長はイライラしながら「座標が無ければ送れない」と言う。そして時間も誤差が出るが仕方がないという。私は誘拐された日である1962年の9月19日に戻してもらえるかとお願いすると、村長にそれは無理だと呆れたように言われた。
「それぞれの世界は同じように時間が流れているが、人間を別な世界へ行き来させる時にはどうしても五十年程度の時差が生じる」
「ご、五十年?!下手したら戦前に戻るかもしれないってことですよね?それは絶対に嫌です」
「仕方ないだろう。我にとって五十年など一秒以下の瞬きだ。お前はそんな微調整が出来ると思うのか?」
「で、でもそしたら私は家族の元に帰れない可能性も大きいということですよね?」
「我には関係ない。元の世界に戻りたいというから戻してやろうというのに文句ばかり言う。人間とはまこと欲深い」
村長は興味を失ったように、私達に背を向けて立ち上がる。マレードが慌てたように村長を呼び止めた。
「ナオミは罪もないのに無理やり家族から引き離されたのです。何とかできませんか?」
「知っているだろう。我の力が及ぶのはこの世界だけだ。あちらの世界で我が力を使うと実験が台無しになる。送り返すと言っているのに文句を言うのは彼女だろう」
「・・・そ、そうですが・・何とかご慈悲を頂けませんか?」
「慈悲?」
しばらく村長は考え込んでいたが、顔を上げると私に質問をした。
「元の世界に戻りたいという希望以外で、お前の望みはなんだ?」
私は戸惑いながらも手品師を目指した時から変わらない夢を語る。
「世界中のみんなを私の手品で笑顔にすることです!」
「手品?」
村長は手品を知らなかったので、私は実際に手品をやってみせた。村長は大いに感心したらしい。テレビでも見たことが無かったという。異世界なのにテレビを知っているの?と不思議に思うが、この村長なら何でもありそうな気がして突っ込むのを止めた。
「魔法が無い世界だとこのような発明があるのか。不便は時に発明につながるのだな。楽しませてもらった。礼に加護をやろう」
マレードが驚いたように息をのむ。
「世界中の人々を楽しませるために、特別な魔法の技を与えよう」
村長が指を鳴らす。私の右手首にピッタリ嵌まっていた腕輪がパリンと砕けた。突然体の中にエネルギーが沸きあがった。これが魔力っていうのかな?体の中に感じる力の流れがある。そして私はその力の使い方を知っていると思った。鳩をイメージしながら指をパチンと鳴らすと、何百という真っ白い鳩が私の指から飛び出した。ついでに華々しい花火や影絵のような幻影もユラユラと歩き回る。すごい!マレードもはしゃいでいる。
「世界中の人間を楽しませるには世界中の人間と話せるように語学力も必要だな。全ての言語を習得させてやろう」
とまた指を鳴らす。
「あらゆる言語に堪能になった」
本当だろうか?人差し指の先端に花を咲かせてみる。ポポポポポンと心地よい音と共に色鮮やかな花が咲いた。これだけのことを簡単にできるようにさせた人だから、きっと語学力も備わったのだろう。
「あの、本当にありがとうございます。これだけの能力があったらきっと日本に帰っても手品師として成功できます!」
と御礼を言うと、村長に心底呆れたという顔をされた。
「お前の心根は悪くないが頭は悪いのだな。お前の世界には一切魔法がない。我もいない。信仰はあるがな。我の力が決して影響してはならぬ世界だ。お前が与えた能力を使えるのはこの世界に居る時だけだ。この世界は『混沌』だからな。我も魔王も存在し比較的自由に干渉できる世界だ。お前が元の世界に戻る時は、当然全ての能力は返してもらう」
「なるほど・・・元の世界に戻るにはこの能力を諦めて、更に誤差で家族と全く違う時代や場所に行ってしまう可能性を覚悟しなくてはいけないということですね」
「そうだな。お前の選択次第だ。しばらくこの世界に滞在して考えても良いだろう。二~三年ここに滞在しても、誤差で誘拐された日以前の世界に戻る可能性もある」
「分かりました。ありがとうございます」
「我は自分さえ良ければ良い、という利己的な人間は好まぬ。我がずっと追っている魔術師のようにな。お前のように自分の欲望ではなく他人の幸せを願う人間の願いは叶えてやりたい。利他的な人間はそれだけで文明存続の価値があるからな」
正直何の話をしているのか良く理解できなかったが、お辞儀をして再度御礼を言うと、マレードも隣で会釈をしながら感謝を述べた。村長はマレードの方を見ながら、彼女にも願いはないのかと尋ねる。マレードは昔幸せな結婚が出来る加護をもらった。既にピョートルと結婚できて幸せなので、他には何もいらない。ただ娘のエデルガルトに加護が頂けたら嬉しいと言った。
「我は人のための利他的な願いは叶えてやりたいと思う。娘に何の加護が欲しい?」
「ご存知のようにエデルガルトは純血種のセイレーンではありません。番を不老不死にすることは出来ないのです。愛する人を見つけてもその人の死を見送らねばならぬ運命です。どうか娘にも心から愛し愛される人と永遠に共に生きられる運命を与えて頂けないでしょうか?」
「Granted」
と村長は指を鳴らした。マレードは心から嬉しそうに御礼を言う。
村長は機嫌が良さそうだ。ふと机の引き出しから繊細に織られた布に包まれた細長い物体を取り出すと「これを与える」と手渡された。許可を取って開けてみると、現れたのは刃渡り二十センチ程度のナイフだった。鞘から抜いてみると、切れ味抜群といった雰囲気で刀身が淡く光っている。握ると体が熱くなりエネルギーが湧いてくるような感覚があった。
「エネルギーが湧いてくるか?」と村長に聞かれたので素直に頷く。村長は「そのナイフは我が世界を創る時に使用したものだ。この世界で切れないものはない。我が好む人間に力を与えるものだ。我が好まない人間が使おうとすると・・ふふ。どうなるか?まあ、いい。賢く使え」と説明した。私は恐れ多いと遠慮したが、マレードにも「せっかくの賜物だから」と勧められ、深くお辞儀をして再度御礼を言った。
マレードと私はその後皇宮に戻り、ピョートルとも話し合った結果、しばらくこの世界に滞在することに決めた。




