セリーヌの記憶
セリーヌは苦笑いしている。
「そりゃそうよね。私もこんな偶然ありえないと思っているわ」
レオンは驚きに言葉を失っているようだ。
「・・・・ど、どういうことだ?リュシアンは・・知っていたんだな?」
リュシアンはニヤリと笑いながら「二人だけの秘密だった」と頷いた。
セリーヌは覚悟を決めたように話し出す。
「私の場合はね、セリーヌとして生きてきた意識は完全に備わっているわ。だからリオのケースとは違うと思う。私はセリーヌとして生きてきて、セリーヌの意識と記憶しかなかったの。それが、ある日突然日本の女子高生の記憶が入ってきたの。でも、前世の記憶というには感情が伴わないのよ。誰か別人の記憶の一部を複写されているだけという感じ?まあ、前世の記憶っているのはそういうものなのかもしれないけど・・。十八歳までの記憶しかないのに病死とか事故死の記憶もない。あ、そうね、感覚的には記憶に写真を貼り付けられたって感じかしら?写真っていうのも女子高生の記憶で見たんだけど・・」
セリーヌは独り言のように呟いた。
(複写?ってコピーのこと?女子高生!?日本の!?お母さまが?!)
リオの衝撃は止まらない。
「レオン、学生時代に歴史の時間にコズイレフ帝国で起こったクーデタの話が出たのを覚えている?」
レオンが焦ったように答える。
「も、もちろん、覚えている。今日訊こうと思っていたことの一つはその時のことだから・・」
「そうなのね。あの時、クーデタで殺された皇帝と皇后の名前が出たでしょ?ピョートル・コズイレフとマレード・オロックリン。二人の一人娘がエデルガルト。エデルガルトをシュヴァルツ大公国へ亡命させたのがクリストフ・シュナイダー。クーデタを封じ込め、次の皇帝となったのがアレクセイ、その妻がナオミ。二人は賢帝、賢妃として人民から慕われていたわね」
レオンが「その通りだ」と頷いた。
セリーヌは話を続ける。
「私はその人たちを知っていたの。本で読んだから」
「「本?!」」
リオとレオンがハモる。
「授業中にね、あれ、何で私はこの人たちの名前を知っているんだろう?と思った瞬間、膨大な記憶が私の脳みそに流れ込んできたの。耐えきれなくて、思わず悲鳴をあげて倒れてしまったわ」
レオンが「その時のことは良く覚えている」と言った。
「それまで経験してきたお告げや預言とは全く違う種類のものよ。私に突然流れ込んできたのは日本に住んでいた女子高生の記憶。時代は1980年代後半。アズール文庫という青春小説のシリーズが大好きで沢山コレクションしていたわ。その中の一冊が『永遠の女神』と呼ばれる小説だったの。その本に書かれていることがこの世界のことだってすぐに分かったわ」
リオは思わず「あっ!」と声を出した。
(川島さんが言っていた本だ。そうか、川島さんは復刻版って言っていた!)
「リオ、大丈夫?」とセリーヌが心配そうに尋ねる。
「だ、大丈夫です。その本のことは私も聞いたことがあったので驚いただけです」
「そうなのね。その本ではコズイレフ帝国に召喚された日本人女性が主人公だったの。それが、ナオミ。本間直美という女性手品師だったの」
「女性手品師?!」リオが驚くと、「それは何だい?」とレオンは怪訝そうな顔をしている。
「この世界にはいないんですね?色々なマジックショーを見せてくれるエンターテイナーです。魔法じゃないけど魔法みたいなことを舞台で見せるので、マジシャンとも呼ばれていました」
リオが説明すると、レオンは首をひねる。
「日本には魔法がないんだろう?魔法じゃないものを魔法に見せるってどういうことだい?」
「すみません・・まずお母さまの話を聞いていいですか?」
リオが頼むとレオンは慌てて「すまない。もちろんだ」と呟いた。
「ごめんなさい。お母さま、続けて下さい」
セリーヌは気にした風もない。にっこり笑って話を続ける。
「その本の舞台はコズイレフ帝国だったの。コズイレフ帝国にはセイレーンの村があって、皇帝は代々そのセイレーンのコミュニティを『飼って』いたの」
「飼う?」
「セイレーンの村は完全に隔離された場所にあるの。誰も侵入できない強い結界が張られていて、一度も解かれたことがない。唯一その村へ転移することができる秘密の『転移の間』が皇宮内部にあるんだけど、皇帝と皇后以外は誰も入ることが許されていないの」
(なるほど。お母さまはその本で知っていたからコズイレフ帝国にセイレーンの村があると言っていたのね)
「セイレーンの村には毎月一度だけ、食糧や必要物資を皇帝が直接転移させていたの。国家機密だから他の人にはほとんど関与させなかった。セイレーンの人々は特に情報を望んでいたので、物資の中には常に新しい本が入っていたわね。人間はセイレーンの村の村長が許さない限り村へ転移することは出来なかった。セイレーンはただ平穏に静かな毎日を過ごすことだけが望みだったから」
レオンが「今でもそうなんだろうか?」と首を傾げる。
セリーヌは頷く。
「多分ね。何百年何千年もそうやって生きてきたの。帝国皇帝はセイレーンが望む安全と不自由のない平穏な生活を提供してきたわ。代わりに皇帝は人身御供をセイレーンから受け取るの」
「人身御供?」
(何だ?穏やかじゃないな)
「セイレーンの村ではほとんど子供が生まれないわ。せいぜい何十年に一度とか、百年に一度とか。皇帝はセイレーンの望むものを提供する代わりに、赤ん坊が産まれたらその赤ん坊を手に入れることができたらしいわ」
(・・・うわぁ。引くわ。なんだそれ?赤ん坊を取り上げるの?そんなの許されるの?)
「そしてクーデタで殺害された皇后のマレード・オロックリンもそうやって皇帝に差し出された赤ん坊だったの」
ガタンとレオンが立ち上がる。顔が蒼白だ。
「ま・・・まさかリオも・・・?!」
「さすが話が早いわね。でも、もう少し待って。私の話を聞いてくれる?」
セリーヌの顔を見て、頷きながらレオンが再び腰を掛ける。
(私が何だろう???)
「当時の皇帝ピョートルは帝国内部の権力争いに嫌気がさしていた。二十歳になったばかりの新皇帝はどうやったら愚かな権力争いを止めさせられるか考えたのよ。そして、自分が永遠の若さと命で皇帝の座を維持すれば、後継者争いも起きないし国が安定するだろう、と考えたのね」
(そうだろうか・・・?長すぎる権力は腐敗を生むと思うけど・・)
「人それぞれ考え方が違うからね」
またリオの考えを読んだのだろう。セリーヌが宥めるように言う。
「ピョートルはたまたま妊娠している夫婦がセイレーンの村にいるのを知って、村長と交渉したわ。絶対にセイレーンの娘を幸せにすると約束するから、もし生まれてくる子供が女の子だったら結婚させて欲しいと願ったのよ。村長は夫婦に打診して、何故か分からないけどその夫婦も同意したの。皇后の座に目がくらんだのかもしれないけど、彼らは特に反抗もせずマレードを差し出したらしいわ。三歳になった時にマレードは皇宮に上がり、皇帝はマレードを心から愛したの。マレードが十八歳になった時に皇帝と結婚して、仲の良い夫婦になったのよ。ピョートルも約束を守って、他の女性に目をくれることもなく一途にマレードを愛したわ」
レオンの顔色は益々悪くなっている。大丈夫かな?
「二人の間にはエデルガルトという娘も産まれた。三人はとても幸せだったの。ところが、永遠に権力の座に届かないことに絶望して、なりふり構わず権力を得ようとする人たちが現れたのよ。ピョートルの弟パーヴェルはピョートル暗殺計画や謀反を企んで、それが成功してしまったのが例のクーデタなの。クーデタを影で操っていたのは謎の魔術師で、クーデタを切っ掛けに大きな戦争を起こそうと企んでいた」
「魔術師・・・」
レオンとリュシアンが考え込む。
「ピョートルとマレードは殺されたわ。当時クリストフ・シュナイダー伯爵はシュヴァルツ大公国の大使としてコズイレフ帝国の帝都に駐在していたの。クリストフはエデルガルトを救出して大公国へ亡命したわ。そこで二人は結婚したの」
(うん、何かストーリーは分かったけど、本間直美さんはどう絡んでくるの?)
リオの疑問を察してセリーヌが苦笑する。
「ごめんなさいね。一冊の本のストーリーをまとめるのは難しいのよ」
「そうですよね。すみません・・。続けて下さい」
「パーヴェルがクーデタを画策していた時に、密偵をセイレーンの村へ送ったの。セイレーンには特殊な能力が備わっているという伝説があったので、マレードに皇帝暗殺を邪魔されないように情報を集めたかったのでしょうね。密偵は物資の箱の中に潜り込んで、物資と一緒に村へ転移したそうよ」
セリーヌの話は続く。
「密偵は村長の家に忍び込んだの。村長はこの世のものとは思えないほどの完璧な美貌で、輝く銀髪を腰まで垂らしていたそうよ。赤い瞳は慈悲深そうにも酷薄そうにも見える不思議な雰囲気を持った男性だった。村長は机の上に大きな箱状の機械を置いていてね。そこには動く人間や景色や色々不思議なものが映し出されていたらしいの。中でも密偵が興味を持ったのは、見たことのない武器を持った多くの兵士や、乗り物にもなる巨大な武器を使う戦いの場面だった」
(え・・・・それって・・・?テレビ?今はほとんど存在しない分厚いブラウン管のテレビ?)
「密偵はすぐに村長に見つかってね。村長は全然驚いた様子も怯えた様子も無かったわ。淡々と何故ここに来たのか聞いただけ。不思議と密偵は嘘がつけないような気持ちになって正直に『皇帝暗殺計画のために来た』と答えたの。『今の皇帝では国がダメになる。大義のためだ』と」
リオはまだテレビのことを考えていたが、ちゃんと話を聞こうと脳を集中させた。
「村長は『The road to hell is paved with good intentions』と答えて、大義があっても本質を見極める目が無い限り、その道は地獄へ向かうと言ったのよ」
(昔、英語の授業で聞いたことがあるフレーズだな・・。何だっけ?『地獄への道は善意で敷き詰められている』だったかな?)
「密偵は村長の言っていることは良く分からなかった。ただ、その四角いものは何なのか村長に聞いたわ。村長は『これは別な世界から持ってきたものだ』と言ったの。『情報収集するにはこれに勝るものはない』と言ってね」
(テレビか・・・確かに当時はそうだったのかもしれない。まだiPadとかない時代だったしね・・)
「密偵は『そこに見える武器はその世界に存在するものか?』と聞いて、村長は『そうだ』と答えたわ」
(まあ、戦車とか・・銃とか、テレビに映る時はあるからねえ・・)
「密偵は別な世界に行けばすごい武器が手に入るという情報を持って皇宮に戻っていった。村長が指を鳴らした瞬間に密偵は何もない平原に送られたけど、何とか自力で皇宮に戻ったらしいわ」
(別な世界って・・・?)
「密偵はパーヴェルにそれを報告したの。セイレーンの伝説の中に別な世界の話はたまに出てきたのよね。パーヴェルたちは古い文献を調べに調べて、別の世界に通じる魔法陣を作ったの。謎の魔術師も協力したらしいわ。そして別な世界への道が開けて、同じ密偵が別な世界に送られたの。その武器とやらを見たことがあるのはその密偵だけだったからね」
(でも武器って・・・そこらに転がってるもんじゃないけど・・・)
「密偵は別な世界に辿り着けたけど、一定時間内にまた魔法陣に戻って来ないと永遠に帰れなくなってしまう。焦って武器を探したけど、全く見つからなかったの。時間はどんどん失われていく。そこらの建物に忍び込んでも、武器なんて見つからない。そんな中、ある建物に入ったら大勢の人たちの前で魔法を使っている女の人がいたの。それが手品師の本間直美さんね。彼女の手品は密偵が見たことのない素晴らしい魔法に見えたの。だから、ステージが終わった直美さんを誘拐して、コズイレフ帝国に連れ帰ったのよ」
リオは唖然として開いた口がふさがらなかった。
(直美さん・・・なんて災難な・・・)




