ご都合主義、に非ず
ベビーシッター研修の教案、教材、カリキュラムは思っていたよりも早く準備が終わった。集中できたせいで効率が良かったからだと思う。
ベビーシッター研修が始まる前に少し時間ができたので、レオンがセリーヌとリュシアンに例の話をしてみようと提案した。
リュシアンはエレオノーラが簡単に国境を越えられたことや、ミハイル・ブーニンと共に幽閉中であるセルゲイが自由に動き回っていることでトリスタン国王に厳重に抗議したそうだ。国の監視体制に穴があるのは明らかなので現在抗議のストライキ中らしい。
リュシアンが王宮に出仕しないとどれだけ作業が滞るか想像がつくだけに、トリスタン国王や事務官の皆さんが気の毒になるけれど、リュシアンは頑として説得を聞き入れない。
「愛娘も家にいるのに王宮に行ってたまるか」と今週はずっと休みを取った。
という訳で、リオはセリーヌ、リュシアン、レオンと共に居心地の良いソファに身を任せている。お茶を給仕した侍女が出ていくと、リュシアンはレオンに向かっておもむろに口を開く。
「レオン、それで大事な話というのは何だ」
「いくつかあるんだ。まず一つ目はリオの特殊能力のことだ」
セリーヌは物問いたげにリオを見た。
「リオには特殊能力がないって前に聞いたんだけど・・・」
リオは頷いて
「そ、そうなんです。私に特殊能力があるとはとても信じられないんですが・・」
と返事をする。
レオンは否というように首を振った。
「医療に関してはリオには恐ろしいほどの力がある」
「医療?」
リュシアンは怪訝そうな顔をしている。
レオンは大きく頷き、リオがiPS細胞のコンセプトで少女の手首を再生した話をした。
「・・・・さ、再生・・・?手が生えてきた・・・?切り離された手を手首に元通りにつなげるのではなく・・か?」
リュシアンは茫然自失として口をあんぐり開けている。セリーヌも呆気に取られている。
(え、そんなに驚くことなの?)
「そうだ。全く新しい手首が傷口から生えてきた」
「リオ、何故そんな力があることを俺たちに話してくれなかったんだ」
リュシアンの剣幕にリオは肩をビクッと震わせた。
(そんな大げさなことなの?)
セリーヌはリオの肩を抱いてぽんぽんと背中を叩く。
「大丈夫よ。リュシアンは怒っているわけじゃないの。ただ、心配なのよ。常識では考えられないような魔法だから・・」
「そうなんですか・・・?」
「そうよ。魔力量が沢山あれば、治癒魔法で切れた手首をつなげることは可能よ。怪我をしたら、傷にある細胞の再生を促進することで治癒もできる。でも、新しい手首を作り出すことはできない。魔法はね、何かに働きかけることはできるけど、無から有を作り出すことはできない。無い手首を生み出すことは不可能なはずなの」
セリーヌの顔をじっと見る。
(ホントに・・・?!)
「だから、貴方が無から有を作り出せる魔法使いだとしたら、その利用価値はものすごいでしょうね。利用したい悪者は次から次へと貴方を狙うと思うわ」
セリーヌの言葉にリオは愕然とした。
「例えば、一滴の血から人間を再生することも理論上は可能だということだろう?」
リュシアンの言葉にレオンは頷いて
「やっぱりそれに気がついたか。セイレーンの禁忌の一つだ」
と言いながら腕を組む。
「しかし・・・セリーヌは純血種だが、そんな魔法を使うことはできないだろう?何故リオだけ・・?」
リュシアンはまだ信じられないようだ。セリーヌの顔も蒼褪めている。
「それだけじゃない」とレオンはゼナントカ病(舌小帯短縮症)だったソフィーの話も始めた。
「・・・リオは私が全く見たこともない魔法を使って、舌小帯の切除手術をしたんだ。指先から水を発して、患部を冷やしつつ舌の下側を0.001㎜単位で少しずつ削っていった。切ると同時に治癒魔法で皮膚を再生していく。攻撃魔法で皮膚を切ることは出来るし、治癒魔法で皮膚を再生することも出来る。しかし、あんなに細かい調整が出来る魔法は聞いたことがない」
(ああ、前世のウォーターレーザーをイメージしたからね・・・。うん、確か私が使っていたレーザーはペネトレーションが一番浅くて0.002㎜だった。目視だけで大体合ってる。すごいなレオン様)
「しかも、手術の前に自分の手に魔法をかけて、殺菌をしたんだ」
「え、洗浄魔法の応用で誰でもできるのでは?」
リオは思わず言った。
(トイレで使っている魔法だし誰でも出来るよね?)
レオンは首を振りながら言う。
「ざっくりとした洗浄魔法とは精度が違う。誰でもできるんだったら浴室で体を浄める必要はないじゃないか?君もわざわざ歯を指できれいにする必要ないよね?」
(あ?!恥ずかしながらそれには気がつかなかった。魔法で歯磨きができる?)
「やってみてご覧」
レオンが少し挑発的に言う。
(えーっと・・・ここで歯磨き?)
「ここでは恥ずかしくて・・・」
セリーヌは「そうよ。淑女に何を言うの」と責める。リュシアンもレオンを睨んだ。
レオンはちょっと慌てながら
「す、すまない。じゃあ、手の殺菌魔法をやってみてもらえるかい?」
と頼んだ。
「はい。分かりました」
(簡単にできるはず。・・・・が、できない。出来ているのか出来ていないのかは感覚的なものだけど、舌小帯切除の時は確実に出来ていた。でも、今は・・・出来ている感じがしない。いつもみたいな淡い光も出ない)
「なんで・・・?」
呆然とレオンを見つめる。レオンは「やっぱり」と頷く。
「魔法は細かい調整が難しいものなんだ。例えば、手を殺菌するというのは皮膚表面の細菌やウィルスだけを完全に除去するものだろう?例えば皮膚に必要な水分はそのまま残して」
(確かに・・・)
「リオは細菌やウィルスをイメージできるから、それだけを除去できるのかと思ったんだが、それだけじゃないと思う。だったら、君の生活でももっとそういった魔法を活用できるはずなんだ。でも、日常生活では君の魔法は私たちのものと全く変わらない」
(歯磨きとか試したことはないけど、何となく魔法で出来そうにない・・・から試さなかったような気もする・・・。なんだそれ?って感じだけど)
『そういえばアニーには殺菌消毒魔法はかけられなかったな』と思い出す。
「リオは治療のために使う魔法となると、イメージしたものは全て可能になる稀有な才能を持っているんだ」
レオンは力強く断言した。
(ええ?!そうなの?)
「これらの症例だけじゃない。国家療法士試験の時、治癒魔法の実技試験で実際に怪我を負った患者に治癒魔法をかけたね?」
「はい・・・」
試験のためにわざわざ怪我をさせた訳ではない。怪我人がいる診療所に行って、実技試験だと説明して同意の上で協力してもらったのだ。
「今までに見たことのない治癒魔法だと試験官が驚いていた。完璧だと。治癒の効果も従来の魔法より遥かに大きい。試験官は君から治癒魔法を習いたいと言っていたくらいだ」
(え、そうだったんだ・・・。知らなかった)
「治癒魔法は、どれだけ治癒が出来るかという効果とどの範囲を治癒するかという制御の両方で評価する。治癒効果も通常の治癒士より遥かに大きいが、制御つまり治癒魔法をコントロールする能力が特にずば抜けていると言っていたよ。普通では考えられないレベルの素晴らしい才能だと絶賛していた」
(初めて聞く話ばかりです・・・)
セリーヌは不安そうにレオンを見つめる。リュシアンは黙って腕を組んだままだ。
「レオンはそれがリオの特殊能力だと思うのね?」
レオンは頷いてソファに座りなおす。
「そうだ。医療に特化した万能魔法だ。ただし、患者にしか効かない」
しかし、その時リオは矛盾に気がついた。
「で、でも、私は自分の手首を治癒できましたけど・・・?」
「君は怪我を負っていただろう?怪我を負っていたら、自分自身でも患者だよ」
(なるほど。自分が怪我をした時に治せないということではないのね)
「それからリオには語学の特殊能力もあると思う」
「「「語学?」」」
三人が声を合わせた。
レオンは苦笑してリオを見る。
「リオは特殊能力だと思っていないがね。リオは習ったことのない言語も完璧に習得している。読む聞く話す書く、全てだ。私は彼女に外国語を教える必要は全くなかった」
セリーヌはますます心配そうな顔つきになった。顔面も蒼白になっている。
(どうしたんだろう?)
セリーヌはリオの手をとってぎゅっと握りしめた。
「リオ、セイレーンというだけで人に狙われるのよ。更にそんなに素晴らしい特殊能力があると分かったら、どれだけの人間に狙われるか・・・。リュシアンも私もレオンも最善を尽くすけど、何より貴女が一番気をつけないといけないの。どうか無茶はしないで。何かする時は必ず私たちに相談して頂戴ね」
セリーヌの目は真剣だ。リオの手を握るセリーヌの手は少し震えていた。
「リオが狙われる理由は沢山ある。俺たちは今後も最大限の警戒を維持していくだけだ。リオ、セリーヌ。大丈夫だ。俺は絶対に自分の家族を守るから」
リュシアンが力強く保証してくれるのが頼もしい。
「セリーヌは自分の特殊能力のことをリオに話したかい?」
リュシアンの問いにセリーヌは「いいえ、何となく言いそびれちゃって。まだ話してないわ」と答えた。
(え、お母さまの特殊能力!?興味ある!)
セリーヌが頬に手を当てて大きく息をする。
「私の特殊能力はね。預言というか予知というかお告げなの」
「預言・・・?」
「そんなに都合良く自分が知りたい未来が見える訳じゃないの。100%確実かも分からないし、そんなに大した能力ではないと思うわ」
リュシアンは「いや、多くの危機を救ってくれた能力だと思うが・・・」と呟く。
セリーヌは哀しそうに首を振った。
「・・・ルイーズの時は何も無かったわ。・・ごめんなさい。昔話はいらないわね」
(ああ、お母さまはルイーズ様のことでまだ傷ついているんだ・・・。あの時ああしていれば防げたかもしれない・・という後悔は一生心を苛むものだ)
セリーヌは気を取り直して話を続ける。
「例えばね。あなたがアンドレの屋敷に現れる少し前に預言があったの。お告げっていうのはね、私の意思とは関係なく、突然勝手に口がしゃべりだすのよ」
(え!?イタコみたいな感じ?)
「具体的な言葉は忘れたけど、敵に捕まった籠の鳥が逃げて来るから助けてやれっていう内容だったわ。世界を救う鳥だからって。だから、あなたが現れた時に、シモン家では一致団結してあなたを守る準備が万全だったわけ」
(・・・そうだったんだ・・。でも・・)
「でも、私は世界を救えませんけど・・・」
「何言っているの?あなたの医療の特殊能力は多くの人を救うでしょうし、人を救うと世界を救うは同義なのよ!」
(・・・うーん、そうだろうか?私の能力が過大評価され過ぎている気がしてならない)
「セイレーンの純血種でもそれぞれ特殊能力が違うということだろうか?リオには預言の能力は全くないよね?」
レオンの問いにリオは頷く。
「セリーヌは学生時代それほど外国語が得意じゃなかったね?」
セリーヌは恥ずかしそうに頷いた。
「セリーヌが外国語の発音をする時はちょっと舌足らずになってあまりに可愛すぎて男は全員悶えたものだ。俺はセリーヌのそんな可愛い姿を誰にも見せたくな・・・うぐ・・」
セリーヌが慌ててリュシアンの口を塞ぎ、レオンに続けるように促した。
「セイレーンの純血種の特殊能力は人によって種類が違うようだ。二人しかサンプルがいないので分からないが、法則性は見出せない。しかし、ただの偶然なんだろうか?リオは前世で医師だった。この世界に来て医療の特殊能力が身につくなんて出来過ぎの気がするんだ」
レオンの言葉にリュシアンが素早く反応する。
(・・・あ、と思ったけど、いずれにせよ今日話すつもりだったもんね。結果オーライ、かな?)
「前世?」
「そうだ。リオ。二人に話しても構わないね?」
リオはリュシアンとセリーヌのもの問いたげな顔を見つめながら頷いた。
レオンはリオの複雑な状況を簡潔に分かり易く説明していく。フィオナの意識がこの体の中に見つからないということまで全て話してくれた。
(信じているけどちょっとだけお父さまとお母さまの反応が怖い・・)
レオンは話し終わるとふぅっと息を吐いて、すっかり冷めてしまったお茶を一気に飲んだ。
リュシアンとセリーヌの目はまん丸に見開かれている。
セリーヌは震える指でリオの頬を撫でた。
「だから、あなたは『リオ』なのね。何か重い秘密を隠して抱えているんだろうな、とは感じていたの。私たちにも背負わせてくれたらいいのに、って思ってた。だから話してくれて嬉しいわ。私たちを信じてくれてありがとう」
リュシアンも難しい顔をしながらうんうんと頷いてくれる。
リオの目尻からポロリと涙がこぼれる。
(・・・そうだよね。分かってた。お父さまとお母さまなら、そしてきっとアンドレ兄さまも、こんな私をそのまま受け入れてくれるだろうって。何で自分はあんなに憶病だったんだろう)
セリーヌはハンカチで優しくリオの涙を拭いた。
リュシアンがリオと目を合わせる。その瞳には真っ直ぐな愛情が籠められているのが分かった。
リュシアンとセリーヌは黙って顔を見合わせて頷いた。
そして、セリーヌが言う。
「私も日本に住んでいた記憶があるのよ」
それを聞いて咄嗟に「そんなご都合主義じゃあるまいし!」と叫んでしまった自分は悪くない、と思う。




