アニー
翌朝九時に受付に行くと、ちょうどサンが待合室の扉を開けたところだった。赤ん坊を抱いた若い女性が入って来る。
その女性は真っ直ぐ受付に来てリオの用紙に名前を書いた。「アメリ」と書いてある。
(もしかして初めて私の診療を希望してくれた患者さん!?やった!)
ドキドキしながらアメリに話しかけた。
「あ、あの・・は、は、初めまして。リオといいます。良かったら、あの、診療室にご案内します」
アメリは戸惑ったようにリオを見たが、黙ってついて来てくれる。当然赤ちゃんも一緒だ。
「あ、あの、患者はアメリさんですか?赤ちゃんですか?」
「私です」
「あ、わ、分かりました」
赤ちゃんが一緒だと診察出来るかな・・。誰か手伝ってくれる人はと目をさまよわせるとサンとバッチリ目が合った。
サンが近寄ってきて「どうしたの?」と聞く。
サンは男性だからやはり手伝ってもらう訳にはいかない。
小声で「アニーを呼んできてもらえる?」とお願いした。多分まだ二階にいると思う。
所在無げに待っていたアメリに微笑みかけて自分の診療室に案内した。
リオは昔から所謂つかみの会話が苦手だった。英語でいうスモールトークというか患者をリラックスさせるような日常会話が絶望的に下手なのだ。コミュ障という辛い記憶が甦る。
診療室の椅子に座るとアメリはキョロキョロと周囲を見回した。診療室はリオの好みで木目調のカントリー風にデザインされている。
『緊張するけど医師らしく堂々としよう』と自分に言い聞かせる。
「今日はどうしました?」
と尋ねるとアメリは恥ずかしそうに俯いた。
赤ちゃんは膝の上でママの胸にしがみついている。
「あ、あの・・そのおっぱいが・・胸が・・・痛くて」
『赤ちゃんがいると胸は診れないわね・・』と思っているとノックの音がした。
「どうぞ」と声を掛けると恐る恐るアニーが入って来る。
「あの、お呼びだと伺いましたので」
(ちょうど良かった!)
リオはアメリに「ちょっと待っててね」と微笑みかけた後、立ち上ってアニーに近づいた。
「診療の間、赤ちゃんを抱いていてもらってもいいかしら?」
アニーは戸惑いながらも頷いてくれる。よし!
リオはアニーの手に殺菌消毒魔法をかけようとする・・が、かからない。何故だ?仕方なくアニーに石鹸で手を洗ってもらうようお願いした。
「アメリさん、こちらのアニーさんに診療の間、赤ちゃんを抱いていてもらっていいですか?」
「あ、はい。でも、目の届くところに居て欲しいんですけど・・。私が見えなくなると泣くので」
「もちろん、お母さんとしては当然よね。アニーにはあそこの椅子に座って赤ちゃんを抱いていてもらうわ。それでいいかしら?」
部屋の隅にある予備の椅子を指さすとアメリは安心したように頷いた。
アニーは赤ちゃんを抱いて椅子に座る。赤ちゃんは特に泣きもせず黙って抱かれている。ママのことはじっと見ているけど。人見知りしない子で良かったわ。
アメリは赤ちゃんに笑いかけるとリオに向き合った。
「先生、あのこの数日、右のおっぱいがずっと痛いんです。ちょっと固くなった感じもあって・・」
「胸を見せてくれる?」
「はい」
と恥ずかしそうに胸を見せてくれる。
リオは自分の手に殺菌魔法を掛ける。ポーっとかすかに手が光る。今度は大丈夫だ。何でさっき出来なかったんだろう?
「触ってもいいかしら?」
アメリは頷く。
右の乳房を触診する。押すと痛い部分がある。乳房の圧痛ね。吸い切れなかった母乳が溜まって炎症を起こしかけているんだ。このまま放置すると乳腺炎になりかねない。まだ発熱もないから、今なら余裕で治せるだろう。
「右のおっぱいより左のおっぱいを頻繁に赤ちゃんに吸わせていませんでしたか?」
と聞くとアメリは驚いたように頷いた。
「右のおっぱいに母乳が残っていて、それが炎症を起こしかけているんです。私が詰まっている母乳を出るようにするので、すぐに赤ちゃんに吸ってもらっていいですか?」
アメリは赤ちゃんの方角を見て、リオを振り返り「お願いします」と言った。
リオは魔法を込めてアメリの右の乳房に手をかざす。乳腺の奥に詰まっている母乳を引っ張り出すイメージね。余裕余裕。光に包まれた乳房の先端から母乳が滲み出る。
アニーに目で合図すると赤ちゃんをアメリに返してくれた。
赤ちゃんはすぐにアメリの右の乳房に吸い付く。赤ちゃんはちゃんと分かってる。
十分後、赤ちゃんは満足したように乳首を離した。
アメリが目をパチクリさせながら右の乳房を触る。
「痛みが全く無くなった・・・。すごく柔らかくなって・・・」
リオは笑顔で「もう大丈夫」と安心させた。ただ、バランス良く両方の乳房で授乳することの大切さを説明して、今後は右五分、左五分と繰り返して、交互にバランス良く授乳するように指導した。
アメリは頭を下げて丁寧に御礼を言った後、事情を説明してくれた。
「うちは鍛冶屋なんです。私はもちろん雑用くらいしか出来ないんですけど、右手で作業をすることが多いので、どうしても左のおっぱいにいきがちで・・」
「鍛冶屋さんだと赤ちゃんを連れて作業場に行くのは危なくない?大丈夫?」
「そうですね・・・。主人が鉄を打つ時にも私が押さえてなきゃいけなくて、その時もこの子を抱いているんで、危ないなと思う時はあるんです。でも、誰にも預けられないし・・どうしようもなくて・・」
アメリは少し不安そうだ。
ベビーシッターとかはきっといないのよね。経験も知識もない人に大事な赤ちゃんを預けられないしね。何とかできないものかしら?
「そうね。それは仕方がないけど、もし何かあったらいつでも頼って下さいね。私は治癒魔法も得意だから」
「はい、エミリーからリオ先生がすごいお医者さんだって聞いて、正直半信半疑だったんですけど、本当だったって良く分かりました。先生は素晴らしいお医者さんです!皆に言います!」
「ありがとう。とても嬉しいわ。それからこの軟膏も乳首に塗ってみて」
とエミリーにも渡した保湿剤を渡して同じ注意を繰り返す。アメリもとても感謝してくれた。赤ちゃんがちゃんと吸着出来ていても、授乳中はどうしても乾燥しがちだからね。保湿は大事。
アメリは足取りも軽く帰っていった。
その後アニーに御礼を言おうと振り返ると、何故かアニーが泣いていた。
「あ、アニー。どうしたの?」
「な、何でもありません。も、申し訳ありません。失礼します」
部屋から出ていこうとするアニーを慌てて引き留める。何でもない訳ないじゃない!
アニーを椅子に座らせて、ハンカチを渡してからお茶を淹れる。気持ちを落ち着かせるカモミールと爽やかなミントだ。
アニーは申し訳ありませんと謝り続ける。何も謝ることなんてないのに。
「ね、まずお茶を飲んで」
アニーはおずおずとお茶を一口飲んで
「美味しい・・」
と息を吐いた。
「最近元気がないなと心配だったの。何かあった?ここでの勤務が嫌なら公爵邸に戻る?」
アニーはあたふたと首を振る。
「ち、違います。私はリオ様にお仕えすると決めたんです。公爵邸には戻りません」
「でも、何か辛いことがあるんでしょう?」
「いえ、もう勿体ないくらい大切にしてもらってます」
「・・・本当に?でもそしたら何を悲しんでいたの?」
アニーは再度落ち着きをなくして、椅子から立ち上がろうとする。リオは少し強めに言った。
「アニー、私はアニーを単なる使用人だと思っている訳じゃないの。大切な友達だと思っているわ。だから、ちゃんと話をして。友達として思っていることを聞かせて欲しい。何を言ったって大丈夫。何があっても友達だから」
アニーは椅子に戻り、ハンカチを握りしめた。
「・・・・・あの、自分が情けなくて・・・」
(え???)
あまりに意外な言葉に面食らった。
アニーはリオから顔をそらしつつも一気に話し続けた。また目に涙が滲んでいる。
「・・・・私はリオ様のために働けるのが喜びなんです。昼間は自由にしていいって言われたって、私はやることもないし、ずっとヒマで。役立たずって言われているみたいで。もっと役に立ちたいんです。さっき赤ちゃんを抱いていてって頼まれたのもすごく嬉しかったです。私でも出来ることがあるんだって思えたから。あんな風に患者を助けられるのはすごいです。私ももっとリオ様のお手伝いをしたいです!」
(あ・・・・なんか昨日までの私の心境とかぶる・・・。過剰労働を心配しすぎて、優秀なアニーにこんな思いをさせていたなんて。ごめんね、アニー)
「あの・・・勤務時間を変えたら解決するのかな・・?」
「いえ、私は出来たらリオ先生の診療のお手伝いをしたいです。また赤ちゃん連れの患者が来たら私は喜んで抱っこしますし、雑用でも何でもします。調薬とかも習いたいです。何か自分の技術を身に着けたいんです!役立たずにはなりたくないんです」
アニーの言葉に触発されて、リオは天啓のようなものを感じた。
(何かが閃きそうだ・・・。もしかしたら・・・)
「申し訳ありません。リオ様にこんなことを言うのは我儘だって分かっているんです。でも、友達としてって言って下さったので、本音を言わせて頂きました。解雇されても仕方がないと思っています」
アニーが深々と頭を下げる。
「ううん、アニー、言ってくれてありがとう。私ね、とても良いアイデアを思いついたわ」
「え!?」
「あのね、アニー。私ね、お父さまと国王陛下にお願いして『看護師』という資格を作ってもらおうと思うの」
突然の話に、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をするアニー。
「はい?」
「医師の診療を手伝ってくれる専門知識や技術を持った人間が必要なの。そのための資格よ。治療のサポートをしてもらう大切な役目なので、ちゃんとした勉強も訓練もしてもらう必要があるけど、興味ある?そしたら、私は喜んで教えるし。アニーはこの国の『看護師』第一号になるわ」
アニーは勢い良く立ち上がった。その目は興奮してキラキラ輝いている。
「私もリオ様のお手伝いが出来るってことですよね?やりたいです!是非やらせて下さい!」
握りこぶしが力強い。
「アニー、ありがとう。私もとても助かるわ。これから患者が増えるかもしれないし、誰かに手伝ってもらいたいな、って思っていたの」
アニーは興奮しすぎて震えている。武者震いか?
「是非!是非!お願いします!」
その時、躊躇いがちなノックの音がした。
返事をするとサンがドアを開けて「次の患者さんが来ましたけど・・・?」と告げる。
リオはアニーに「続きは後で話しましょう。また手伝ってくれる?」と尋ねた。
アニーはコクコクと頷いて「勿論です!患者さんを連れてきます」と出て行った。さっきの涙が嘘のように晴れやかな笑顔だった。
*****
結局その日は五人の患者さんが来た。軽い怪我や風邪だったけど、治癒魔法も使えたし、今までストックしておいた薬もようやく役に立った。久しぶりの充実感だ。
全員、エミリーから勧められたと言っていたので、やはり口コミの影響って大きいんだな、と感心する。
アニーは元々優秀で気が利くので、傍で手伝ってくれるととても有難かった。きっと良い看護師になると思う。何より患者さんと気さくに話をしてリラックスさせるのが得意だ。
夕食を食べながら『看護師』資格のことをレオンに相談すると、良い考えだと賛同してくれた。リュシアンとトリスタン国王にも話をしてくれると言うので安心した。
給仕をしてくれるアニーも嬉しそうだ。笑顔に充実感が漂っている。
しかし、レオンが
「でも侍女の仕事と看護師の仕事の両立は大変だろう?侍女をもう一人送ってもらう方が良いか?」
と言った瞬間、アニーが鬼の形相に変わった。
「私は一人で大丈夫です。リオ様のお世話を私以外の人間にさせるつもりはありません!」
と言い切る。
レオンがオドオドと「わ、分かった」と言うが、確かに過剰労働は心配だ。
「忙しすぎて大変だと思ったらすぐに言ってね。勤務条件の変更はお父さまと話し合って、お給金を上げてもらうようにするから」
「私はまだ看護師として働けるほどの知識も技術もありません。未熟者で訓練を受けている段階なので、昇給は必要ないです」
「でも・・・それは・・・あまりに申し訳なくて・・」
アニーがギロリと睨みをきかせる。アニー、こんなキャラだったっけ?
「大丈夫です!」
と言い切るアニーに、リオとレオンはただ頷くだけだった。




