事後処理
その日の夕食のテーブルで、フィオナはアンドレの隣に座っていた。ちょっと気まずいかなと不安だったけれど、いつもと変わらない態度で明るく喋ってくれるアンドレは本当にいい人だと思う。
リュシアンと先生は国王トリスタンと長い長い話し合いをしたらしい。今回のブーニン侯爵騒動の後始末と今後についての議論だ。決して簡単ではない。
リュシアンは珍しくセリーヌではなくフィオナを見ながら話をしてくれた。
「フィオナ、事件の顛末について君は聞く権利があると思う。簡単に説明するけどいいかな?」
「はい。お願いします」
まず、ミハイル・ブーニン侯爵と執事セルゲイは意識を取り戻して、普通に生活できるまで回復したらしい。表向きは毒物を扱った際の事故として片づけられた。先生が上手く硫化水素について説明したのだろう。
ミハイルはセイレーンの誘拐・監禁だけでなく、敵国(コズイレフ帝国)への利益供与、人身売買、違法取引など多くの罪状があったので重い処罰は免れない。
しかし、ミハイルは現国王の従弟である。またコズイレフ帝国貴族の血を引くミハイルを死刑にした場合、帝国がそれをプロパガンダに使う可能性は否定できない。
そのため極刑ではなく爵位を息子のマキシムに譲り、権力を全て剥脱され遠隔地に配流されることになった。余生は監視下で過ごさなくてはならない。隠居という名の幽閉だ。忠実な侍女アンナと執事セルゲイは侯爵についていくらしい。
大嫌いな男だったけど、それでも死ななくて良かった。先生に殺人の罪を背負わせたくはない。だから、きっとこの結末が最善だったんだと思う。
先生は若返ってしまい、今更アレックス・エヴァンズとして生きていくには無理がある。
まあ、そりゃそうだ。セイレーンの存在も表沙汰にしたくない。
なので、先生は死んだことにして新しい身分が用意されることになるそうだ。前世でもアメリカの司法ドラマでそんなのがあった。証人保護プログラム。でも、先生はそれでいいのかな?家族は大丈夫?と少し心配になる。
一番の問題はコズイレフ帝国との関係だが、表面上は何も起こっていないので不可侵条約も現状維持されている。一見平和に見えるが、いつ牙を向けてくるかは予断を許さない。
現在コズイレフ帝国に駐在している大使は優秀な外交官だが、そろそろ任期が切れる。また、本人も帰国を希望している状況だ。戦後の難しい時期を無事に乗り切ってくれた外交官だから希望を聞いてやりたいが、後任をどうするかはまだ決まっていないらしい。
フィオナ自身の処遇についてはシモン公爵家の養女にならないか?と打診されている。正直、嬉しすぎて泣きそうだった。
ただ、厚かましすぎるのではないかと不安もある。『私なんかが…』っていう気持ちが拭えない。
「フィオナ。この話を受けたら図々しいかも、とか思っていない?」
セリーヌは相変わらず人の気持ちを読むのが上手い。
「え、あの・・だってそうじゃないですか・・?私なんてどこの馬の骨かも分からないのに・・」
リュシアンとアンドレが同時にテーブルを叩く。おおっ、びっくりした。
「フィオナが僕の妹になってくれたら、ものすごく嬉しい。セイレーンの純血種でどこの馬の骨なんてありえないよ」
リュシアンも頷く。
「フィオナ、私は娘がいてもいいなぁ、と思ったことがあるんだよ。まあ、そこの頑固者が義理の息子になるというのは気持ちが悪いし、遺憾だが仕方がない。受け入れてやってもいい」
先生は深くため息をついて「こっちの台詞だ」と呟いた。そして、フィオナに微笑みかける。
「私は賛成だよ。当主はいけ好かないが、シモン公爵家は名門だし君にとっては良い後ろ盾になるだろう」
何となくだけど、この話は既に先生とシモン公爵家の間で合意されているのかな、って印象だ。セリーヌを見ると「私のこと、好きって言ってくれたわよね。フィオナ?」と目をキラキラさせている。こうなったら答えは一択だ!
「不束者ですが、どうか宜しくお願い申し上げます。皆さんの家族にして頂けるなんて夢のようです。本当にありがとうございます」
と頭を深く下げた。
「じゃあ、俺のことは『父上』か『お父さま』と呼ぶんだぞ。『お父さま』の方が親しみやすいか?」
「僕は『アンドレ』か『お兄さま』と呼んで」
「私は『母上』でも『ママン』でも『お母さま』でも!」
自分を愛してくれる家族ができると思うと胸がジーンと熱くなった。
先生がゴホンと咳払いする。
「養女にするのはこの世界での強い後ろ盾をつけるためで、私としても異存はない。しかし、フィオナも名前を変えた方が良いと思う」
「え?!」
フィオナが驚くと先生は笑顔で頷く。
「リオにしたらいいんじゃないか?」
セリーヌは人差し指を顎に当てながら小首を傾げた。
「フィオナがいいならいいわよ。帝国はまだフィオナを狙っているかもしれないから、その方が安全かもね。でも、なんでリオなの?」
リュシアンもアンドレも興味深そうにリオを見る。
リオはかぁぁぁっと赤くなった。
「その、先生には二人だけの時はリオって呼んでもらっていて・・・」
「あらあらまあまあ、二人だけの秘密の名前?初々しいわねぇ」
セリーヌはそれ以上何も訊ねなかった。何か秘密があることに、きっと気がついているはず。それでも何も言わないでいてくれるのがセリーヌの優しさなのだと思う。
「分かったわ。じゃあそのように取り計らってね。リュシアン?」
「ああ、問題ない」
リュシアンは素っ気なく言う。『珍しいな、セリーヌ様に対して無愛想なんて』と思っていると、リュシアンがセリーヌの手を取り
「俺たちも二人だけの時の秘密の名前を考えよう」
と言い出した。セリーヌも苦笑いだ。
「じゃあ、僕もこれからはリオって呼ぶね?」
アンドレが優しく微笑みながら頭を撫でてくれる。先生は苦虫をかみつぶしたような顔で睨んでいるけど、どこ吹く風だ。
リュシアンはその場の雰囲気を変えるように話題を変えた。
「正式に公爵家の一員になると、一応お披露目の夜会を開かないといけないんだが」
とーっても面倒くさそうにリュシアンが言うと、セリーヌも嫌そうにため息をつく。
「今回は止めない?親戚を呼ぶとなったらエレオノーラが来るわよ」
その名前を聞いて男三人が震えあがった。
(え、先生もその人を知ってるの?)
「そ、そうだな・・・やめた方が良い。どこの娘だと詮索するだろうし、しつこいからな。万が一若返ったアレックスを見たら・・・」
リュシアンの言葉に先生の顔色がどんどん悪くなった。どんな人なのか、とても気になる。
「リオは養女になったけど病弱なので、社交界にはデビューしないってことにしたら?リオは社交界に興味ある?」
セリーヌの言葉にリオはブンブンと首を横に振りまくった。興味ないどころかコミュ障なので社交界なんて苦痛でしかない。
「いいえ、全く。社交と名のつくところは遠慮させてください」
「そう、良かったわ。アレックスは名前と身分を変えても気づく人がいるかもしれないので、ブーニン領と王都から離れる予定なの。シモン公爵領でも無料の庶民向けの診療所を作る計画があって、アレックスにその運営を任せようと思っているのよね」
(えええっ、そんな楽しそうな話が!?)
ウズウズしているリオをセリーヌは面白そうに見つめる。
「フィオナも一緒に行く?」
セリーヌの言葉に万歳三唱。やった――――!
「はい!もちろんです!私も先生のお手伝いをさせて下さい!」
「私は最初からそのつもりだよ」
先生は落ち着いているので、これも既に知っていた話なのだろう。ちょっと悔しい。
「診療所のこともリオに説明しておいてくれ」
とリュシアンは言い、うっとりとセリーヌを見つめながらその手を取った。そして、セリーヌを抱きかかえるとハヤテのごとく去っていく。話は終わったということなのだろう。
アンドレは苦笑しながら「おやすみ」と言って普通に去っていった。
リオは先生と顔を見合わせると、何だかおかしくて笑ってしまった。
先生に「あの、診療所の話って・・・?」と聞くと「疲れているから明日にしよう」とリオを抱き上げて部屋に戻る。
リュシアンといい、これはデフォなのか?




