涙
シモン公爵邸には王宮に一瞬で行くことができる特殊な『転移の間』がある。非常に堅牢なセキュリティで守られた特別な部屋である。
フィオナ、セリーヌ、リュシアンに続いて護衛の騎士たちが『転移の間』に集合した。リュシアンが指を鳴らした途端に、頭がぐにゃりと変形し体が浮遊するような感覚を覚える。
ふと気がつくと壁紙の色が違う。既に全員が王宮にある『転移の間』に転移していた。シモン公爵邸と王宮を直通で繋ぐように魔法で設定されているのだ。
フィオナは魔法を使っていない。リュシアンが全員を一斉に転移させたようだ。
「これが普通と思っちゃいけない。リュシアン様の尋常じゃない魔力量だからできるんだよ」と騎士の一人に耳打ちされる。金髪碧眼の騎士を見上げると『どこかで見たことがある顔のような・・・』と不思議な既視感を覚えた。気のせいかな・・・。その騎士はフィオナに悪戯っぽくウィンクをした。
王宮に来るのは初めてなので、キョロキョロと辺りを見回してしまう。王宮の『転移の間』は、王宮内で唯一転移魔法を受け入れている場所らしい。ここに転移するためには特別な許可が必要で、王族か宰相一族くらいしか許されていないそう。まあ、警備のことを考えたら当然だよね。
『転移の間』には国王の侍従が待っていて、彼に先導されて『謁見の間』に案内される。セリーヌの陰に隠れるように歩いていると、アンドレが現れて自然に合流した。フィオナにも笑顔で会釈する。
アンドレが何かをリュシアンの耳に囁いた。リュシアンは無表情で頷くと、そのまま歩き続ける。アンドレも当然のように一行に加わったが、全員背が高いせいか歩くのが早い。フィオナは追いつこうと必死になる。セリーヌも早歩きになっていたが、リュシアンが振り返ってすぐに足取りを緩めた。安定のセリーヌ第一主義だ。
*****
謁見の間に到着すると侍従が恭しく扉を開けてくれた。護衛の騎士らは扉の外側で待つらしい。リュシアン、セリーヌ、アンドレ、フィオナの順番で謁見の間に入る。
謁見の間は思っていたほど大きくはなかった。豪華なシャンデリアに赤い絨毯は想像した通りだが、部屋の隅に小さなテーブルがあり上品な椅子がそれを取り囲んでいる。天井に描かれているのは繊細で優美な紋様だ。
謁見の間に通されたフィオナたちは国王トリスタンが現れるまでは礼の姿勢で待つ。先生から教えてもらったマナーだ。微かなざわめきが聞こえ、国王らしき人が現れた。
(早いなあ。十秒も経ってない気がする)
トリスタンは厳かに「面を上げよ」と告げた。
おお、映画で見た通りだと内心感動する。
リュシアンは堂々と頭を上げトリスタンの正面に仁王立ちになり、苛立った様子で舌打ちをした。
(え・・舌打ち?)
「セリーヌが来ているのにこんなに待たせるなんて!」
トリスタンは鷹揚に侍従に合図をする。その人がまた別の誰かに合図をすると美しい王宮侍女の方々が華やかにティーワゴンを押して入ってきた。リュシアンのことは全員が無視している。
無視されても全くへこたれないリュシアンは相変わらず偉そうな態度だ。メンタルの強さが羨ましい。
「陛下、常識では最初にきちんと挨拶をしてからお茶の時間ではないのでしょうかね?」
「お前に常識を語られるとは思わなかったな」
トリスタンはため息をつきながらも、ゆったりとフィオナに近づいて穏やかな笑顔を向けてくれた。
「君がフィオナ嬢に違いないね」
フィオナは先生に習って以来一度も機会がなかったカーティシーを実践した。ふらつかないように、と先生が腰に手を添えてくれたのを切なく思い出す。
「噂通り愛らしいご令嬢だね。茶色い髪もお似合いだよ」
ちなみにフィオナは茶色の鬘をつけている。さすがに丸坊主で王宮に来る度胸はなかった。目の色はセリーヌから違った色に見える魔法を教えてもらったので、今日は茶色の目に見えるはずだ。
セリーヌも魔法を使って、髪の色をブロンドに、目の色を青に変えている。シモン公爵夫人は純血種のセイレーンとして既に有名人だけど、その特徴である銀髪と赤い瞳はあまり人に知られたくないのだとか。美しい金髪を高く結い上げてシンプルな蒼い玉の髪飾りをつけている。ドレスも青地に白いレースがあしらわれた上品なAラインだ。リュシアンの目と髪の色に合せたのだろう。大人の独占欲ってすごい、とフィオナは感心した。
「拝謁の栄誉を賜り、恐悦至極に存じます」
フィオナは伏し目がちに挨拶をした。確か身分が上の方の目を真っ直ぐ見てはダメだったはず。
「良い。無礼講を許す。フィオナ嬢と話をするのを楽しみにしていた」
「ここにはセリーヌも来ているんですが?」
リュシアンは相変わらず傍若無人で安定のセリーヌ第一主義だ。兄弟だからいつもこんな感じなのだろうか?
「分かっている。セリーヌ、アンドレ、久しいな。よく来てくれた。歓迎する」
セリーヌは優雅にカーティシーをする。さすがだ。アンドレの礼も典雅で、美しい一族だと見惚れていると、リュシアンが早速セリーヌの腰に手を回してイチャイチャし始めた。
「リュシアン、今日は真面目な話があるんでしょう?こんなところで無駄にする時間はないわ。陛下にもあんなに失礼な態度を取って。そんなことしてると寝室を別にするわよ?」
セリーヌがピシリと言い放つと、リュシアンはあっという間に茹でた青菜のようにしおれて真っ青になった。
セリーヌはリュシアンを無視して、トリスタンに対して頭を下げる。
「誠に申し訳ありません。後できちんと躾けなおしておきますわ」
「頼んだ。リュシアンの手綱を握れるのはセリーヌだけだからな」
二人で顔を見合わせて微笑みあうとリュシアンは不機嫌そうに二人の間に割り込んだ。
(子供か!)
突っ込みを入れたくなるほど大人げないリュシアンだが、この国を支える辣腕宰相であるのは間違いない。
「さて、堅苦しい挨拶はここまでだ。話したいことが山ほどある」
そう言ってトリスタンが椅子に座ると、他の面々も用意された椅子に腰かける。テーブルには素晴らしいアフタヌーンティが供された。
「今日来てもらったのはアレックスのことだ」
フィオナは緊張した。何も聞き漏らすまいと真剣にトリスタンを見つめる。
「ミハイル・ブーニン侯爵の屋敷で大きな騒動が起こった。原因は不明だが、ミハイルと執事が突然昏倒したらしい。アレックスも意識不明の状態で保護された。三人は現在王宮で治療を受けている。ブーニン侯爵が不在のためマキシムが暫定的に当主代行となり万事を仕切っている。それで侯爵邸での混乱は収まるだろう」
「あの、先生はご無事ですか?」
フィオナがおずおずと質問するとトリスタンは優しく頷いた。
「アレックス、ミハイル、執事のセルゲイが意識不明で運び込まれたが、王宮医師団の診断によると三人とも命に別状はない。ミハイルとセルゲイはまだ意識不明だが、アレックスは今朝方に意識を取り戻した」
フィオナは持っていたティーカップを落としそうになった。
「先生が目を覚まされたのですか?」
トリスタンは複雑な表情を浮かべている。
「アレックスは、自分を罰して欲しい、自分は許されざる犯罪者だと言い張っていてね。普通の部屋で治療していたんだが、今は地下牢にいる。地下牢に入れないと死ぬと医師を脅して・・・。本人の希望で、首輪をつけ鎖につながれている」
フィオナは呆気にとられた。
リュシアンが立ち上がってイライラと歩き回る。
「あいつは何も分かっていない!フィオナの気持ちも俺たちの気持ちも!」
「落着け、リュシアン。アレックスは長い間、罪の意識に苦しんできたんだろう。アレックスに面会した時に、フィオナ嬢は全く恨んでいない、むしろアレックスを庇っている、情状証人になりたいとまで言っている、と説明したんだが、頑なに首を振るばかりでね。厳罰に処して欲しいそうだ。処刑されないなら一生地下牢に監禁されるべきだ、と言い張っていた」
トリスタンの表情は悲しげだ。
「それから・・・フィオナ嬢には一生会わないと言っていた」
フィオナにとっては爆弾だった。
二度と先生に会えない・・・?
一瞬で全身の感覚が麻痺したようだった。血の気が引いていくのが分かる。
今度こそティーカップをソーサーごと取り落として、ガチャンと割れる音がした。
慌てて「申し訳ありません。大変な粗相を・・」と立ち上がると、すぐに侍女が来て片付けてくれた。新しくお茶を淹れてもらうが手をつける気にもならない。混乱して頭が働かなかった。
トリスタンの方を向いてフィオナは問いかけた。
「陛下、なぜ先生は私に会わないと仰ったのでしょうか?」
我慢できなくて声が震える。指もブルブル震えているのが分かる。アンドレがそんなフィオナの手をそっと握った。
「会いたくないと言っていた」
思いがけない言葉に目の表面に涙の膜ができるのを感じた。気がついたら涙がぽろぽろと頬を伝っている。
ぼやけた視界にリュシアンが拳を握りしめるのが映った。まだウロウロと歩き回っている。
セリーヌがガチャンと茶器をテーブルに置いた。セリーヌの手も震えている。
「私の可愛いフィオナを泣かせるなんていい度胸ね。絶対に許さないわ」
セリーヌは震える拳を握りしめて立ち上がった。そして、アンドレを突き飛ばす勢いでフィオナに近寄り、ぎゅっと抱きしめた。フィオナの頭を撫でながら「大丈夫。私に任せて」と優しく言う。セリーヌの温かい胸の中で、フィオナは泣き叫んだ。
「わ、わた・・わたし、先生が好きです!先生に会えないなんて嫌です!先生がいないと・・・私は生きていけない・・・」
トリスタンは難しい面持ちで溜息をつく。
「ブーニン侯爵邸で何が起こったのかを知りたいのだが、アレックスはそれも話そうとしない。ブーニン侯爵の裏切りは確定だ。フィオナ嬢の誘拐・監禁だけでも重罪だ。他の罪状もあるし、影が持ち出した証拠も数多く揃っている。これを機に息子のマキシムを侯爵にする。コズイレフ帝国が動く様子はない。軍を動かす口実もないだろう。北の守りは万全になるし国にとっては良いことづくめだ」
「そうだ!」
リュシアンが吠える。
「アレックスは国に貢献してきた。仮にミハイルを殺そうとしたとしても、それまで監禁、拷問されていたんだ。あのままだったら殺されていただろう。正当防衛だって主張できる。それなのに・・・。フィオナのことをずっと黙っていた罪悪感があるのだろうが・・・」
リュシアンの声が小さくなり、途絶えた。
「あ、あの、私は先生を罪に問うつもりはありません。先生がいなかったら私は悲惨な目に遭っていたと思います。先生は私を守ってくれました。逃げる時も協力して下さったんです!」
必死なフィオナの手を握り、セリーヌは優しく言う。
「分かっています。フィオナ。心配しないで。あの頑固頭は昔からそうなの。自分のせいじゃないのに、なんかつまんないことを思い詰めて、全部自分のせいだ、って思いこむのよ。だから、自分が犠牲になれば全部丸くおさまるって考えちゃうの。視野が狭いというか臆病というか・・・」
「先生が臆病・・・?」
思いがけない言葉につい聞き返す。先生はいつも勇敢な人だと思っていた。
「攻撃された時とか、大切な人を守る時とか、外側からの攻撃にはとても強いの。勇敢なのよ。だけど、愛されることに臆病なの。親しくなった人間からずっと愛され続ける自信がないのよね。私もリュシアンもトリスタンも、幼馴染のアレックスを親友だと思っているわ。それなのに自分は私たちを失望させたとか、私たちの友情に見合うだけの価値がないとか訳の分からないことを考えているのよ。だから、アレックスは私たちから距離を置いていたの。ああ、腹が立つ!」
セリーヌは先生のことをとても良く理解しているようだ。
(なぜだろう・・?胸がモヤモヤする)
フィオナが自分の胸に手を当てて考えている間にも、セリーヌはヒートアップしていく。
「結局ね、捨てられるのが怖いから愛情を受け入れられないの。今回のこともそう!フィオナはこれからシモン公爵家で幸せになるべきだ、自分みたいのが周囲でウロウロしてたらフィオナにとって邪魔になる、だから身を引こうって思いこんでるの。彼女が監禁されていたのに救えなかった、なんて不甲斐ない、フィオナも自分を嫌っているだろう、だから彼女の前にはもう二度と姿を見せまい、とかね!簡単に想像できるわ!」
セリーヌの鼻息は荒い。そんなセリーヌをリュシアンはうっとりした目で見つめている。安定だなぁ。ある意味安心する。
「だけどね、本音の本音を言うと、もし自分が近づいてフィオナにちょっとでも迷惑そうな顔をされたらどうしようとか、ちょっとでも嫌われていたらどうしようって怖くて仕方がないのよ。だから、自分が傷つく前に逃げようとしているのよ。この臆病者!」
最後に勢いよく足でダンと床を踏み鳴らした。リュシアンが感極まったように拍手を送る。
「さすがセリーヌ!どこにも否定する要素がない。素晴らしい分析だ!」
トリスタンは静かに座ってお茶を飲んでいる。アンドレは心配そうにフィオナを見つめている。
セリーヌはドラマの悪役のようにニヤリと嗤った。悪顔も美しい。
「だからね。処罰は私が考えるわ。宜しいですわね。陛下?奴が一番嫌がることをさせるのよ。ね、フィオナ、貴女はもう自分の気持ちが分かったでしょ?」
「は、はい・・・セリーヌ様にお任せします・・・」
(先生に対する自分の気持ちは分かった・・と思う。失いたくない、生涯一緒にいたい男の人だ)
しかし、セリーヌの輝かしい笑顔に、なぜかしら底知れぬ不安を掻きたてられるフィオナであった・・・。