急報
その翌日、フィオナはまたパスカルに頭を剃られていた。
アンドレに告白されたことは素直に嬉しいと思う。素敵な異性に好意を示されて嬉しくない人はいないだろう。ただ、それが恋愛感情に発展するかどうかは別だ。
(まずは私が先生に抱いている感情が何なのか、それを確かめないと前には進めない)
物思いのせいで普段よりも寡黙なフィオナだったが、パスカルは自分のペースを変えない。見た目よりもずっと鋭い人だから敢えて何も言わないのだろう、とフィオナはパスカルの気遣いに感謝した。
「奥様はもう剃らなくても大丈夫かもしれないと仰っているのよ~。どうする。そろそろ髪伸ばす?」
「そうですね。剃るお手間をお掛けするのも申し訳ないと思っていたので」
「いや~ん、あたし、これを楽しみにしているのよ。でも、そうねえ、せっかくの綺麗な銀髪だから、そろそろ伸ばし始めましょうか?」
「私もこの時間は楽しみなので無くなると残念です」
「そうね。でも、フィオナちゃんの専属美容師の地位は誰にも渡さないわよ。あたし以外の人間に髪を切らせないでね」
「はい、宜しくお願いします!」
そんな風に言ってもらえるなんて思わなかったので嬉しくてニコニコしていると、パスカルが真剣な顔でフィオナを見つめた。
「あのねえ、フィオナちゃんみたいな美少女がそんな笑顔を見せたら、男はみーんな虜になっちゃうのよ。自覚ある?」
「え?えっと・・・」
予想外のことを言われて口ごもるフィオナ。
「まだお子ちゃまだからいいけど、これから本当に気をつけなさい。恋愛は慎重にね!それでなくてもフィオナちゃんにはセイレーンの純血種なんていう余計なご褒美が付いてるから、変な男たちに執拗に狙われるわよ。まあ、奥様と旦那様がお守りするでしょうけど。でも、あたしも心配だわ~。男に言い寄られたら絶対にあたしかアニーに知らせるのよ!いいわね?」
「はい!」
良い子の返事だ。冗談っぽく言ってるけどパスカルの目が真剣なのは分かる。
パスカルは満足したようにショリショリと剃り続けた。
あ~、気持ちいい。
剃った後のスカルプ・マッサージがまた気持ちいいのよ。パスカル、最高。
*****
リュシアンが膠着状態と言っていたように何の動きもないまま数週間が過ぎた。平和過ぎる毎日が申し訳ないくらいフィオナにとって穏やかな日々だった。
アンドレは週に一度の割合で訪ねてくれる。お茶を一緒に飲むだけだがフィオナも徐々に打ち解けて話ができるようになった。
髪は数ミリくらい生えてきて相変わらず色んな人にぐりぐりと撫でられている。毛髪が生えかかる感触も堪らないらしい。アンドレはぐりぐりではなく、そっと壊れ物を触る感じで撫でてくれる。優しい人だなあ。お兄さんがいたらこんな感じなのかな、と思う。
そして、ついにフィオナに初潮がきた。シーツを汚してしまったと焦っていたらアニーに見つかり、また頭をぐりぐりされた。「おめでとうございます!」ってニコニコされたので『喜ぶことなんだ?!』と新鮮な気持ちになった。
ずっと始まってほしくないと思っていたからアニーやセリーヌに喜ばれると戸惑ってしまう。
セリーヌは優しく頭を撫でながら
「貴女にとっては複雑よね。でも、喜ぶべき成長の印なのよ。いつか貴女が心から信頼できる人と結婚できるように私も応援するわ」
と言ってくれる。
(セリーヌ様は優しい。純血種のセイレーンが平穏な生活を送るのは簡単じゃない。ご両親を亡くされて・・・きっと辛い経験も沢山されてきたんだろう。苦労を知っていると人は優しくなれる。前世でもそうだった。私もセリーヌ様のように思いやりのある人間になりたい)
フィオナにとってシモン公爵家の人たちは家族のように大切な存在になっていた。
*****
その日もシモン公爵邸には穏やかな空気が流れていた。
フィオナはセリーヌと一緒にモーニングティーを楽しんでいる。セリーヌは聞き上手だ。気がついたらフィオナは、侯爵家から逃げ出すためにどうやって準備したかをペラペラ喋っていた。どこに感動するポイントがあるのか分からないが、馬の蹄鉄の釘で羽目板を外した話にセリーヌは両手を握りしめて「感動したわ!」と叫んだ。
「フィオナ、貴女はとても勇敢ね。きっと世界が滅亡しても生き残れると思う。本当にアンドレのお嫁さんになってくれればいいのに・・・やっぱりあの子じゃ無理?」
フィオナは言葉に詰まった。アンドレは性格も家柄も家族も顔も何もかもが良い稀有な男性だ。しかも、これまでモテたことのないフィオナを気に入ってくれている。あんなに熱烈に告白されたのも初めてで不満なんてあろうはずがない。シモン公爵家の人たちは大好きだ。こんなに素晴らしい家族の一員になれるなんて、心惹かれないと言ったら嘘になる。
でも・・・。
「すみません。私はまだ・・・その・・恋愛とかよく分からなくて・・・私なんかにはもったいないお話だと分かってはいるのですが・・・」
「あら、いいのよ。ごめんなさい。押しつけるつもりはないわ。アンドレのことがなくても、私は貴女を自分の娘のように思っているの。だから自分の気持ちに素直になってね」
セリーヌの言葉を聞いて、思わずフィオナの瞳から涙がこぼれた。
「あらあら、どうしたの?」
セリーヌはハンカチを取り出してフィオナの涙を拭く。
「・・・私、自分の気持ちが分からなくて・・・。絶対に相手にされていないのは分かってるんです。先生は・・私になんて興味ないし、女として・・恋愛対象にはなれないし、私も先生のことを恋愛的に好きなのかも分からないし・・・でも、でも先生と離れたくないっ、ずっと・・ずっと先生と一緒にいたい」
フィオナはグイっと強く抱き寄せられた。セリーヌの温かい腕の中でフワリと良い匂いがする。
(お母さんみたい・・・)
セリーヌの背中に手を回してギュッとしがみついた。前世よりも甘えん坊になったみたいだ。
「フィオナ。あのね、アレックスにとって貴女は特別な女の子なのよ。それは間違いないわ」
「とくべつ・・・?」
「そう。あの人は頑固で厳しい倫理観を持っているから手強いだろうけど・・・」
セリーヌはフィオナの背中をぽんぽんと優しく撫でながら歌うように語る。涼やかな声音が耳に心地よい。
「大丈夫。貴女が自分の気持ちを確信して、覚悟ができたら・・・私、なんでも協力するわ!だから安心してね」
「・・・ありがとうございます。セリーヌ様・・・大好き」
思わず声に出して言ってしまってから恥ずかしくなる。でも、セリーヌは余程嬉しかったらしい。
「きゃーーーー、可愛いすぎる!私も大好きよ~」
と叫ぶとフィオナの頭をぐりぐりと撫でた。
**
そんな時だった。
扉が突然開いてアンドレが飛び込んできた。ハアハアと息を切らしている。慌ててきたのだろう、いつものピシッと決まった服装ではなく大分乱れている。
「は、母上・・・」
「事態が動いたのね。報告なさい」
セリーヌは先ほどまでの柔らかい表情が完全に消えて、アンドレの前に仁王立ちになった。凛々しい表情も美しい。
「アレックスは救出されましたが意識不明。ミハイル・ブーニン侯爵も意識不明の重体です!」
「えっ!?」
フィオナは心臓を鷲掴みにされたような気がした。途端に心拍が上がる。
セリーヌは腕を組んで考え込んでいる。
「アレックスが何かしたのね?」
とアンドレに尋ねた。
アンドレは複雑な表情だ。
「それが分からないのです。情報が錯綜しています。その場にいた者の証言によると、アレックスが侯爵を害せたはずがない、と。ただ、悪霊が侯爵を襲ったとか、アレックスが目に見えない力を使って侯爵を害したとか、要領を得ない証言ばかりで現場も混乱しています」
「分かりました。アンドレ、貴方は現場に戻り事態の収拾にあたりなさい。ミハイルに何かあったらコズイレフ帝国が手を出してくる可能性もあるわ。私はこの屋敷の守りを万全にして緊急時に備えます。リュシアンにもそう伝えてちょうだい」
「承知いたしました。母上、どうか御身大切に。フィオナ、あなたも」
アンドレは切なそうにフィオナを見てから部屋から出て行った。
(意識不明・・。でも、生きているということよね?悪霊・・・?どういうこと?)
フィオナは混乱したまま呆然と立ち尽くしていた。