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三つの条件

フィオナたち四人は、心地良いソファが並ぶこじんまりとした部屋に移動した。侍女たちはテキパキとお茶を給仕すると部屋から退出していく。


リュシアンが口を開いた。


「セリーヌから大体の話は聞いているが、もう一度最初から詳しく話してもらえないか?」


隣に座っているセリーヌがフィオナの手を握ってくれる。温かい手の感触が心強い。


ブーニン侯爵が不老不死になるために、フィオナは三歳の時に誘拐され、ずっと監禁されていたこと。誘拐される前の記憶がないこと。先生のおかげで無事に成長することができたこと。初潮が始まる前に何とか逃げだそうとしていたこと。先生が逃亡を助けてくれたこと。それらを丁寧に説明し、特に先生が妹と甥を人質に取られていたことを強調した。


前世日本人の話は勿論しない。


リュシアンは一度も口を挟まずに聞いてくれた。


「アレックスがオリハルコンの刃を渡したのだな?」

「はい」

「その刃をアレックスがどのように手に入れたか知っているか?」

「いいえ、聞いても先生は教えてくれませんでした」

「アレックスは国宝のオリハルコンの刃が欲しいと国王トリスタンに直談判した。約三年前のことだ」


フィオナは愕然としてリュシアンの顔を見つめた。


リュシアンはため息をついて話し続ける。


「アレックスは何度断られても諦めなかった。それまでは全く欲のない人間で、勲章も褒美も辞退していたくらいだったから俺もトリスタンも驚いた」


(先生・・・そうだったんだ・・・)


「何に使うのか尋ねても答えない。悪事には決して使わない。大切な人を助けるために必要なんだと言い続けていた。あまりにしつこいので閉口したトリスタンは三つの条件を出した。絶対に無理な難題ばかりだ。それで諦めてくれるだろうと思ったんだが・・。第一の条件は国民の生活を大きく向上させるような誰もが認める功績をあげることだった」


(うわ・・・なんか物凄い条件キタ。いきなりハードルが高い)


「そしてアレックスは国民のために大きな功績をあげた。多くの人々の命がアレックスのおかげで救われたんだ」


フィオナはリュシアンの話に耳を傾ける。


アレックスは『悪性腫瘍』という新しい病気を発見した。これまで多くの患者がしこりや痛みを訴え、時には出血を伴うような症状で死んでいった。原因不明の不治の病で、治癒魔法も効かない。逆に治癒魔法を施術している間に病状が悪化して亡くなる患者も多かった。


アレックスは異常な細胞が増殖するせいで体の機能が破壊されることを突きとめた。治癒魔法は新しい細胞を増殖させて怪我や病気を治す。治癒魔法を使うと異常細胞の増殖も促されてしまい症状が悪化することを発見したのである。


新しい治療法として、アレックスは魔法を使い異常細胞の分裂を封じ込めるようにした。悪性腫瘍の増殖を封じ込めて小さくすることで、病状が大きく改善する患者が増えた。他の医師や治癒士は半信半疑だったが、アレックスの言う通りにしたら多くの患者が回復したのだった。


この国には『細胞異常』が原因で病気になるという概念が存在しなかった。アレックスは『細胞学』『腫瘍学』という新しい学問領域を生み出した。新しい学問の最初の一歩を踏み出せたことは非常に画期的な出来事だ。


「・・・民衆の役に立つ大きな功績であることをトリスタンも俺も認めた。アレックスは第一の条件を達成したんだ」


フィオナは感動していた。先生は自分が話したことを応用して多くの人命を救ったのだ。


リュシアンは紅茶を一口飲むと話を続ける。


「二つ目の条件は、コズイレフ帝国からブーニン侯爵領に入り込んでいる間諜や怪しげな戦闘員たちの駆逐と領内の治安回復だ」


(これまた難しそうな任務だ。先生は一体どうやってやり遂げたんだろう?)


ブーニン侯爵領は北方にあり、コズイレフ帝国と長い国境で接している。問題はブーニン侯爵領が異常に広大であることだ。その原因は、前々侯爵夫人、ミハイル・ブーニンの祖母にある。彼女は先々代の王が溺愛する王女で、降嫁する際に持参金として追加の所領を賜ったのだ。


更にブーニン侯爵の祖先はコズイレフ帝国の貴族の血を引いている。コズイレフ帝国がブーニン侯爵領を足掛かりにしてフォンテーヌ王国に攻めてこようと画策しても不思議ではない。特にミハイルは愚かで傀儡にするなら最適だ。コズイレフ帝国にしっぽをふり、自分の所領内で帝国に好き勝手させた挙句、帝国は侯爵領を植民地状態にしていたのである。


しかし、息子のマキシムが領地経営に参加するようになってから状況が変わった。マキシムは優秀で、領内の怪しい人間を捕え治安の回復に力を注いだ。しかもマキシムはフォンテーヌ王家への確固たる忠誠心を持っている。コズイレフ帝国にとっては邪魔な存在であった。


「・・・だからコズイレフ帝国は純血種のセイレーンを誘拐し、ミハイルに渡したんだ」

「え!?もしかして私のこと・・・ですか?」

「そうだ。ミハイルに純血種のセイレーンを捕まえるほどの才覚も力もない。コズイレフ帝国にとってはミハイルが永遠の命を得て、永遠にブーニン侯爵でいてくれる方が都合良かった」


フィオナは大きな衝撃を受けて言葉を失った。リュシアンの話は続く。


アレックスは治安回復のために、ブーニン侯爵領の力自慢たちを集めて戦闘訓練を施した。そして幾つもの自警団を作って怪しい人間を取り締まったのだ。おかげで領内の治安は格段に改善したが、あくまで領民の自発的な自警団としてアレックスは表に出なかった。国王は自警団に褒美を出し、活動を継続するよう勅命を発した。そうなるとミハイルは邪魔できない。ミハイルはアレックスの関与にも気づかなかった。


「先生が戦闘訓練を・・?想像できません」


思わずフィオナが呟くとリュシアンはニッと笑った。


「アレックスは若い頃、国一番の剣士と謳われて近衛騎士団の副団長にまでなったんだよ。身を挺してトリスタンを守り、左足に大怪我を負って戦うことができなくなってしまったがね」

「そうだったんですね。知りませんでした」


(先生は自分のことを何も話してくれなかった)


フィオナは少し悲しくなる。


「まぁ、アレックスは無料の診療所で長年領民の治療をしてきた。信頼関係ができていたのだろう。そうでなかったら自警団といっても協力する領民はいなかったと思う」


フィオナがコクコクと頷くとリュシアンは優しく微笑んだ。


「それでアレックスは二つ目の条件を達成した。三つ目の条件はコズイレフ帝国と接する国境の結界を全て修復することだった」

「国境の結界・・?」

「ブーニン侯爵領にある国境の結界はゆるゆるでね。コズイレフ帝国から誰でも自由に出入りできる状態だったんだよ」


(結界の張り直しもものすごく大変そうだけど・・・)


「アレックスはミハイルに悟られることなく、一人で全てをやり遂げた。正直俺もトリスタンも驚いたよ」

「結界の修復って魔力を相当使わないとできないですよね?」

「ああ、魔力を使いすぎて命が危ない時もあった。一ヶ月ほど寝たきりだったそうだ」


先生が長く姿を見せないことがあった。フィオナの目の奥が熱くなる。


「アレックスは絶対に無理だろうと思った三つの条件を全て満たした。トリスタンは諦めてオリハルコンを渡したんだ。結果として君を救うことができた。あの時アレックスを信用して良かったと思っている」

「はい。本当にありがとうございます。オリハルコンのナイフはセリーヌ様にお渡ししましたので国王陛下にお返し下さい」

「ありがとう。オリハルコンの去就はまだ決まっていない。とりあえず当家でお預かりするという形でいいかね?」

「はい、公爵閣下とセリーヌ様にお任せいたします」


頭を下げると隣に座っていたセリーヌがフィオナの手を握りしめた。


「フィオナ、いずれ私たちは貴女のご両親を探そうと思っています。貴女はコズイレフ帝国から連れられてきた。帝国にはまだセイレーンだけが暮らすコミュニティが残っているのよ」

「セリーヌ様・・・ありがとうございます。」


フィオナは感謝の気持ちを込めてセリーヌの瞳を見つめた。セリーヌの目は濡れて光っている。純血種のセイレーンということはセリーヌの両親も純血種のセイレーンだったはずだ。ふと『セリーヌ様のご両親はどうされているんだろう?』という疑問が脳裏をかすめた。


セリーヌはフィオナの考えを読めるようだ。


「私の両親はずっと昔に亡くなったわ。私を幼い頃から支えてくれたのはリュシアンたちなのよ。貴女にとってアレックスが支えだったようにね」


「はい!先生がいなかったら私は今頃生きていません。先生が私の世界の全てです!」


元気一杯に宣言したフィオナにリュシアンは微笑みながら「君はアレックスが好きなんだね」と爆弾を落としてきた。


フィオナは真っ赤になった。頭皮も丸見えだから顔も頭も全部真っ赤になっているに違いない。


「・・・は、はい。私にとっては一番の恩人です!」


すると今まで黙って聞いていたアンドレが、


「でも、君の誘拐・監禁を知りながら通報もせずにいたんだよ?」


と怒った口調で会話に入ってきた。


「妹さんと甥御さんを人質に脅されていたんです!」

「それにしたって何の罪もない幼い子供を・・」


リュシアンはアンドレを目で制すると話を続けた。


「ミハイルは、マーガレットとマキシムをブーニン侯爵領にある城の地下牢に閉じ込めていた。マキシムは領民に人気が高かったが、まだ爵位を継いだわけではない。ミハイルの意向に逆らえる者はいなかったんだ。ミハイルは不老不死になれば後継者なんて必要ないと考えていたから本気で二人を殺すつもりだったろう。アレックスが通報できなかった気持ちも分かる」


アンドレは目を伏せた。


「俺とトリスタンはアレックスの様子がおかしいと感じていた。それにマーガレットとマキシムの所在が十年以上不明なことにも気がついていた。貴族は社交の時期には王都の屋敷にいるはずなのにミハイルしか住んでいない。侯爵領に居るのかどうか調査させたが、やはり消息不明だった」


フィオナが監禁されていたのは王都のブーニン侯爵邸だった。先生も二人を探していたはずだ。国王やリュシアンでも苦労したなら先生が見つけられなかったのも無理はない。


「王家の密偵でもなかなか居場所を掴めず何年もかかったよ。知っていると思うが、マーガレットとマキシムは既に保護されている。ミハイルはそのことを知らない。王国の暗部の人間が身代わりで地下牢に入っている。変装が得意で薄暗い地下牢だから、まだ誰にも気づかれていないだろう。危険を感じたら逃げ出すように指示してある」


(お二人が無事で本当に良かった)


フィオナはホッと安堵の溜息をつく。


「アレックスは二人が保護されたと知って、すぐに君が監禁されていることを教えてくれたんだが・・王宮として迅速に対応できなくて申し訳なかった」


フィオナの後悔はあの時、忌み言葉を発してしまったことだ。先生も逃げられたかもしれないと思うと胸が苦しくなる。


フィオナの表情を読んで、リュシアンは慰めるように言った。


「王宮はすぐには君を保護できなかった。国軍や近衛がブーニン邸に乗り込んだらコズイレフ帝国が攻めてきていたと思う。ミハイルは帝国と私的に友好同盟を結んでいるんだ」

「一領主が国を相手に友好同盟を結べるんですか?」


フィオナが率直な疑問をぶつけるとリュシアンは困ったように微笑んだ。


「それはまあ・・・先々王時代からの複雑な事情があってね。長い話になる。いずれにせよブーニン侯爵を救うという名目で攻めてこられた場合、それを端緒に国と国との全面戦争が始まる可能性は否定できない。まごまごしている間に君は別な場所に移されていたかもしれない。俺は君の取った行動が最善だったと思う」


安心でほっと胸が暖かくなる。リュシアンも優しい人だ。


「しかし、我々は今も同じ問題にぶつかっている。アレックス救出に向かえないのは、下手に手出しをするとコズイレフ帝国からの軍隊がフォンテーヌ王国に攻め入る可能性があるからだ。帝国に我が国を攻撃する口実を与えたくない」


先生を救う道はないのか?フィオナはすがるように公爵を見上げた。


「俺はアレックスが殺される可能性は少ないと思っている。」


セリーヌが同意するように頷いた。


「何故そう思われるのですか?」

「君の頭はとても可愛いけれど、その髪の毛がどこに行ったか知っているかい?」

「いいえ、焼却されたのかなって勝手に想像していました」


リュシアンは首を振る。


「君の髪は王宮内の奥深い秘密の地下牢に隠されている。ミハイルの間諜でも決して侵入できない場所だ。ミハイルは君が王宮で匿われていると思っている。現にミハイルの間諜が王宮内で捕縛された。君を誘いだすためにアレックスはまだ利用価値があると考えるだろう。マーガレットとマキシムに化けている影も無事でいる。当面アレックスは安全だと思う」


なるほど。納得のいく説明だ。フィオナは少し落ち着いた。


「しかし膠着状態が続いている。どうにも動きようがない。ミハイルの暗殺まで考えたんだがあいつは昔から猜疑心が強くて、ここぞという時の危機察知能力が高いんだ。アレックスがこの難局を打開してくれるのではないかと期待しているんだが・・・我々はいつもアレックスに頼りすぎるな・・」


最後は独り言のようなリュシアンの長い話は終わった。


「何か質問はあるかい?」

「先生は救出された後、罪に問われて処刑されることはあるんでしょうか?」

「それはないだろう。アレックスの責任を問う声も出ているが、君の逃亡を助けた事実もある。何故俺たちに相談してくれなかったのか、水臭いと怒りが湧いたがアレックスの事情も理解した。俺とトリスタンは軽い処罰で済むようにしたいと考えている」


安心したら体が軽くなった。ふと考えて、もう一つ質問をしてみる。


「あの・・・私が王宮に隠れているとブーニン侯爵がコズイレフ帝国に訴えて、帝国が攻めてくるということはないでしょうか?」


自分が戦いの火種になるようなことは絶対に嫌だ。リュシアンはにっこり笑ってフィオナの頭を撫でた。


「君は賢くて優しいね。大丈夫だ。攻められてもいないのに援軍要請はできない。それにコズイレフ帝国が提供した貴重な純血種のセイレーンを逃がしたのは侯爵家の失態だ。ミハイルも帝国にはあまり言いたくないだろう」


「それを伺って安心しました。ありがとうございます。私は何もできない小娘ですが、もしお手伝いできることがあったら言って下さい」


フィオナは心から感謝して頭を下げた。この晩餐会で多くのことが判明した。先生がどれだけの努力をしてくれていたのかも。


(どうか先生が無事でありますように・・・)


フィオナの胸は先生への想いで一杯だった。

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