番外編 エレオノーラとベルトランド 3
土を耕し終わった畑に私はベルトランドが用意してくれた種芋を植えた。
芽が出るまでは水をやるくらいしか仕事がないので、ベルトランドの手伝いや家の掃除など、率先して雑用を引き受けた。
早く芽が出ないかな?と這いつくばって土を覗き込む私を子供みたいだとベルトランドが笑う。
そんな彼の笑顔を私は切ない気持ちで眺めた。
幼い頃、執務室で仕事をするお父さまの視界に入るのが嬉しかったみたいに、ベルトランドに笑いかけられるとその瞬間を切り取って保存したくなるくらい幸せな気持ちになる。
磊落に笑うベルトランドは太陽みたいに眩しい。この人の傍にずっといられたら幸せだろうな。
でも、私は色々考えて、自分の行動がどれだけベルトランドの迷惑になっているかが分かるようになった。
ここに来てから自分の昔の行動を思い起こして恥ずかしくて土の中に埋まりたくなることが多い。
夜中に思い出して、ギャーっと悲鳴をあげたくなることもある。
シモン公爵家にかけた多大な迷惑や被害を考えて、切腹しても土下座しても何をしても許されないことをしたと私はようやく自覚することが出来た。
アレックスはもう亡くなってしまったので謝罪することは出来ないけど、シモン公爵とセリーヌとアンドレには謝罪の手紙を書いた。勿論、許してもらえるとは思っていない。ただの自己満足だ。
でも、私は自分がした愚かな行為をとても恥ずかしく思っていることを伝え、本当に申し訳ないことをしてしまったと素直に謝罪した。
ここでの生活のおかげで、自分の行いを少し客観的に見られるようになったのかもしれない。
だから、私はお試し期間が過ぎたら消えることにする。
ベルトランドのことが本当に大切だから、もうこれ以上迷惑かけたくないし、立ち去る前に少しでも役に立ちたいと心から思っている。
最近はエラルドの下準備の手伝いもするようになった。
エラルドに迷惑だったら言ってねと伝えると
「いやいや、洗い物や後片付けも嫌がらずにやってくれるし、ホント有難いよ」
と笑顔で言ってくれた。
ベルトランドは時々何か言いたそうに私を見るが、結局何も言わずに離れたところから私を見ていることが多い。
そんな時、偶然アマンダに会った。
アマンダは私の顔を見て目をまん丸くして驚いている。
何だろう?
アマンダが私に近づいて、私の手を握る。
そして、私の両手の掌をまじまじと見つめた。
アマンダの瞳が徐々に怒りを湛えていく。
「・・アマンダ・・どうしたの?」
と訊くと、彼女は私を引っ張ってベルトランドのところに行った。
「ベルトランド!あんた、もうちょっとこの子の面倒をちゃんと見なさいよ!」
と開口一番怒鳴りつける。
「顔が日に焼けて、真っ白でスベスベだった肌がカサカサで赤く剥けちゃっているし・・・。手だって・・・あんなに華奢で綺麗だった手を見てよ!農作業で傷だらけだし掌だってこんなに・・・」
とアマンダが口籠った。
確かに掌の皮が剥けて治癒魔法を掛ける度に少しずつ皮が厚くなって、今では私の掌は固く分厚くなっている。
ベルトランドは平然と
「知っている。だけど、それはこいつが望んだことだ。手だって俺は構わないと思ってる。農作業で頑張った者の手だ。誇っていい」
と言う。
アマンダは
「こんな若いお嬢さんにこんなになるまで農作業させて。貴族なんだからお嫁に行けなくなっちゃうわよ!あんたその責任取れるの?」
と猶も言い募る。
私はベルトランドに申し訳なくなった。
ベルトランドのせいじゃない。彼には何の責任もない。
「アマンダ、私が望んだことだから気にしないで・・」と言いかけた時、ベルトランドが
「大丈夫だ。責任は俺が持つ」
ときっぱり言い切った。
アマンダが唖然としてベルトランドを見つめる。
「ただ、顔の日焼けは俺のミスだ。これからこいつが日に焼けないように帽子か何かを用意してもらえるか?・・あと肌の保湿剤とかあったら手当してやってほしいんだが・・・」
と話を続けるベルトランドにアマンダは機械人形のようにコクコクと頷いて、自分の家に再び私を引きずって行った。
アマンダはキッチンでゴクゴクと水を飲むとふぅーーーーと息を吐いた。
「まさかあの朴念仁のベルトランドがあんなことを言い出すとはね」
とニヤニヤと私を見る。
ん?どういうこと?
「あらやだ、あんた意味分かってないの?どんだけ初心なの?」
私には意味が全く分からない。首を傾げている私の背中をアマンダはバーンと叩いた。
「あんたがお嫁に行けなくなる責任を自分が取るってゆーのは、あんたをお嫁さんにするってことじゃないかい?」
私はその意味を理解するまでに、何度かアマンダの言葉を反芻する必要があった。
そして、意味を理解した瞬間に全身がカーっと熱くなる。
見ると手の指先まで紅潮している。いやだ・・・そんなはずないって分かってるはずなのに・・・。
「べ、ベルトランドはきっと行き場が無くなったら私を面倒みてくれるって意味で、お嫁さんにするとは・・・」
「んーん、だったらあいつは下手な希望を持たせないようにはっきりそう言うよ。まあでも、これからのお手並み拝見だね」
とアマンダがニンマリ笑う。
その後、アマンダが私の肌のケアを完璧にしてくれた。アロエのエキスから抽出した保湿剤を使ってくれる。ひんやりとして気持ちいい。
日に当たったところが痛痒かったのが落ち着いて助かった。
「私は昔人間の貴族のお嬢様の侍女をしていてね。こういうのは得意なんだよ」
と話すアマンダ。
「だからあんたを見てるとほっとけなくてね」
と私の頭をぐりぐり撫でた。頭を撫でられると気持ち良くて安心する・・・。
アマンダに御礼を言ってベルトランド邸に戻るとベルトランドはまだ畑作業をしているようだった。
私はアマンダが貸してくれた麦わら帽子をかぶって屋敷の裏に回る。
ベルトランドは私に気が付くと、作業の手を休めて近づいてきた。
「大丈夫か?」
と言いながら、私の頬を撫でる。
ベルトランドの指の感触に心臓がドキドキ鳴る。罪な男だわ。
「すまないな。お前の顔が日焼けして肌荒れしているのは気づいてたんだが・・・。もっと早くアマンダに相談すれば良かった」
と頭を掻きながら謝る。
何でこの人は私なんかにこんなに優しいんだろう。
胸の奥底から愛おしさが湧いてくる。私はこの人が好きだ。
私がベルトランドをじっと見つめると彼は少し照れたように
「あ、そうだ。お前に見せたいものがある」
と言い出した。
彼は私の畑がある一画に手を引いて連れていく。
「ほら、お前の種芋が芽を出したぞ」
と言われて、目をこらすと小さな小さな白っぽい緑の芽が土の間からのぞいていた。
「・・・これ・・私の初めての・・」
胸に熱いものがこみ上げる。草取りから始めて、毎日手から血を流しながら耕した畑で、私が植えた種芋が芽を出した。
それだけなのにどうしてこんなに感動するのだろう?
気が付いたら私の目からポロポロと涙が溢れていた。
慌てて手の甲で拭うが間に合わない。
涙腺が壊れてしまったみたい。お母さまが死んだと聞いた時だって泣かなかったのに。
ベルトランドが慌てて何かを探している。
「ハンカチがない・・・仕方ない」
と独り言が聞こえたと思ったら、ベルトランドに抱きしめられていた。
「俺の胸をハンカチにしていいから」
と言うベルトランドの心臓の鼓動は早かった。
私は遠慮なく彼の言葉に甘えて、その胸で思いっきり泣いた。
泣く時はいつでも一人だったから、誰かの胸の中で泣くのがこんなに安心できるとは知らなかった。
ベルトランドはいつでも私の知らなかった感情を教えてくれる。
お別れする時のことを考えたら今度は別な種類の涙が出てきて、私はどさくさに紛れて彼の胸で泣き続けたのだった。