番外編 結婚式
その日はどこまでも真っ蒼な空が広がる快晴だった。
リオとレオンの結婚式は療法所の目の前にある広場で行われる。
ウエディングドレスは胸下で切り替えのあるエンパイアスタイルの華やかなドレスだ。大分お腹が大きくなったけど、ドレスのデザインのおかげでそれほど目立ちはしない。全体に繊細なレースで覆われているが、ドレス裾の優美な銀糸の刺繍はアントンの母マリヤが施してくれた。
髪の毛は鬘ではなく、地毛だ。アニーが頑張って短い髪をアップに纏めてくれた。
髪や瞳の色を変えるのは止めた。
現在王国ではセイレーン種族が安全に民間で生活できるような施策を取り始めている。
リオも自分がセイレーンであることをエミリーやアメリや地元の人達に告白した。みんなすごく驚いていたけど態度が変わった人はいない。
今後の課題があるのも分かっている。しかし、あるがままを受け入れてくれる友人達も多い。リオは感謝の気持ちで一杯だった。
広場には二人の結婚を祝福する人々が集まり始めている。そこかしこにテーブルが沢山並んでいる。式の後に、立食形式で食事を振舞う予定だ。
ジャンを筆頭に公爵家料理人が全精力を傾けたご馳走が並ぶらしい。楽しみだ。余興に大道芸人を呼ぶ予定なので、本当のお祭りのような騒ぎになるだろう。
どこかで見た景色だなぁとリオが感慨にふけっていると開所式だと思い当たる。
(シモン国家療法所の開所式でも、こうやってお祭りみたいにしてたっけ・・・)
(懐かしいな。ものすごく昔の話みたいだ)
(開所式の時は、私がスピーチで大失敗して恥ずかしくて悶えたよなぁ。患者も最初は全然来なくって・・・。一日中サンと一緒に調薬してた)
思考が段々昔の記憶に移って行く。
自分が結婚するなんて信じられない。
『あんたが結婚に向いてるはずないじゃない?』って言ったのは、前世のリオの従姉妹だった。
*****
『私は青木先生と結婚しますから。青木先生はあなたと居てもつまらないし、全然安らげないってこぼしてましたよ!』
不意に記憶の引き出しの一番奥から思い出したくない場面を引っ張り出してしまった。
でも、一度思い出したものは止まらない。
あの日、予定されていた手術がキャンセルになり、早く仕事が終わったのでふと当時の恋人の青木裕二の顔が見たくなったんだ。
当時、裕二は小児科医をしていて、小児外科医だった私とは一緒に仕事をすることが多かった。
彼は正義感が強く、曲がったことが大嫌いだった。
患者にも患者の家族にも誠実に接する裕二を尊敬していたし、いつも朗らかに笑う彼が素敵だなと思っていた。
だから、交際を申し込まれた時は驚いたけど、すぐにOKした。
交際は順調で裕二も「そろそろ俺らもちゃんとしなきゃなぁ」と言っていたし、彼のご両親にも紹介されて、手紙や季節の贈答品のやり取りもしていた。
彼の両親からの手紙には「理央ちゃんと裕二の結婚式が楽しみで」と書かれることが多くなってきて、正直私もその気になっていたんだと思う。
裕二はいつも私の頭を撫でながら『理央、可愛い。好きだよ』と言ってくれて、彼は今まで私が付き合ってきた男とは違うと信じていた。
私はようやく全てを委ねられる人が現れた、と安心しきっていた。
だからあの日、連絡なしで彼の家に行っても問題ないと思っていたんだ。
部屋のドアを開けた裕二の表情は明らかにおかしかった。
私を家の中に入れたくない様子で、ただ「今日は帰って欲しい」と繰り返す。ものすごく嫌な予感がして玄関を覗き込んだら、私のものじゃない女物の靴が置いてあった。
私は裕二を押しのけて奥に入った。
彼の寝室のドアを開けると、小児科の新人看護師が裸でベッドに横たわっていた。隠れるつもりもないようだった。
彼が後ろで
「理央、ごめん。説明するから!」
と叫んでいたが、私は彼に背を向けてすぐに部屋から飛び出した。
医者と看護師の浮気ってなんだそのベタ!
心の中で悪態をつきながら家に戻った。
裕二が来た時用に、我が家の冷蔵庫には常にビールが入っている。
そのビールを開けて一気飲みした。苦しくてむせる。
ひとしきり咳込んだ後、視界がぼやけるなと思っていたら、私は号泣していた。
情けない話だが私は翌日仕事を休んだ。
一晩中泣き続けて、腫れすぎて目が開かなくなっていたし、医療の現場では集中力の欠如が深刻な事態を招きかねない。完全に自分を律する自信がない時は医療の現場に立つべきではない、と以前尊敬する外科部長が言っていた。
一日休んで、泣いて泣いて気持ちの整理をつけた。
携帯には裕二からの着信が山のように入っていたけど、全て無視した。
どんな言い訳を聞いても、言い訳にしか聞こえないよな、と思ったし、あの状況でどんな弁解の余地があるのかも理解できなかったから。
本当はまだ心の傷がジュクジュクしていたけど、診療では問題ないくらいには回復したと思ったので、その翌日は職場に行った。
裕二も例の看護師も普通に働いていた。
裕二は話がしたいと言ったが、私は「何も話すことは無い。もう別れよう」と告げただけだった。
彼の顔が驚愕に歪む。
(・・彼は自分が許されると思っていたのだろうか?)
裕二が裏切られたような目をして私を恨めしそうに見る。
(え・・・?私が悪いの?)
若い看護師は常に医者を誘惑しようとするとか、中には下着も付けずに体を押し付けてくる子もいるとか、訳の分からない言い訳を始める裕二。
私は心底失望した。
私が知っている看護師さんはみんな自分の仕事に誇りを持ったプロフェッショナルだよ。職場でそんなことをする看護師がまともな訳ないじゃない。
仕事の後、私がロッカーで着替えをしていると、例の看護師が入って来た。
私が中にいると知っていてわざと近づいてきたようだ。
その証拠に私を見た瞬間から攻撃が始まった。
彼女は妊娠していて、既に彼からプロポーズもされたという。
彼女と裕二との出会いとか、彼がどれだけ優しくて彼女を愛しているかとか、もう聞きたくなかった。私は自分が可愛げがないのも、欠点だらけなのも知っている。
この人は私を傷つけたいだけなんだなと感じたので、彼女を無視してロッカー室を出ようとした。
彼女が見たいのは私の泣き顔だ。絶対に彼女が欲しがるものはあげないと、私は無表情を決め込んだ。
「ねえ!あなたがそんなだから、青木先生はあなたより私を選んだんですよ!」
彼女は明らかに苛立っていた。
「そうね。でも、私もあんな男を引き取って貰えて良かったわ。医者は常に若くて可愛い看護師に囲まれているから、彼が同じ間違いを繰り返さないといいわね」
私の言葉を聞いて彼女の顔が強張った。
その後、裕二は別の病院に異動になり、彼女は辞職した。彼らは病院内で仕事中にも行為に及んでいたそうで、多くの目撃証言や患者からの苦情があったそうだ。
最後に裕二が
「君は完璧な医者かもしれないけど、人間的な寛容性に欠けている。人の弱さを許せない人間が患者を癒すことは出来ないと思うよ」
と言い残した時、私の心には深い傷が残ったけど、それを共有できる人はいなかった。
*****
(私って孤独だったんだな・・・)
苦い思いがこみ上げる。
その時、誰かがリオの肩に手を置いた。
ハッと横を見るとレオンが心配そうに覗き込んでいる。
「大丈夫かい?リオ?泣きそうな顔していたから」
「あ、ごめんなさい。結婚式だからちょっと感傷的になっていたのかも・・・」
「・・・そんな感じじゃなかったよ。悲しそうだった。昔の辛いことを思い出していた?」
レオンにはどうして分かってしまうんだろう?
リオの目尻から零れた涙をレオンが指ですくう。
ハンカチを取り出して優しくリオの眼を拭うと、レオンはリオを強く抱きしめた。
「後で、ちゃんと話してくれるね?辛い話でもリオのことなら私は何でも知っておきたいんだ」
「・・うん。ありがとう」
そこにセリーヌとリュシアンが現れた。
「リオ、どうしたの?何かあったの?」
心配そうにセリーヌが声をかける。リオは慌ててレオンから離れた。
「大丈夫です!私は幸せだなぁって感動してたんです。みんなが居てくれるおかげです!」
セリーヌは勘が良いので何かを察したのかもしれない。リオに近づくとギューッと彼女を抱きしめた。
「リオ、とってもきれい。貴女は私たちの自慢の娘よ。貴女に救われた人たちも沢山お祝いに来てくれるわ。自分を誇っていいのよ」
セリーヌの瞳が潤んでいる。母娘の会話を聞いているリュシアンも感慨深そうに頷いた。
ノックの音がして、今度はアンドレとエディが入ってきた。
二人は相変わらずアツアツで目のやり場に困る。自分達もこんな感じなのかな・・・?人の振り見て我が振り直せ。気をつけよう。
エディはリオの手を握りしめて、唇で軽くリオの頬に触れた。
「リオ、本当に綺麗よ。私たちは貴女のおかげで幸せになれたの。貴女の幸せを永遠に願い続けるわ」
アンドレも嬉しそうにリオの頭を撫でる。
ルイーズ、カール、アベルもお祝いに駆け付けてくれた。アベルは今日リングボーイをしてくれる予定だ。
イチ、サン、パスカル、マルセルは警備に集中したいそうだ。完璧な結婚式にしたいんだって。
サンは眩しそうにリオを見ると、何も言わずに軽くデコピンをした。
村長、イーヴ、アニー、エミリー、アメリ、アントン、エレナ、マリヤ、マリヤの護衛のファビオも招待客だ。
フォンテーヌ国王家、スラヴィア共和国大統領、シュヴァルツ大公からはお祝いの花が届けられた。それぞれ祝意を示すカードもついている。豪華な花ばかりだ。広場に飾ってあるので、人々が集まって楽しそうに品評して賑やかだ。
その時、突然多くの狼の遠吠えが聞こえて辺りが騒然とした。
慌てて声の方角を見ると、ベルトランド率いる獣人達がお祝いのためにやってくれているようだ。
他の人たちも驚いていたが、リオとレオンが駆け寄って親しくベルトランド達と話しているのを見て、警戒を解いたらしい。
ベルトランドはニッと笑って、リオの頭を撫でながら
「リオ、綺麗だ。幸せにな」
とバッチリ決まったウインクをする。うーん、やっぱりカッコいい。
エレオノーラが一目惚れした理由がよく分かる。
ムキムキのプロレスラーみたいな獣人が集まって子供たちと遊び始めた。肩車したり大技を使うので、子供たちは大興奮でキャーキャー叫んでいる。最初は心配そうに見ていた親たちも徐々に獣人たちと打ち解けて話すようになった。
ファビオがベルトランドに近づいて、二人で頭を寄せ合って何やら楽しそうに話をしている。スラヴィア共和国の獣人とフォンテーヌ王国の獣人の交流なんて素敵じゃない?
あれ?そういえば、エレオノーラは?と辺りを見回すと、彼女は療法所の壁の影に隠れていた。
リオとバッチリ目が合った後、何事もなかったかのようにツツツと出てきて、リボンのついた小さな籠をリオに押しつける。
「・・・それは今年一番のイチゴなんだからね!有難く食べなさいよね!」
真っ赤な顔を背けながら叫ぶエレオノーラ。
なんだこの可愛い生き物は、と思いつつ、柔らかい紙に包まれた籠の中を覗くと宝石のようにピカピカ輝いている大きなイチゴが沢山入っていた。
「ありがとう!大切に頂くね!」
というと、エレオノーラは「フン!」と鼻息も荒くベルトランドの方に走り去った。
リオは左手収納にイチゴの籠を収めた。便利だ。
テーブルや食事などの手配はジョルジュが一手に引き受けてくれている。
ジョルジュに御礼を言うと、
「とんでもありません。リオ様の結婚式のお手伝いができるのは光栄です」
と相変わらずの完璧な礼を見せてくれる。
「ここにいらっしゃるお客さまは全員リオ様が作り上げた絆の成果です。ご自身を褒めてあげて下さいね」
ジョルジュの瞳はどこまでも優しかった。
*****
そろそろ式が始まる、とレオンが迎えに来た。
真っ黒いタキシードがシャープな印象で、カッコよさが神がかっている。
髪は銀色の紐で一つに束ねられていて、サラサラの黒髪が弾んで揺れる。
金色の瞳が喜びに輝いているのを見ると、リオも幸せに包まれる。
レオンはこれまで与えられることが少ない人生を歩んできた。だから自分はこれからレオンに多くを与えられる人間になりたい。
だって、レオンから多くの幸せを貰ったから。
レオンの手を取りながら、リオは改めて自分に誓う。
これからも大切な人たちを守るために最善を尽くします、と。
読んで下さって、ありがとうございます。引き続き不定期で番外編を投稿します。それから、新しく『悪役令嬢は殺される運命だそうなので、それに従います。』の連載を開始しました。読んで頂けたら嬉しいです!




