魔王
ポレモスは村長にそっくりな魔王の体を憎々し気に睨みつけている。
本当に村長に瓜二つである。リオは一瞬左手から村長が勝手に出てきてしまったのかと思ったくらいだ。
そうだ、もうそろそろ皆に出てきてもらった方がいいかもしれない。
出発直前に村長に願った加護は、どんな魔法封じも効かない力だ。加護を貰っておいて良かった。
ふぅ、と深呼吸した後、ふんっと気合を入れると右手首の腕輪がボロボロに壊れた。『レオンさま』と心の中で念じると、ふわりとレオンが登場する。サラサラの黒髪が靡いてやっぱりカッコいい。こんな時なのに思わず見惚れてしまう。
「リオ、よく頑張ったな」
レオンがリオに笑いかけた。彼の顔を見ただけで力が湧いてくる。
そしてレオンに続いて、村長、サン、イチ、マルセル、パスカルが次々に現れた。
「な、なんだ・・お前たち、一体どこから!?」
ポレモスが叫び、そのまま姿を変えて逃げようとした。が、村長は逃がさない。物凄いスピードでポレモスを地面に押さえつけると魔法の力で捕縛した。恐らくだけどポレモスが変身できない魔法をかけているのだと思う。
「お前たち!何をしている!?早く助けろ!!!」
ポレモスが喚いているが、魔人族は驚きで一瞬固まってしまった。その隙にレオン達が魔人族に飛びかかり、あっという間に全員を拘束した。さすがの強さだ。特にレオンは現役騎士のマルセルと比べても全く引けを取らない。
エラは床に這い蹲って震えていたが、念のためにパスカルが丁重に縄で縛りあげた。
リオはその間にジークフリートとエレオノーラを自分の左手に入れる。よし被害者確保だ!
村長はポレモスを睨みつけ「ポレモス、魔王復活はさせぬ!」と宣言した。
ポレモスは視線で人が殺せるなら殺しているというような恐ろしい憎悪を村長に向けている。同時にエラも凄まじい悪意と憎悪を発揮し、罵詈雑言を吐き散らしている。とても貴族とは思えない。
縄で縛り上げられた魔人族の中にメフィストも含まれていた。メフィストは阿鼻叫喚の光景を真面目な顔で観察している。陰謀が失敗に終わった絶望も恨みもない瞳にリオは注意を引かれた。
(メフィストって男は・・・計画が失敗したのに、なんであんな顔をしているんだろう?)
まだ終わっていないのかもしれない。リオは『油断しちゃダメだ』と仲間に警告しようとした、その時・・・
「偽物だ!」
とメフィストが大声で叫んだ。
「なんだと?!どういうことだ!?」
ポレモスの顔が驚愕で歪む。
「その魔王の体は偽物だ。これだけの悪意と憎悪があるのに、全くそれを吸収しない。その体は魔王の体ではない。本物の魔王の体は・・・・・」
と呟くとメフィストはニンマリと嫌な嗤いを浮かべて村長を見つめた。
村長が一瞬たじろいだ。
「ははぁ・・・なるほどな」
おぞましい目つきで周囲を見回すとメフィストは「お前の秘密が分かった。ハッタリではないぞ」と舌をチロリと出す。
村長が「くっ・・・」と明らかな動揺を見せた。こんな村長を見るのは初めてだ。
メフィストと村長のやり取りを聞いたポレモスもニヤリと嗤う。
村長が動揺した隙をついてポレモスは何かの動きを見せた。
(まずい!変身しようとしているのかも!?今、細菌なんかに変身されたらたまったもんじゃないわ!)
そう思った瞬間、体が勝手に動いていた。リオはオリハルコンを取り出し、ポレモスに切りかかった。
伊達に剣術を習っていたわけじゃない。リオはポレモスの古傷がある左肩を狙い確実にオリハルコンを突き刺した。
「ギャー――――――!」
ポレモスの悲鳴と同時にリオはレオンに抱きすくめられる。他の面々がポレモスを再び地面に押さえつけた。
オリハルコンは単なる刃ではない。刺した傷痕がジュクジュクと広がっていく。ポレモスは地面に蹲りあまりの痛みに呻き声をあげている。抵抗する力はもうないようだ。
全員の注意がポレモスに向かっていたその瞬間、縛られていたメフィストが突然ぬるりと縄から抜け出した。
「お、おいっ!!!待てっ!」
慌ててサンがメフィストに掴みかかるが、つるりとサンの手から抜け出したメフィストはそのまま・・・蛇に変身した。シュルシュルと地面を這うメフィストは、捕まえようとする者の手から巧みに逃げおおせる。
村長が「ナカシュ・・?!やはり貴様はナカシュか!」と叫ぶ。慟哭のような悲痛な声にリオまで胸が苦しくなった。
蛇になって縄から抜け出したメフィストの動きは驚くほど素早かった。あっという間に痛みにもがき苦しむポレモスとそのすぐ脇で恐怖に蹲るエラに絡みつき、そのままボンッと転移して消えた。
村長は顔面蒼白になって立ちすくんでいたが、すぐに気を取り直した。
「リオ、我はすぐに行かなくてはならない」
指一つ鳴らして村長も消えた。
**
残った魔人族は捕縛されて抵抗する気もないようだ。サンたちは大公宮と連絡を取り合って今後の相談をしているようだ。ジークフリートが無事に保護されたことも報告された。
リオたちの目的はジークフリート救出だった。だからこれで目的は達成されたとも言える。しかし、村長の様子を思い出すとリオは嫌な予感しかしなかった。レオンの顔色も悪い。
「・・リオ、君はイーヴの治療をしていた。具体的に彼女の症状は何なのか教えてもらえないか?勿論、患者の秘密を漏らすのが嫌なら構わない、が・・・大切なことかもしれない」
村長は緊急時にはイーヴの病状を話してもいいと言っていた。今はまさに緊急時だ。リオがイーヴの症状をレオンに説明すると、彼の顔色がさらに悪くなった。
「リオ・・・恐らくだが、イーヴは・・・」
耳元で囁かれたレオンの言葉にリオは恐怖で凍りついた。背中を冷や汗が伝い、瞳に涙が滲む。
『い、行かなきゃ。私も行かないと・・・大変なことになる』と気持ちばかりが急いた。
「リオと私は行くところがある。皆にここでの後始末を頼んでいいか?」とレオンはサンたちに頼んだ。
彼らは心配そうな表情を浮かべたが、レオンが「大丈夫だ。リオは私が守る」と言い切ったので安心したように頷いた。
リオは震える手にオリハルコンを握ったまま村長の羽根を取り出して、村長のところに転移させてもらうように願う。レオンはしっかりとリオを抱きしめている。
気がつくとリオとレオンは村長の家に転移していた。しかし、村長の姿が見えない。イーヴもいない。嫌な予感がして家の中を探し回っている時に、外から大きな音がした。
レオンとリオが外に出ると、そこには同じ顔をした二人の村長が対峙していた。
一人はイーヴで、もう一人が村長だ。
村長がリオたちに気がついた。
「村人を避難させろ!早く!」と村長が叫ぶ。
こんなに取り乱す村長が信じられなくて、リオの心に絶望感が広がる。レオンはすぐに頷くと「リオ、絶対にここから動かないで」と言って村の方に転移していった。
村長と向かい合うイーヴは苦悶の表情を浮かべている。リオは彼女の周囲に禍々しい黒い霧が渦巻いていることに気がついた。
「イーヴ!イーヴ!しっかりしろ!」と村長が叫ぶ。その瞳から滂沱の涙が伝う。
リオは不吉な予感しかしない。イーヴは悪い負の感情に苛まれている時と同じ苦悶の表情を浮かべている。
リオは何とか浄化できないかとイーヴに近づこうとするが
「邪魔をするな!小娘!」
と大きな声がして、いきなり吹っ飛ばされた。
地面に投げ飛ばされ、咄嗟にお腹を庇って受け身を取った。
『何だ、妊婦に対するこの扱いは!』と振り返るとエラとポレモスを引きずるメフィストが仁王立ちになっていた。今は蛇ではなくて魔人族の姿に戻っている。ポレモスの呻き声が微かに聞こえた。
「ほら、餌だ。信じられないくらい強い負の感情を抱く者たちを連れてきた。オリジナル・セイレーンの血も入っているから、生贄に丁度いい。私の血肉も餌にしろ。憎悪と嫉妬の塊だ」
とメフィストが告げる。狂気じみた嗤い声が辺りに鳴り響いた。
村長が弾かれたようにイーヴに向かって動く。しかし、イーヴの動きはもっと早かった。
イーヴの身体が一気に膨れ上がり、その体から溢れ出る黒い霧がメフィスト、ポレモス、エラの三人を包み込み、吸収した。
空にイーヴの悲鳴が大きく響き渡る。悲痛な叫び声に耳を塞ぎたくなった。
リオはついさっきレオンから囁かれた言葉を思い出す。
「イーヴが入っている村長の体が本物の魔王なんだ。奴らは本物の魔王の体がどこにあるか分かったから転移して消えた。村長も追ったのだろうが・・・イーヴが危ない」
イーヴの体が一層大きくなった。苦悶の表情は相変わらずだ。
村長は涙を流しながら必死で指を鳴らして魔法をかけようとするが、イーヴの体の膨張は止まらず、イーヴの悲鳴も止まらない。
リオはイーヴに走り寄ろうとしたが、その時ちょうど戻って来たレオンに羽交い絞めにされて止められた。
苦痛に満ちたイーヴの悲鳴が続いている。
その瞬間、リオが手に握っていたオリハルコンがものすごいスピードで空に飛んでいった。突然のオリハルコンの動きに驚いたが、今はそれどころではない。
「イーヴさんが・・イーヴさんが・・・」と涙が止まらない。
レオンも辛そうだが「リオ、すまない。村人の避難が優先だ。左手に全員入れられるか?」と尋ねる。
リオが顔を上げるとレオンの背後に多くのセイレーンの人々が集っている。
(せめて自分にできることをしよう!)
リオは頷いて、村人たちに左手に入ってもらう。とにかく急いで!
イーヴの悲鳴は止まらない。村長は掠れる声で「イーヴ!イーヴ!」と呼び続けている。
その間にダイソン掃除機並みのスピード感で、村人たちは全員リオの左手に吸い込まれた。
どうやら村長は魔法でイーヴの意識を取り出そうとしているようだ。膨張して渦を巻く黒い体の中から輝く白い影が少しずつ出現してきた。
しかし、イーヴの白い影をみっしり取り囲み、縛りつけているのは暗黒の影。ポレモス、エラ、メフィストの三人がどす黒い影になって、イーヴの白い影にべったりと纏わりつく。
村長は悔しそうに呻き声をあげた。神様でもどうにもできないこの三人の黒い感情にリオは戦慄した。
体の震えが止まらない。レオンがリオを背後からギュッと抱きしめる。その時、一際悲痛なイーヴの悲鳴が辺り一帯に響き渡った。
そして、黒い影に縛りつけられていた白い影が一気に爆発するように雲散霧消した。
完全に魔王の体と一体化した黒い影は、一気に膨張し巨大な漆黒のグリフォンに変身した。以前リオを誘拐したグリフォンの十倍くらいの大きさはある。漆黒のグリフォンは空中で口から真っ赤な火を噴き、村を焼き払い始めた。
グリフォンが轟音を響かせて翼を羽ばたかせると竜巻が起こり、建物や木々が吹き飛ばされていく。
「うわあああああああああああああああああ!」
そんな中、村長の慟哭と絶叫が響き渡る。彼の目は虚ろで何も映してはいない。
リオが「村長!」と叫ぶと、焦点の合わない瞳をリオに向けた村長は指を鳴らしてリオとレオンをどこかに転移させた。
*****
リオとレオンが転移した先は、フォンテーヌの王宮に面した大広場だった。国王が国民に向かって呼びかける時にも使われる広大な空間である。
広場は多くの人たちの憩いの場である。しかし今、広場に居る人々は皆心配そうな面持ちで周囲を見回している。空は真っ黒い雲に覆われ、昼間なのに夜のように暗い。
その時、地面がグラグラと揺れ大きな地震が発生した。
人々が悲鳴をあげる。
どこかで建物が崩れる音も聞こえる。
更に大地が震えた。
リオは避難してきたセイレーン村の人々を左手から出した。突然ゾロゾロと出現した銀髪赤目の美男美女の姿に、広場にいた人たちは目を丸くする。
しかし、それどころではない。大きな地震が続いている。建物の倒壊が恐ろしい。レオンは魔法で声を拡声させ周囲に呼びかけた。
「地震だ!建物の中にいると危険だ!広場に避難しろ!」
この大広場はニューヨークのセントラルパークより広い。余裕で何千人も収容できるスペースがある。避難民が続々と広場に集まり始めた。
セイレーンの人々は打ちひしがれた様子で涙を流している。
「もうダメだ。村長の怒りに触れた。世界の終わりだ」
リオが「そんなことない!」と反駁すると、セイレーンは一様に首を振った。
「お前に何が分かる。村長の怒りに触れると、この世の終末と最後の審判が始まるのだ!」
「大地と大気が怒りに震えている」
彼らの言葉を証明するかのように繰り返し大きな地震が起こり、遠くで雷鳴が轟く。真っ黒な空は更に黒くなり、遠くで落雷したのだろう。稲光が見えた。
人々は恐怖に怯えている。地震も止まらない。このまま本当に世界は終末を迎えてしまうのだろうか?
村長は大丈夫だろうか?イーヴのことを考えると胸が苦しくて涙が止まらない。
レオンが強くリオを抱きしめる。リオはレオンにしがみついた。レオンの胸の鼓動だけが今のリオにとって唯一の救いだった。




