ジークフリート
シュヴァルツ大公国訪問の日程が決まった。フォンテーヌ王国から友好親善という名目で代表派遣団が結成される。その一員としてリオとレオンは参加することになった。
派遣団の団長はジュリアン王太子、副団長は宰相であるリュシアンだ。道理で大がかりな訪問になるわけだと思う。
他にも交易、安全保障など様々な分野の専門家や担当閣僚が同行し、シュヴァルツ大公国との交流を図るというのが建前だ。実際はコズイレフ帝国と戦争になったら、どのように対応するかという軍事同盟的な話し合いが主な目的である。
リオとレオンは国家療法士として同行するが、一番の任務は大公の診療となる。到着した翌日に早速診察する予定だ。その日には村長も来てくれる。
リオは村長の羽根を肌身離さず持っているので、危機が迫ったらすぐに羽根を使うよう指示されているが、護衛として左手の巾着袋にサンとイチの二人が待機している。
訪問団の護衛騎士も数多く同行している。当然だがパスカルとマルセルも参加していた。アニーもリオの侍女として付き添ってくれるので安心だ。
一週間の行程なので、リオにとっては初めての修学旅行並みの高揚感がある。
仕事だって分かっているよ。分かっているけど、初めての泊りがけの旅行だから、どうしてもウキウキしてしまうのだ。
シュヴァルツ大公国には多くの古城が残っており、森や河川が多く景観がとても美しいと聞いている。あ~、ワクワクが止まらない。
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派遣団は国境付近まで転移して、その後は馬車で大公が住む大公宮へ向かう。
リオは馬車の旅が生まれて初めてなので(前世含む)それだけでも興奮する。レオンは馬車の揺れが妊婦には良くないんじゃないかと気が気ではないようで、リオの隣にピッタリとくっついて彼女の様子を真剣に観察している。
リオは馬車の窓から見える景色だけでも嬉しいし、全然疲れたりしなかった。レオンが馬車の揺れを最小限に抑えるサスペンションのような魔法をかけてくれたおかげかもしれない。
馬車は河に沿って進む。反対側の岸に古い木組みの建物が並んでいて、水面に建物が映りこんでいる。何て綺麗なんだろう。絵画のモチーフになりそうだ。カツコツという馬の蹄が石畳の道を叩く音も心地良い。木々が多く鳥も沢山飛んでいる。川には鴨が泳いでいる。
古い景色が残る素敵な街だな、と思った。
フォンテーヌの王都にも古い建物はあるがもっと近代的で機能的な印象だ。シュヴァルツの公都は牧歌的で伝統を受け継いでいるように感じられる。
馬車でほぼ一日がかりで辿り着いた大公宮は、コの字型をした荘厳な宮殿だった。サンドストーンみたいな薄茶色と薄黄色の中間色の石を積み上げた建築物で尖塔が沢山ついている。建造物として対称が美しい。綺麗な宮殿だなぁ、とリオはぼーっと見惚れてしまった。
その日はゆっくりと部屋で休んで欲しいと言われ、レオンと一緒の部屋で荷解きをする。荷物は左手の巾着袋に入れたので、荷解きと言ってもほとんどないのだけれど。
サンとイチを左手から出したら
「もう着いたの?やっぱ時が止まっているってスゲーな。今入ったばかりなのに」
と驚いていた。
彼らはここでも沢山の任務があるので、早速リュシアンとの打ち合わせに出て行った。
アニーは旅の疲れも見せず、リオとレオンにハーブティーを淹れた後、一礼をして自分の部屋に下がっていく。看護師でない時のアニーはプロの侍女として完璧な所作を見せる。さすがだ。
お茶を飲みながら、レオンはリオを膝の上に乗せて翌日の予定と大公の診療の手順を確認した。診療の前に、大公、大公妃、大公世子との謁見も予定されているらしい。
あぁ、緊張するなぁ。
レオンはリオの背中を撫でながら、
「私が受け答えするから、リオは黙って立っているだけで大丈夫だよ」
と言ってくれる。
甘やかされているので情けないがちょっと安心した。
「リオとこうして旅ができるのは幸せなことだな。景色を眺めるリオの表情がクルクル変わるのが可愛くて仕方がなかった。リオのそんな表情も旅に出たからこそ見ることができた。君を閉じ込めるようなことはもうしない。だから、二度と攫われないように気をつけて欲しい」
リオは強く頷いた。
「明日の朝には村長も来て下さるし大丈夫です」
レオンは微笑みながらリオの下唇を挟むようにキスをする。しばらく恋人同士の時間を楽しんだ後、二人は夕食会の支度をした。
非公式だが、大公一家がジュリアン王太子、リュシアン、リオとレオンを夕食に招待してくれたのだ。
緊張しながらレオンの隣を歩く。そのうちに広くはないが上品で居心地の良い食堂に案内された。大公一家が普段食事をする場所らしい。
大公のテオ、大公妃のアンゲラ、ジークフリート大公世子は穏やかで優しそうな方々だった。ジュリアンとリュシアンはそれぞれテオとアンゲラの隣で歓談している。
シュヴァルツ大公国宰相を務めるドミニク・フォーゲルはかなり高齢だが、意気軒高で矍鑠としている。拳を振り上げながらレオンに向かって何かを熱く語っていた。
リオはジークフリート大公世子の隣で少しホッとした。ジークフリートは十歳なのにしっかりと挨拶をして、話が弾むように色々な話題を振ってくれる。
リオは医療関係の話だとスムーズにできるので、療法士の仕事について質問されると会話が続きやすい。ジークフリートはそれに気がついたのか、ずっと診療に関する質問を続けてくれた。いい子だなぁ。
「リオ様の噂はシュヴァルツ大公国でも広まっているのですよ。お若いのに『癒しの聖女』として人々の治療をされているリオ様を私も見習いたいと思っていました。私はこの国が好きです。ここで暮らす人々は国の宝です。私が国民のために何が出来るかリオ様からご教示願いたいと思っています」
いやもう、立派過ぎる十歳だ・・・。
「殿下の高邁なお考えに、私などが教示できることなどございませんが、何か健康上の懸念がありましたら、お助けできることはあるかもしれません」
それを聞いてジークフリートは恥ずかしそうに俯いた。そのままもじもじしている。
どうしたんだろう?と見つめていると
「実は・・・その・・私はおねしょの癖があって・・・」
と真っ赤になって言う。
・・・か、可愛い。
男の子の夜尿症は珍しくない。でも、本人にとっては深刻だろう。まだ十歳だけど背負っているものが大きいから緊張やストレスもあるのだと思う。
「殿下、まず寝る前に水分の摂取を控えて下さい」
「侍従が寝る前にいつもお茶を淹れてくれるんだ」
「お茶はカフェインが入っているから利尿作用があるんです。ハーブティならいいかもしれませんが出来たら何も飲まない方が・・。勿論、喉が渇いたら水を少し飲むのは構いません」
ジークフリートは真剣な顔で頷く。
「大丈夫。そのように侍従に伝えるよ」
「それから人間の体内では眠る時に抗利尿ホルモンが出て、夜間の尿量を減らすようになっているんです。でも、そのホルモンの分泌が少ないと夜尿症になりやすいと聞いたことがあります」
リオはジークフリートの手をそっと触り、
『夜尿症が治るように抗利尿ホルモンよ。頑張って夜に分泌されておくれ!』
と念じた。
ジークフリートの体が淡く光る。
周囲の人たちはそれぞれのおしゃべりに忙しく、気がつかなかったようだ。
リオが口に人差し指を当てて「内緒ね?」と言うと、ジークフリートは年相応の少年らしい満面の笑顔を返してくれた。
うぅぅ、可愛い。前世の甥っ子を思い出す。もう大人になっちゃってるだろうけど。
夕食後に別れの挨拶をしているとジークフリートから
「リオ様、ありがとうございます!」
と完璧なウインクを送られた。
レオンはリオとジークフリートのやり取りを注視していたようで、後で甘すぎる追及を受けた。おかげで寝不足だ。




