キーヴァ
娼館での話し合いの後、エディはアントンと一緒に村長に会いに行く準備に余念がない。
キーヴァとは村長のところで出会った少女のことだろう。リオの魂がこの世界に連れて来られることになった原因だが、彼女が悪い訳ではない。
無理矢理六十歳の皇帝の妻にさせられるのは気の毒だ。何とかできないものかしら。村長が守ってくれればいいんだけどな、とエディは溜息をついた。
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エディが指定の時間に指示された本屋に行くと、エディが入れるような大型の箱が用意されていた。中に隠れても居心地良く過ごせるよう毛布だのクッションだのが重ねられている。箱の中に入るとすぐに馬車で皇宮に運ばれて、あっという間に皇帝の居室に移動させられた。他にも大きな箱が数多く並んでいるようだ。これらが村に送られる物資なのだろう。
外の様子は何も見えないが、かすかに人の話し声が聞こえる。
一人はアントンだと思う。
もう一人はやたらと声が大きく威圧的な話し方をしている。声の感じで高齢者だと分かる。何かをアントンに命令しているようだ。口汚くアントンを罵ってもいる。
もしかしたら、この不愉快な男が皇帝なのかもしれない。
エディの父のピョートルもナオミの夫のアレクセイも皇帝だったが、誰に対してもこんな高圧的に話をすることは無かった。
(お父さまが皇帝だった頃からこんなに変わってしまった・・・)
センチメンタルな気分に浸っている間に、アントンが魔法でエディが入っている箱を他の物資と一緒に転移の間に移動させたようだ。
そして、アントンの呪文と共にエディは転移の渦に巻き込まれた。
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到着するとアントンが「大丈夫?」と言いながら、箱の蓋を開けてくれた。急に眩しい光を感じてエディは目を瞬かせる。
村長は箱の脇に立っていた。ここは馴染みのある村長の部屋だ。
アントンと共にエディも跪いて挨拶をする。
村長は「面を上げよ」と言って、エディ達を椅子に座らせた。
「それで今日は何の用だ?」
アントンが使者としての口上を述べた後、キーヴァの件を村長に伝えた。
村長はとても難しい顔をして考え込んでいる。眉間の皺がとても深い。アントンとエディは黙って村長の返事を待っていた。
すると村長が突然指を鳴らした。
いつぞやのように男女二人と少女が現れた。既視感がすごい。
三人は村長に向かって深い礼をした後、エディ達に対しても軽い会釈をした。
「あ、あの、村長、ご用件はなんでしょうか?」
怯えた表情の男性が訪ねると、村長は皇帝がキーヴァと結婚したがっていることを伝えた。
男女二人は悲鳴じみた鳴き声を上げて、床に平伏する。
「何卒、何卒、それだけはご容赦下さい」
と必死に懇願する二人に村長は冷たく
「お前たちは十三年前、リオを殺す前にそうすべきだったんだがな」
と言い放つ。
しかし、珍しく村長は苦悩しているようだ。眉間の皺が益々深くなった。
「今は状況が悪い。我は現在の状況で帝国の注意を村に向けたくはない。キーヴァが帝国に行き、そこから逃げるのはどうか?逃げ出す算段はしよう」
しかし、男女二人は全く聞く耳を持たない。
「いえいえ、どうか!どうか!村長のお力でキーヴァをお救い下さい。お断り下さい。どうかこの通りでございます!」
額を床に擦りつけて懇願する両親を黙って眺めていたキーヴァは溜息をついた。そして正面から村長と向き合う。
「村長、私は帝国に参ります。そこから逃げ出せば村にご迷惑は掛からないでしょうか?」
それを聞いた両親は悲鳴を上げてキーヴァに縋りついた。
「キーヴァ、何を言っているの?!あなたに逃げ出せっこないじゃない!」
「お前は私たちが守るから、ずっと村に居ればいいんだ!どうせ何もできないんだから!」
キーヴァはそんな両親を哀しそうに見つめながら
「お父さんとお母さんは黙っていて。村長、私は両親のしたことを聞きました。三歳の時に私の身代わりで攫われていったフィオナのことも。両親は全く罪のないフィオナや別な世界の人を犠牲にしたんです。今度は逃げたくありません。私は行きます。そして自力で逃げてみせます」
と言い切った。
村長は珍しいものを見つけたかのようにキーヴァに視線を向けた。
「キーヴァ、お願い。考え直して!」
「お前が居ないと俺たちは・・・」
両親は泣きながらキーヴァにしがみつく。
しかし、「黙れ」という村長の厳しい一瞥で二人は口をつぐんだ。
村長はキーヴァと視線を合わせたが、彼女は村長から目を逸らさない。真っ直ぐな瞳で村長を見返した。
「この娘はもう子供ではない。お前は両親とは違うようだな。望みを言え。加護をやろう」
キーヴァは堂々と立ち上がり
「私は強くなりたいです。誰にも負けない。誰にも屈しない。二度と惨めな思いをしないような強い力。弱いものを守れるような強い力。圧倒的な強さを下さい。人々を率いて理不尽な悪と戦えるようになりたいです」
と村長に願った。
村長は「Granted」と言い指を鳴らすと、キーヴァの体が淡く輝いた。
キーヴァは跪いて村長に礼を言う。
しかし、村長は試すようにキーヴァに訊ねた。
「お前は我を恨んでいるだろう?その力を持って、我に復讐するか?」
村長の言葉を聞いてキーヴァはきょとんとした表情を浮かべた。悪意が無く、そんな考えは全く頭になかったということが分かる。
「私が何故村長を恨むのでしょう?我々セイレーンを何万年も守り続けて下さった村長に恨みなどあろうはずがありません」
それを聞いた村長は思いがけなく優しく微笑んだ。
そして村長はアントンに向かって「ということだ」と言う。
あまりのことに呆然としていたアントンは夢から覚めたみたいにアタフタしていた。
村長は
「キーヴァは自分を守る強さがある。ただ、逃がすにはお前の協力が必要だろう」
と告げた。
アントンはあまりのことに絶句している。
「・・・逃がす・・・ですか?俺が逃がすんですか?」
キーヴァの両親は「宜しくお願いします」とアントンに頭を下げる。
「いや、俺も出来たら逃がしてやりたいですよ。でも、そうしたら俺はきっと殺される。俺だけならいい。母上も一緒に殺されるだろう。俺は母上だけは絶対に守りたいんだ」
アントンは真剣な面持ちで訴える。
「それに、キーヴァをどこへ逃がせばいいんですか?キーヴァをフォンテーヌ王国やシュヴァルツ大公国が保護すれば、即座に戦争が始まっちまいますよ。今何とか戦争を回避しようと必死なのに・・・」
「かといって、また村に迎え入れると帝国の注意が村に向けられてしまいますよね・・・」
エディも肩を落とす。
しかし、その時きっぱりとしたキーヴァの声が響いた。
「私は誰の助けも要りません。頂いた力を使って一人で逃げてみせます。大丈夫です」
(え・・・。そんなこと言ったって・・。女の子一人で、しかも今までセイレーンの村しか知らない世間知らずの子が?)
不安を覚えたエディは村長に尋ねる。
「キーヴァは強くなったと仰っていましたが、どれくらい強くなったんでしょうか?」
村長はニヤリと笑い
「まあ、その気になれば皇宮を灰塵に帰することが出来るくらいには強くなった」
と宣う。
(わぉ。すごいな)
「あ、でもポレモスは魔法封じの腕輪を付けることが出来ます。魔法を封じられたら、いくら強くなっても・・・」
とエディが言いかけると、村長はちょっとドヤ顔で答える。
「強くなったのは魔法だけではない。物理的な力も桁外れだ。オリハルコンも壊せるくらいのな。キーヴァは魔法封じの腕輪を引きちぎれるくらいの腕力はついているはずだ。動体視力や反射神経も飛躍的に高めた。人間の能力を遥かに凌駕する。正面から戦えば、魔法も身体能力もポレモスより強いだろう。ポレモスがハエに化けたとしても、かの剣豪のように箸で奴を捕まえることができるに違いない」
ハエを箸で捕まえるって何だろう?エディの頭の中に疑問符が浮かんだ。
(でも・・人外の恐ろしい力を持っていると知って、キーヴァはどう思うのだろう?)
エディが恐る恐るキーヴァの様子を伺うと、彼女は喜色満面という言葉がピッタリの面持ちだった。
「私は昔『冒険者』という職業を聞いたことがあります。そして、ずっと憧れていました。私はずっと真綿に包まれるように育てられてきましたが、本当は自由な生活をして自立したかったんです。この能力があれば冒険者になれますか?」
キーヴァの真摯な瞳を見て、エディは思わず彼女の質問に答えていた。
「・・・あの、コズイレフ帝国には各地にギルドがあって、そこで登録すれば大丈夫だと思うわ。ただ、あなたが皇宮から逃げ出したら、ずっと帝国から追われることになるわよ?」
「でも、皇宮を壊滅させるくらいの力があるんですよね?大丈夫。自分の身は自分で守ります!」
キーヴァの逞しさにエディは呆気に取られた。こんな子だったのか?!
キーヴァの両親も信じられない、という表情だ。
エディは何かの役に立てばと付け足した。
「あの・・コズイレフ帝国の北の方の山岳地帯は気候が厳しくて、あまり人間が住んでいないの。でも、帝国の支配もほとんど及ばないから、比較的自由に生活できるわ。獣人達が住んでいる地域なんだけど、獣人は仲間と認めた者には愛情深いから住みやすいかもしれない。実は私も旅をしていた時に立ち寄って親切にしてもらったことがあるの」
キーヴァは驚いたようにエディを見た。
「あなたみたいな華奢な人が一人で旅が出来たんだったら、私は大丈夫ね」
「あら、ちょっと失礼じゃない?私は割と魔法が得意なのよ」
と睨みつけると、キーヴァは「ごめんなさい」と舌を出す。
ああ、逞しい子だ。彼女なら大丈夫な気がする。
エディが笑顔で「あなたなら大丈夫そうね」と言うと、キーヴァは「ありがとう!」と抱きついてきた。
うーん。可愛い。やっぱりリオのオリジナルだけある。破壊的な可愛さだ。
村長はそんな二人のやり取りを微笑ましそうに見ていたが、ふと思い出したように机の引き出しから何かがぎっしり詰まった大袋を取り出して、キーヴァに手渡した。
ポカンとしているキーヴァに
「旅道具だ。役に立つだろう」
と村長が説明すると、キーヴァは再度深々と頭を下げて礼を言った。
「私はずっと村長は怖いだけの人だと思ってたんですが、間違ってました。本当にありがとうございます」
村長は苦笑いするしかない。
キーヴァの両親は色々と愚図っていたが、キーヴァ自身が旅立ちたいと望んでいることを最終的には受け入れた。
取りあえず、アントンはキーヴァが了承したと皇帝に伝えることで合意した。
アントンはそのまま皇宮へ帰還し、エディはアンドレの居る大使公邸へ村長に転移させてもらう。
キーヴァのあっけらかんとした逞しさにエディはワクワクするような興奮を覚えていた。




